「夢か……。」

 悪夢の類はここ暫く見ていなかった。ただでさえ気落ちする夢なのに、忘れた頃に見てしまうと、余計に気が滅入る。
 起きたばかりなのに、何だか疲れたなと思いながら、視界の端に映ったデスクの上に、益々疲れた気分になる。

 デスクの上は、無惨から届く、意図の読めない贈り物が積み重なっていくせいで、左端に塔が築かれつつあった。
 
 奴からの言葉なんて、自分の見えないところでひっそりと風化すれば良い。
 そう思って、最初に届いた、伴侶を自称する迷惑極まりないメッセージカードは、蝶の姿に変えて庭に放った。
 するとあのカード、送り主である無惨の元へ帰ってしまったらしい。庭を少し飛べる程度の魔力しか込めなかったのに、しぶとい生命力を持ったようだ。……送り主に似たに違いない。

 それからというもの、帰ってきたカードを都合よく解釈したらしい無惨から、花束が毎日届くようになってしまった。
 数日間は、不審物を庭に置くのを止めろとクレームを返していた。
しかし、無惨は勝手に「永遠の伴侶」を自称するような、厚かましい男だ。クレームを出した次の日も、まるで応えた様子はなく、薄紅色の胡蝶蘭とかすみ草の花束が届いた。ウエディングブーケのような形状をしているのが苛立たしく、それでいてセンス自体は悪くないと感じてしまうことが腹立たしかった。

 当初は諦めて、これまでの痴漢行為に対する迷惑料として仕方なく受け取っていたが、受け取ってばかりでは魔術の基本である等価交換に反する。華族としての礼を失することにもなるので、大変不本意なことに、こちらもささやかなお返しを贈るようになった。
尤も、自分が贈ったものといえば、本国では幼児向けの英語の絵本で、「貿易社長殿のお勉強に役立てたまえ」のメッセージも相まって、嫌みのようなものだったが。

 そんな小さな嫌がらせもやはり大した効果はなく、贈り物は止まなかった。強いて変化を挙げるならば、それなりに悔しかったのか、メッセージカードが全文英語で届くようになったくらいである。自分の教室の学生であれば、その向上心を評価したいところだが、無惨にこんな形で示されても迷惑なだけだった。
 その他にも紆余曲折のあったせいで、使い魔で返品したり無視したりすると、宝飾品のようないろいろな意味で重い物が届いてしまい、余計に面倒なことになってしまうことが分かったので、意図の分からないまま贈り物を受け取ってしまっているのが現状だった。

「……そろそろ魔術工房の土地候補を見にいくことにしよう。」

 無惨に遭遇するのを避けるため、暫く土地探しには繰り出していなかったが、住所が知られ、不審物を一方的に贈られ続けている以上、ここは捨て置き、新たな拠点へ可及的速やかに移るべきだ。




 昼間そう考え、勇んで新たな候補地へと来た訳だが、自分は今、大規模犯罪を目の当たりにしているかもしれない。

今回の候補地、那田蜘蛛山は、深い霧に覆われた肌寒い気候が、ロンドンの夜に似ていた。
 故郷と似た空気に郷愁を感じ、ここを工房の土地としようと決めたところで、山頂から人の降りてくる気配を察知し、雫は息を潜めた。

 そうして目の前を横切っていったのは、目だけを露出する不思議な頭巾を被った黒装束の者たちだった。複数名の同じ装束の者。動きからも、組織だっていることは見てとれるが、軍人の制服はこんな見るからに怪しい風貌のものでは無かった筈だ。
 そうして息を潜めて見ていると、軍人には見えない、傷だらけの少年たちが運ばれていった。

(……これが噂に聞く山賊の人さらいか、なんて野蛮な……。)

 止めに入るかと一歩踏み出したが、直ぐに退がって大木の影に隠れた。嘗ての聖杯戦争で、「ちょっと、伝統ある魔術儀式なのに、魔術師殺しを雇って変な動きをしてますよね。止めてくださいね?」と余計なお節介を言いにいったせいで、魔術回路を失い、あの惨めな末路を辿ったのだ。それを思えば、自分から火種に飛び込むような真似はしたくなかった。

 この山を丸々私の土地にしたら、君たちのような野蛮人の犠牲者は出さないようにきっちり管理してあげよう、と人さらいの行列に拐われていく哀れで無力な少年たちを見送っていると、顔のほんの数センチ右に、風を切って何かが飛んできた。

淡い桃色の刀が背にしていた大木に刺さっているのを認識した瞬間には、春の野花のように可憐な少女が目前に迫っていた。

「カナヲ、いきなりどうしたんですか?……あらあら、」

今日は厄介事が多いですねえ、と蝶を模した羽織を纏った女が、カナヲと呼ばれた女の後ろからやって来て、これ見よがしな溜め息をついた。

「こんばんは。こんな夜にお一人でどうしたんですか?」
「こんばんは、レディ。答える義務はない。私のことはどうぞお構いなく。」

 スカートの裾をそっと持ち上げ、夜会にでも来たかのように、雫はうっすらと上品に微笑んで一礼した。

羽織の女は穏やかな笑みを作り、雫は高慢にフッと唇をつり上げる。笑顔の二人の間に流れる空気が何故か冷えていくのを、黒子のような者たちが遠巻きに見守る中、ずいっと雫に近づいた者がいた。

