さようなら、愛しいひと

 私を愛しているならば。
共に生きたいと思っているならば。
同じ食事をし、同じ景色を見て、同じ幸福の中で永遠を過ごしたいとは思わないのか。

「……君にしては、随分迂遠な聞き方だな。」

薄暗闇でも月色に輝く、絹糸のように柔い髪を耳にかけながら、雫は微睡むように微笑んだ。
勿体振らず答えろと無惨が目で促すと、雫はぷるりと瑞瑞しい唇に手を添え、思案げに睫毛を伏せた。

「勿論そう思っているとも。」
「ならば何故、私と同じにならない。」

常々感じている不満だからか、これを口に出したところで、無惨は不思議と爆発的な怒りは沸かなかった。

「二人とも昼間は動けないとなると、有事の際危険だ。」
「昼間も動けるようにすれば良いではないか。」

 つまらぬ庭だと言えば翌日には多くの花が庭を彩った。それを見て、青い彼岸花を咲かせろと言えば、何故か真っ青な薔薇の花束を渡された。
女中がいないことを不便だと溢せば、翌日には女中がいた。その身だけでなく衣服さえも辰砂色に光る面妖さはあったが、命じたことを忠実にこなし、“まとも“な人間の女中よりも余程まともな働きぶりを見せる女中だった。
 そのようにして、雫は無理難題のようなものであっても、気が向けば願いを叶えてしまう。……多少、望んだ形とは違う結果になることもあるが、彼女の世とのずれを今更指摘しても仕方のないことだ。
 何れにしても、その通り能力はあるのだから、彼女の食指さえ動けば、自分が太陽を克服した鬼となり、彼女も同様の存在になるということは、そう難しいことでなないのだろう、と無惨は思う。
何でも叶えてきた雫が、何故、この問題だけを有耶無耶にしているのかが、無惨には分からなかった。

「……今回も理想の王の慈悲があるとは限らない。」

陶器のように白く滑らかな雫の指が、その細く折れそうな首を右から左へとなぞる。頸が繋がっているのを確かめるような、不吉さを感じさせる動きだった。

「お前の方が迂遠だ。何を言いたいのかさっぱり分からぬ。」
「…………楽に死ねた方が良いこともある、ということだ。」

旧い出来事を思い出すかのような表情になり、雫はすうっと微睡むように目を閉じた。
鬼になれば、強靱で、不老不死とも言える身体が手に入るのに、雫がこうして渋る理由が分からない。産声を上げた時から、否、母の胎内にいた時から死の影と隣り合わせだった無惨には、「楽に死ねた方が良い」等と言う雫の言葉は露程も理解できなかった。

「何れ、今人の身で無くなると、折角授かったこの子の存在維持が難しくなる。全てはこの子を産んでからだ。」

すっかり膨らんだ腹を、夜着の上から雫の小さな手が何度も撫でる。
その腹を撫でる手を、無惨の紅々とした瞳がじいっと見つめていた。




――子など、不要だった。
 雫に求められるまま契ってからというもの、殆ど毎晩、互いの熱を奪い合うような情交に耽っては来たが、無惨は特段子供が欲しい訳ではなかった。

 無惨は、雫と情交を結ぶという行為自体は好んでいた。
女とは思えぬ、否、男ですら斯様な者は居らぬだろうという傲慢さを平時見せている雫が、己の下で弱々しく喘ぐ様は気分が良く、また、彼女と共に絶頂へと登り詰める瞬間は、形容し難い多幸感に包まれた。
 そうして幾晩も交わった結果、雫は世の女子と同じように子を身籠った。
 身籠ったと雫から弾む声での報告を受け、彼女の薄い腹がほんの僅かに盛り上がっているのを目にしても、無惨は依然として、子には何の感慨も、愛情も湧かなかった。

 むしろ、日に日に彼女の愛情を自分から奪っていく腹の中のモノが疎ましい程だった。
 これが雫の腹から出てきたら、次は子など孕ませぬように交わろうと、雫の横顔を眺めながら、無惨は秘かに心を決めた。
「早く、産まれると良いな。」
(――さっさと雫の腹から出ていけ、邪魔だ。)
雫へ言わなかった本心を掌に強く念じながら、無惨は難しい表情で雫の腹を撫でた。胎児が何かを感じ取ったのか、反抗するように、掌に何かの当たるような感触があった。

「ああ、今君の手を蹴ったね。」
「……生意気な。」

 ふふっと、雫は微かな声で笑い、そのまますうっと眠りに入った。何時もの、人を腹立たせる小馬鹿にしたような笑みではなく、春の花が咲くような、穏やかな笑顔を浮かべていた。
 子はやはり可愛くもなく、不要な存在だが、この雫との穏やかな日々は、永遠に続けば良い。
 何故雫も同じように思ってくれないのかが、どうしても分からず、穏やかに眠る雫を責めたい気持ちで、無惨はひとり顔を歪めた。



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