相手の家を訪れ、見舞いの言葉を述べながら基本情報を収集してみた雫は、自分の結婚相手は無惨という名前であることを知った。そのネガティブな印象の名前を聞いて、雫は前世イギリス人だった自分が日本語の翻訳を間違えている可能性を疑った。思わず女中に聞き返したが、無惨で合っているらしい。
……ロシアの一部地域では「そうならないように」と敢えて悪い意味の名前をつけることもあるそうだから、雫は彼もきっとそうなのだろうと思うことにした。

 さて、無惨という男、仮に不快な男だったとしても、自分が手を下す必要はなさそうだ。
女中とともに無惨の住まう屋敷へとやって来た雫は、結婚相手の顔も見ないままそう結論した。
都で流行病が蔓延っているため、今は病人に近づきたくないと思うのは割と自然だ。だから流行病を恐れて一時的に人がいないということならば理解できるが、無惨の住む離れは人の気配が殆どなく、角に積もる埃を見れば、その状態が今だけでないことも明らかだった。
離れは本邸と随分と離れたところにあり、庭の構造上風も当たりやすい作りになっている。そして平民の家よりマシだろうが、本邸に比べて壁面の造りが雑で、入らずとも隙間風の酷さが予想できる。
これではさっさと死ねと言っているようなものだ。
才気が溢れるという噂も聞かず、病弱でも殺されずに生かされているのだから、それなりに大切にされているのだろうという見込みの誤りに、雫はふうと溜め息をついた。

――まず結婚を頷かせるために簡単な暗示をかけて、今日は日が落ちる前に退散しよう。
自分が愛しているのはソラウだけで、結ばれたいと思っているのも彼女ただ一人だ。
病弱な男が野垂れ死にしようとどうでも良い。

笑顔を貼り付けることすらせず、雫は事務的な声で襖の向こうへ呼びかけた。

「失礼します、お見舞いに参りました、雫と申します。」
「……入れ。」

病弱だと聞いて少年のような声を想像していたが、思っていたよりも男らしく低い声が部屋の中から響いた。
襖を開け、礼をしていた頭を上げる。
「こんな病人のもとにしか嫁に来れないような女とはどのような醜女かと思えば、年端も行かぬ娘だったとは……。」
平時の雫であれば、恐らく自分の方が年上だと丁寧に訂正したが、無惨の言葉は殆ど聞こえていなかったので、その皮肉への返答はなかった。

長い睫毛が覆う、強気な印象なのにどこか虚ろな愁いを帯びた瞳。

「ソラウ……。」

愛していたのに、絶対に自分を見てくれなかったひと。自分の愚かさのせいで、残酷な運命に巻き込んでしまったひと。守りきれなかった、大切なひと。
自分の夫となる無惨という名前の男は、嘗て自分が魔術師ケイネス・エルメロイ・アーチボルトとして生きたときの婚約者、ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリに目元の印象だけはそっくりだった。



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