夢を見てるみたいだった。

「ね、慶。これどうかな?」
「……」
「慶?」
「あ……」

かろうじて音を発することができたこの声は、本当に自分の声なんだろうか。まるで暫く水も飲まず話すこともなかったかのように、喉がひりひり痛んだ。水が飲みたい。


これは現実なんだろうか。
何色に染まってもいない、純白のドレスを着たなまえを、単純に綺麗だと思った。シンプルな白でありながら、こんなにも胸を貫かれるのは何故だろう。

「まさか慶に試着に付き合ってもらうことになるとはね」

上品に光る生地と細かいレースが幾重にもなって波を打つ。こんな無垢な色をした奴が、オペレーターとはいえ、ボーダーで前線を担っていたと、誰が思うだろうか。俺でさえ、本当に本物のなまえなのかと疑ってしまう。なまえであるならば。本当になまえであるならば、

「一番最初よ?」

どうしてその服を着せたのが俺じゃないんだろうか。
何かに切り裂かれたように痛みが走った。あれ、俺、痛覚オフにしてなかったか?いや、それよりも


「水が飲みたい」

自分の声にハッとして目を開けると、目の前になまえはいなくて、とっくの昔に見慣れた天井が映った。不思議と状況はすぐ飲み込めて、けれど動く気にはなれず、顔を覆った。ウエディングドレスを着た、夢の中のなまえの姿がちらついてしょうがなかった。

「あー……」

純白が、とうの昔に塞がったと思っていた傷口をなぶった。じくじくと血を滲み出したそれは、よく今まで平気でいられたと思うほどの痛みを伴って、自分を襲ってきた。
……いや、きっと、今まで平気だった、というには、違うのかもしれない。むしろそれ以前に、傷すらついてないのだと思っていた。けれどそこにはしっかりと瘡蓋ができていて、夢に見るほど心残りがあるのだと、前触れもなく思い知らされた。
ずきずきと響く胸に知らないふりして、もう一度目を閉じた。寝てしまおう。忘れてしまいたい。だってそんな、今更。元恋人の夢を見て、どうするっていうんだ、俺。


*


「なんだ太刀川、今日は随分と元気がないな」
「ん? あー……風間さん」
「出水のやつがお前が静かで気味が悪いと言っていたぞ」
「出水のヤツ……」

自販機の前で出くわした風間さんが、表情が変わらないながらも面白そうに言った。俺の方が先だったはずなのに、さっさとお金を投入して、珈琲のボタンを押した。ガコンと鈍い音が廊下に響く。

「俺って元気ないですかね」
「らしいな」

なんとなくその様子を見ながら、なまえのことを思い出してしまった。あいつも、珈琲が好きだった。しかも濃いめのブラックが好きなもんだから、あいつの前で何かを加えるのは子供で恥ずかしいような気がして、いつもあの苦い味を噛み締めていた。自分が年下というコンプレックス。若かったなあ、俺。いや今でも若いんだけど、成人するとそういうしがらみが少なくなってきたように感じる。

「夢って本当に自分の願望だと思います?」

取り出し口に手を伸ばして屈んだ風間さんが、振りかえって俺を見上げた。けれど何を言うでもなく、缶を取り出してプルタブを開けた。そんなわけがないのに、苦い珈琲の匂いが届いた気がした。

「俺はあまり夢を見る質ではないからな。よく分からん」
「あー、それっぽい。よく食べよく寝るみたいな」
「……」
「じょ、冗談……」


わざとらしく一、二度温度が下がったような空間に咳を落とす。心なしか呆れたような視線に変わったそれが、ふと廊下の先を見た。

「なまえ」
「えっ」
「──に、最近良い男ができたみたいだな」

慌てて風間さんが視線を向けた方を振り替えると、なまえどころか人影の一つすら見当たらなかった。……しまったなあ。あーもー、風間さんの顔を見たくない。

「分かりやすいな」
「面白がってるでしょ風間さん」
「少しだけだ」

少しは面白がってるのか、と思うのと同時に、今度は確かに鼻を付く珈琲の匂い。押し付けられすぐ手を離されたそれを慌てて掴むと、既に開いている飲み口から茶色い液体が零れた。

