ネタの
コレと
コレと
コレの続き
※村上成主は女の子
かさついた唇は、なんだか荒船らしかった。
お互いの温度を伝えたそれは、少しの切なさと、それでも尚、上回る程の身勝手な甘いしあわせを感じさせた。
硬直して動かない荒船からゆっくりと唇を離すと、お互いの細く漏れた吐息が、唇と唇の間でぶつかった。かすかに顔にかかったその暖かい空気が、距離の近さと、今更ながらに生々しさを与えてしまって――――堪らなかった。
一瞬で頭が沸騰したように熱を持ち、羞恥に身が焼かれる。熱く震える身をバッとひるがえして、荒船の前から退き、一直線にドアを目指そうとして、
「うっ、あ……!」
またギリッと腕を捕まれ、強制的に体の向きを変えられる。一瞬で力強いそれに、無防備に動かされる身体。あまりの勢いに、傾く身体のバランスをとろうと反対方向に身体が抵抗を示すと、それすらも許さないというようにもう片方の手も捕まれ、両手で引っ張られた。荒船の、上に。
「ひっ、」
「………………随分な態度だな」
倒れこんだ荒船の胸板。近くて。意識しすぎているからか、一瞬の衝撃に閉じた目を開けると、先程まで触れていた荒船の唇がすぐ視界に入り、思わず短い悲鳴がでた。そんな反応に荒船が苦い顔をして、自分の胸に倒れこんだ私を見下ろした。
「……っ」
慌てて腕を突っ張り逃げ出そうとするも、その手首は荒船にがっしりと捕まれており、それ以上離れることはできなかった。のけ反る形になりながら精一杯距離をとり、悲鳴になりそこねた意味のない声が口から漏れる。先ほどとまるで逆になった立場に、自分がやったことを思い知らされて、居たたまれなかった。
荒船が体重を預けていた机から離れて、体勢を変えると、更に距離が近くなって腕が震えた。先に言われる言葉が怖くて、ぎゅっと目を閉じる。咄嗟に口をついて出るのは謝罪の言葉だった。
「ご、ごめん……っ」
「……」
「悪かった……」
自分というのは本当に嫌なもので、今でも嬉しい好きだ謝りたくないなんて思っていて。けれど、謝らなければ、という罪悪感も本物で。小さくてもはっきりと謝罪の言葉を述べると、自分の惨めさにくらくらした。酷い裏切りにも程がある。許されることじゃない。当然だ。それを分かっていてやった。もう、私は、荒船を諦めるために、どうすれば良いのか、
「お前さ、」
荒船がため息をついて、掴んでいた手を離したかと思えば、その手は私の背と頭に回った。ため息とともに、いくらか表情を緩めた荒船は、その胸に押し付けるように私を引き寄せた。身体を包む、自分とは違う体温と厚い胸板。荒船の匂いが鼻をついて、驚きに心臓が跳ねる。今、何が起こってる、
「俺がアタッカーから移った時といい……いろいろ考えすぎなんじゃねぇのか、馬鹿」
「な……」
「いきなり避けられたと思えば理由も言わねぇ会話もしねぇ。そして突き飛ばされて拒絶されたと思いきや、いきなりキスされるし逃げられるし謝られる」
「……」
「そんな俺の気持ち考えたことあるか?」
そんなことを言う荒船の声は、私を責める内容とは違って、随分優しかった。
呆れたように、それでも少し喉を鳴らして笑う荒船は、どちらかといえば機嫌が良いようで。顔は見えなくても怒ってるとはとても思えなかった。許されるわけがないのに、荒船の腕の中、お気楽にも心臓が驚きとは違う意味でドキドキし始めたのが分かった。
「…………それは、散々、だな」
「ああ、散々だ。まあ結果としては、悪くない」
荒船に言われて、自分の言動を思い返すと、本当に荒船は散々だな、と思った。
耳元で聞こえる荒船の声。けれど自分の心臓の方がずっとうるさくて、思考の邪魔をする。不思議だ。荒船は、何で、まだ私に優しいのか。これだから、
「――荒船、勝手なことを言うが、もう優しくしないでくれ……。私も、荒船の好きな人も……勘違いして、しまう、から」
「………………は?」
「本当に、悪かった。何でもするし近づかないようにする。私は、もう、」
「ちょっと待て。…………お前と、好きな奴……?」
