さて、前世程の力があれば、彼ら全員に忘却魔術をかけることも可能だが、今の壊れた魔術回路では、即席で出来ることと言えば、ガンドを飛ばしたり、ちょっとした幻術をかけたりする程度だろう。
これも全てアインツベルンの卑怯極まる魔術師殺しのせいである。奴には末代まで呪いあれ。

 ここにはいない黒コートの男に心の中で悪態をつきながら、雫は幾つか想定したプランのうち、一番効率の良さそうなものを採用することにした。

まず、「娘を返せ」と言い、真っ先に飛び掛かってきたあの男。奴が一番気に食わなかった。獣肉も口にしない無惨が、人肉など食うはずもないのに、人食い鬼と侮辱し、屠ろうとするとは何事か。しかも一人ではまともに敵討ちも出来ず、有象無象と徒党を組む有様だ。こういった善意を唄う無責任な大衆が、フランス革命においては罪の無い者を屠り、魔女狩りにおいては魔術など到底使えない一般人を屠ったのだ。
主導者である彼は、生け贄の羊スケープ・ゴートにしてしまおう。

「ガンド」

 角を曲がり、いち早く追いついてきたその男が、斧のようなものを自分の頭目掛けて振りかぶってくるのをかわし、雫は呪い(ガンド)を飛ばした。男が怯んだ瞬間に、彼を物陰に引き摺りこみ、ちょっとした幻術をかけてやった。

「貴様らは神童たる私を手にかけようとした。これ以上続けるなら、神は必ず貴様らを罰するだろう。」

 聖杯戦争で目にした半神の英雄王のように、尊大な言葉を雫は口にした。実際、時計塔においては「神童」と呼ばれていたのだから、嘘は言っていない。

――さて、舞台は整った。今の言葉は、彼らにとって呪いとなり、あとは人形劇グラン・ギニョールのように彼らが自分のシナリオを勝手に演じてくれるだろう。

「good by forever.」

 別れの言葉を述べ、他の者たちが追ってきているであろう道へ男を軽く突き飛ばすと、雫はさらに角を曲がり、無惨のいる屋敷へ急ぐことにした。

 少女にしては強い力で突き飛ばされた男は、どすんと尻もちをついた。
 後ろから追い付いてきた仲間たちに情けない姿を見せまいと、男が立ち上がろうとしたときだった。
激痛が、腕を襲った。
仲間の、薙刀が腕に刺さっている。

「ああぁぁああ!!」

腕を押さえて蹲ると、動くなとでも言うように、薙刀が男の腕へさらに深く食い込んできた。

「やめて、やめてくれ!いったいどうしたんだ!」

立ち上がろうとする男に、仲間のはずの皆が、次々と武器を向けていた。

「この人食い鬼が!」
「恐ろしい化け物!!」

違う、違う!それは自分じゃなくて、あの男と、あの女だ。
彼は必死で女の逃げた方を指差したが、誰もその方向へ目を向けはせず、武器も変わらず振り上げられた。

「その手に握ってる斧は、あいつが家族を支えるために大事にしていたもんだ!お前みたいな化け物が持って良いもんじゃないんだよ!」
「あいつのことも食いやがったな?さっさと吐け!この人食い!」
「ぉごっ!……ぅ、げぇっ……!」

腹を蹴られ、逆流してきた胃液を吐き出すと、何人かはニヤニヤと下卑た笑いを浮かべている。
 仲間だった彼らには、男の姿は先ほど逃げ仰せた雫に見えているようだった。叫ぶような男の悲鳴も、彼らには届いていない。

 自分はただ、帰ってこなくなった娘は人食い鬼にやられたと聞いて、仇を取りたいだけだった。若く、器量の良かった娘には、きっとこれから幸せがあるはずだったと思うと、泣き寝入りなんて出来なかった。
 他にも無念の者がいたなら、一緒にそれを晴らそうと思って声をかけたし、頷いた彼らも同じ気持ちだと信じて疑いもしなかったのに。何故、仲間だった彼らは死にかけの獲物を徒に嬲るように、自分を攻撃してくるのだろう。何故、その表情に愉しさが浮かんでいるのだろう。
同じ人間だというのに、どうしてこのような真似ができるのか。
 疑問は消えぬまま、見たことのない量の血は自分から流れ出していき、手足の感覚も無くなってきた。このまま、自分だけが嬲り殺され、彼らはのうのうと暮らすのだと思うと、理不尽さに怒りがこみ上げてきた。

 そうして男が虫の息になってきたところで、雫の施した幻術が解けかけ、やっとこの者が妖憑きの女でなく、自分達の主導者だということに気づく者が現れた。

「やめろ!」

彼が止めても、集団心理なのか、個人の性質なのか、幻術に気づかず攻撃を続ける者もおり、止めるように言った男は殴ってそれを止めた。

「妖憑きめ、卑怯な……!」

幻術が解け、もとの男の変わり果てた姿を目にすると、皆は口々に雫を罵った。しかし彼らは罵るばかりで、雫を追おうともせず、自ら虫の息としてしまった男への謝罪の言葉も心配の言葉もなかった。
虫の息となった男は、一番最後まで自分を攻撃していた男の袖を掴み、暗澹としているのに、どこか力強い瞳で男を見据え、口を開いた。

「神童に手を出したから、神罰が下った……お前らも、全員地獄行きだ……」

男の目から完全に光が失せ、怨嗟を滲ませながらの不吉なそれが、彼の遺した最後の言葉となった。
死んだ男の額に、たった今血で書いたかのような真紅で「神罰」の文字が滲んだのを見て、蜘蛛の子を散らしたかのように男たちは逃げていった。
 「神罰」を恐れた彼らは、その後の生涯において、二度と集うことはなかった。



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