はじめまして、愛しいひと

 夫となる予定の病弱な男の代わりに、どこの誰とも知れぬ男が自分を抱きにくるらしい。
そんなとんでもない事態の渦中に巻き込まれてしまい、考え得る万全の対策はしたものの、雫は前世においても経験したことのないような、不安で眠れぬ夜を過ごした。
しかし結局、何の対価も払わずにこの身を抱こうとした不届き者は一晩中姿を現さなかった。
女中の噂だと、道中で夜盗に遭遇して身ぐるみを剥がされて逃げ帰ったそうだ。体を許す気は更々ないが、せっかく今生で初めて作った魔術工房(対痴漢用)の成果を確認したかったので、全裸になろうとも訪ねてきて欲しかった。大変残念なことである。
余談だが、このとき、「それは残念……。」と珍しく本気で肩を落としている雫を見た女中たちは、男性と契る経験を逃したことを残念がっているのだと勘違いして、妙な気を回してしまった。
 そのせいで、「お前を抱いてやろう」と斜め上の親切心を持った男や、「手を出しても責任取らなくて良いらしいぞ」との風説の流布を信じた男が雫の屋敷を訪れる事案が後を絶たなかった。結果、どの男も門のところまでしか来れず、後に大なり小なりの不幸に見舞われたことから、「あの屋敷の妖憑きのところへ夜這いに行くと呪われる」という噂が流れ、あっという間に誰も寄り付かなくなった。
大した呪いはかけていないはずなので、門くらい突破して庭までは来て欲しかった、苦労して作った魔術工房の真髄を見せたかったと雫は不満に思ったが、存外の数の被験体が対価なしで集まってくれたのだから良しとすることにした。
この件について、身の程知らずで浅慮な男たちには全く悪かったとは思っていない。むしろ猿並に浅はかな行動の結果どうなるかを、このロード・エルメロイがわざわざ手間と時間を割いて教えてやったのだから、愚か者どもは目に見える形で感謝を示すべきだと思っている。
しかし、さすがにやり過ぎたと雫が反省したのは、痺れを切らした父が件の病弱の男よりも更に条件の悪い、身分なんてほぼ平民と言って良いような男と自分を結婚させる気であるようだと気づいた時だった。雫は自己保身のための危機管理能力は元貴族の当主らしく卓越しているので、光の速さで病弱の男との結婚に頷いた。さっそく「お見舞い」に行きたいと提案し、内情視察することも勿論忘れなかった。

もともと雫は病弱な男が嫌で先日の暴挙に出た訳ではない。誰とも知らぬ男とそういった行為をするのが嫌だっただけだ。
嘗てソラウに一目惚れしたときは心が踊り、彼女との結婚という言葉には特別な響きを覚えて一人でニヤつくこともあったが、そうでない場合の「結婚」について、雫は前世の考え方に引き摺られるかのように、実に貴族の当主らしい考えを持っていた。

――結婚なんて、家同士の結び付きを強くするための手段である。

魔術師であれば、両家の才能を持った、より質の良い後継を残すことが加わる訳だが、兎に角、雫は愛がなくても結婚できる、言ってしまえば冷めた部類の人間であることは確かだった。
なので、さっさと結婚して家同士の結び付きは強め、自分の権力基盤は固めつつ、夫が不快な部類の人間だったら毒なり呪いなりの手段でこの世から退場頂けば良いと思っている。
貴族らしい上品な所作で、相手の家の者たちにさも心配そうに眉を下げて見舞いの言葉を述べながら、内心では悪びれもせずそう思っている。自分では普通の人間の気持ちも分かるようになったと自負している雫だが、考え方の基本は前世と変わらなかった。



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