頼むから、私に荒船のことを諦めさせてくれ。そんな気持ちで喋り始めた言葉を遮って、私の肩を掴み顔を合わせた荒船は、信じられないというような目で私を見下ろした。
「お前、ここまできて、言わないと分からないのか……?」
「え、」
「俺が、好きでもない奴にキスされて、怒らないどころか、こういうこと平気でする、とでも思ってんのか。おい」
「…………う、嘘だ……」
「ああ"?」
「……あ、や、今のはちが……、! だっ、だって公園で、」
「……公園?」
言外に、まるで私が"好きでもない奴"に当てはまらないとでも言うような荒船に、頭が混乱する。そんな、本当に、私が、す、すき……みたいな……。
けれど同時に浮かぶのは、あの焼き付けた同じ制服の二人。
混乱した頭のまま、つい口にすれば、荒船の顔が訝しげなしかめっ面になった。言わなくても良いことを言ってしまった、慌てて言葉を切ると、途端に降り注いだ鋭い視線。思わず自分の手元に視線を反らして、無言の抵抗をしてみるが、一向にその視線が私から外れることはなかった。言え、白状しろ、とでもいうように無言で威圧される視線。そうなれば、折れるのはどちらか分かりきったことだった。
「――――あの時か、」
「あ、荒船、」
「いや、あれは……どう見ても……まじか……」
いつかの光景をぼそりぼそりと話すと、荒船は苦虫を噛み潰したような顔をして、片手で顔を覆った。言いたくなさそうに言葉を濁す荒船は珍しくて、余計なことを考えてしまいそうだった。ドキドキと、ちくりと刺す胸の痛み。物凄く話したくなさそうな雰囲気を出しながら、荒船はぽつりと言葉をこぼした。
「…………犬……」
「…………いぬ、?」
「…………犬、がいたんだよ。……どうせ見たならちゃんと見とけよ……」
くそっと荒船が口汚く悪態をついた。胸の傷みが消えるどころか、なんというか、きょとんと放心してしまった。いぬ。犬。荒船は犬が苦手だ。それは知っているけれど、いぬ……。
「あれはクラスメイトで、この間任務でいなかった時のノート借りようとしたら、ついでに散歩行くからって連れてきやがったんだよ」
「……抱きついて、ない?」
「ありゃ盾にしたっていうんだ。肩しかつかんでなかっただろ」
「いや、そこは、荒船の後ろ姿で隠れてたから……」
格好わりぃからあんまり言いたくねぇんだよ馬鹿、と荒船は本当に言いたくなさそうにため息をついた。うしろから引き留めるように抱き締めてると思ったのは、犬から距離をとるためで。あの時私は、荒船のその姿に動揺して、確かに周りはよく見えてなかったけれど。きっと足元付近を見れば、そのクラスメイトさんの飼い犬がいたんだろう。つまり。全部、勘違い。かん、ち、がい……。
「う、あ、ああ……っ、わ、忘れてくれ……! 頼む、忘れてくれ……っ」
「……お前がそこまで慌てるのも珍しいな」
自分が生んだ勘違いのせいで、してしまった数々のことが思い出される。あんなに間近に近づいて、キスをして…………は、恥ずかしい。
自分でも分かるほど顔に熱が溜まり、涙が滲んだ。
「まあ、」
そんな私に荒船は調子を取り戻したように、にやりと笑った。
「それぐらい、俺のことが好きってんなら許してやるけど?」
「うっ、」
荒船を諦めるために、荒船に許されないために、そして、私のためにしたことが、まさかこんなことになると思うだろうか。
荒船が好きだ。
でも、荒船に同じように思ってもらおうなんて。もっと良い人がいる、だなんて。
それでも、もし、仮に、万が一にと考えてしまったこと。まさか、本当に。言っても、良いのだろうか。
口にしないだろうと思っていた言葉は、想像以上に震えて発された。
「…………荒船が、すき……」
「……おう」
唇に伝わった温度は、今度は荒船からのものだった。
荒船が好きだ。
荒船も、私のことを好きらしい。
■荒船哲次は引き止める
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