「何をしている。」
「おや、ミスター・富岡、御機嫌よう。君も彼女のお仲間かな?」
「何をしていると聞いてるんだ……!」
「べ、別に私がどこで何をしていようと、君には関係ないだろう。」
「お前はっ!鬼の首魁に狙われているんだぞ!危ないと分からないのかッ!」

 義勇に目を覗き込まれながら、両肩を掴まれ、声を荒げられ、雫は丸い目をさらに丸くした。
この寡黙な男がこのような怒り方をするとは思っていなかったし、雫は怒鳴られるということが初めてだった。

「わ、わ、私だって、あの変態が関わって来なければ、こんな山を徘徊したりはしない!家の所在を知られた上、毎日のように不審物を送り付けられている私の身にもなってみろ!」

 初めて、しかも身内でもなければ旧知の仲でもない義勇に怒られて、雫は子供が癇癪を起こしたように怒鳴り返した。
 
 星明かりに煌めく、緩やかな月色の髪。長い睫毛の奥で、宝石のように輝く青い瞳。
 群青色の、夜目でも上等な生地だと分かる洋物の服。そこから覗く、華奢な手足。
 西洋の骨董人形が命を吹き込まれたかのような雫の見目やその振舞いで、この少女が自分達とは明らかに違う環境で育ったのだということを、その場にいた誰もが理解した。
 お館様から保護命令の出ていた少女に違いないが、どう連れていったものかと皆が踏み出すのを躊躇するなか、一人の隠が柱たちの前に進み出た。

「あの、自分達が何とかしますので、柱のお二人は、どうぞ……。」

 遠慮がちに頭を垂れてそういった隠に納得した様子の蝶の羽織の女は風のような早さで去っていき、薄桃色の刀を投げてきた少女も、力を込めた様子もなく、大木に深く刺さっていた刀をするりと引き抜き、そのまま去っていった。
 それを見届け、隠の男は口を開いた。

「貴方は鬼の首魁に狙われています。私たち『鬼殺隊』が保護するので、着いてきてくれませんか?」
「鬼殺隊だと?」
「はい。詳しい説明は道中でします。」
「信用できると思うのかね?私には君たちが人さらいにしか見えないのだが。」

凪いでいた筈の山に、ざあっと荒ぶような風が巻き起こった。見えない壁となって雫を守るような風に、まるでこの少女が意図的に風を操っているようだと、息を飲む音、後退する足音が幾つも上がった。

皆が化物を見たような顔をする中、一人だけが雫に手を伸ばした。

「ミスター冨岡!放したまえっ!」
「……」

義勇が、伸ばした手でひょいっと雫を俵担ぎにすると、そのまま走り始めた。

「レディをこのように運ぶ奴があるかっ!」
「……舌を噛むぞ」
「……君こそ、軽い火傷ではすまないぞ。」

 この礼装は、無惨の痴漢対策用に設えたものだ。魔性特攻が効かない分、人間の男が触っても無惨が触るよりはましな怪我で済むが、それは飽くまで一瞬触れた場合の話だ。何時までも触れてくる者が堪えられるようには作っていない。
 存外軽傷だが、義勇の手が日焼けしたばかりのような、赤い肌になっているのが視界に入る。どこまで走るつもりか知らないが、このまま自分に触れ続ければ、手は爛れて膿だらけになることは明らかだ。

「……一度降ろしたまえ。その手は治してやるし、説明次第では、大人しく君たち鬼殺隊とやらの保護を受けてやろう。」
「……良い。」
「良い訳があるか。手がボロボロの君に私を抱えさせていては、私が虐げているような誤解を生むであろう。それに、剣士たる君の手や腕が傷だらけでは、何かあったときに、貴人たる私を誰が守るというのだ?もっと自分の価値というものを、正しく理解したまえ。」

 義勇がハッと息を止め、ぴたりと足を止めた。相変わらず無言だが、「さっさと私を降ろして手を出せ」と言うと、男にしては白くて決め細やかな腕を差し出された。少し赤いどころではない。酷いあかぎれのように、指先が爛れていた。

「全く。君だって、この服に触れた瞬間に危険な物だと分かった筈だ。態々触れずとも良かっただろうに……。私のことなど雑兵に任せれば良かっただろう。」
「朝起きたら、居なくなっていた。」
「……ああ、先日のか。それが何か?」
「……心配した。」
「心配……。」

 雫は、この冨岡という男の考えることがまるで分からなかった。前世でも今世でも、怒られたこともなければ、心配されたこともなかった。
前世の最期に係る一連を除いて、いつだって自分は、魔術師として正しい道を歩んできた。成功するのが当たり前だった。
 何故、利害関係もないほぼ他人の彼が怒ったり、あまつさえ心配したりするのか、理解が及ばなかった。

「君の言うことはよく分からん。……だが、まあ、この傷で顔色ひとつ変えず、私を抱え続けたことは評価しよう。仕方がないから、君が私を目的地まで安全に運ぶことを特別に許可する。この高貴な淑女(レディ)に触れることが出来るのだ、感謝したまえ。」

 こくりと頷くと、義勇がまた俵担ぎをしようとするので、雫はそれを叱咤し、横抱きにされることで渋々妥協した。



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