「熱ッ」
「やる」

ポケットに手を突っ込んだ風間さんが何でもないような口調で続けた。

「別に付き合ってないらしいぞ」
「は、」

返答を期待してなかったようにそれだけを言って去っていくうしろ姿に、ポカンとした顔を向けることしかできなかった。付き合って、ない。風間さんの言葉がじわじわと心に染みていくようだった。
手にかかった珈琲を舐めとると、僅かに口に広がる苦い味。得意ではなかったはずなのに、不思議と甘く感じるのは何故なのか。俺の舌が成長したからか、それとも。

「……」


*


総合オペレーターの休憩室ではなく、給湯室の隅に椅子を置いて一人で息を吐く。休憩は一人の方が気楽なのだと笑っていた。けれどたまに俺が顔を覗かせると、頬を緩ませて歓迎してくれるのだ。そういうところを確かに、可愛いな、と思っていた。

「えっ、慶? めずらし……なに、どうしたの?」
「ぐだぐだ考えるのがめんどくさくなった」
「はあ?」

一年、いや二年に入るのか、こじんまりとした給湯室に足を踏み入れると、なまえは目を丸くした。
相変わらず隅っこに置いてある椅子の上でマグカップを持ってる姿に少し安心した。

「悩みごと? 私相談相手には向いてないよ」
「……いや。何飲んでるんだ?」
「珈琲。淹れようか」
「ああ」

思ったより簡単に会話が続いて、複雑な気持ちになった。なんとなく会いづらいと感じていたものは、なんだったんだろうか。良いことのはずなのに、恋人同士だったことが、なまえの中ではもう遠い過去のことにされているようで、何だか笑えた。
なまえの持つカップには茶色ではない、黒い液体が波打っていた。お湯を沸かし始めたなまえの後ろ姿を見ながら、その裏に男の影があるのかどうか勘繰ろうとする自分がいて、考えることをやめた。

「お前、スーツばっかりだけど、白も似合うもんなんだなあ」
「なあに、それ。初めて言われたんだけど、おだてて何しようっていうの」
「マジマジ」
「そっかそっか」

まるで相手にされてなくて、それが可笑しくて、ちょっと痛かった。もう少し、もう少し、昔の俺が、闘うことばかりに夢中じゃなくて、周りのことを、なまえのことを見れていたら良かったのかもしれない。与えられた玩具ばかりに構うような子供じゃなくて、でも、まあ、そんなのは今更だ。
夢の影響か今日は余計に喉が乾く日だった。お湯が沸くまでには、まだ時間がかかるだろう。スッと近づいてなまえの片手を塞ぐカップを、その掌ごと包み込み口元へ運ぶと懐かしい味がした。予想通りの砂糖もミルクも入ってないブラックコーヒー。少し視線を落とすと唖然とした顔のなまえと目が合った。

「…………、飲めるようになったんだ」
「珈琲? 結構前からだろ?」
「はは、うそ。昔苦手だったでしょ」
「……」

でもあの頃の慶の年齢の時は、私も得意ってわけじゃなかったし──。
昔の自分の幼い背伸びを気付かれていて、尚且つ改めて指摘される男の気持ちを考えてみて欲しい。

「お前、もう、ほんと……そういうところがだめ」
「ええー……いきなり何……」

それなのに。掌に収まる小さな手に、ずぎずきと訴えていた胸の痛みが引いていくような気がするのは何故だろう。
その手がかすかに震え、黒い液体の表面を波たたせた。近い距離に、なまえがようやくこちらを意識してくれている。嬉しくなる。

「あの、いい加減、手、零れちゃうから離して」
「なあ、お前さ……」

視界の端に純白のレースが舞ったような気がして目の前がちかちかした。
気付かなければ平気だった。気づいてしまったら、もう駄目だった。
あの服を着せるのは、やっぱり俺がいい。

「飯 食いにいくか」

もし他の誰かがその役目を担おうとするのなら、俺がその白に茶色いシミ一滴落としてみたくなる。悪いな。
もう一度珈琲を啜ると、その独特の苦味を、今度は素直に旨いと思えた。





太刀川慶の
退屈な
予知夢


ネタメモのコレの過去話


■自然消滅、両片想いの残りカス




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