本当の化け物は

 じとりと熱を持った体の不快感に目を覚ました無惨は、医者の頭に刃物が刺さっているのを見て愕然とした。
 どう見たって、自分が刺したに違いなかった。

「雫に……」

 雫に、見られたらどうしよう。
一人の人間の命を奪ってしまったこと、これから何某かの裁きを受けるだろうことよりも、頭に浮かんだのは、雫がこの惨状を見てどう思うかということだった。
「ひっ!」
思考が追い付かず、無惨が立ち尽くす中、夕餉の準備に女中が訪れた。女中が手から膳を落とし、青褪めた顔で腰を抜かす。
「ば、化け物……!」
ガチガチと歯を震わせ、無惨から目を逸らせないまま、女中はじりじりと後ずさる。
 女中の言葉に、無惨は目を見開いたが、死にかけの虫のように這いずる女を見ているうち、言い様のない空腹感がせり上がってきた。
 その食欲のまま捕まえた女の瞳には、額や頬に幾筋もの血管を浮き立たせ、毒蛇のようにぎらつく瞳の自分が映っていた。



 さて、無惨の元を薬師が訪れた頃、海を渡っていた雫は、使い魔の鴉から重大な報告を受けていた。

「……死んだ?」

種馬として目を付けていた男は死んだらしい。ではもう用はないな、と雫はあっさりと引き返すことにした。
 こんなこともあろうかと、二番目の男は既に見つけてある。鴉の報告だと都の近くらしく、無惨の様子が心配なこともあり、雫は一度屋敷へ帰った上でその男の元へ行くことにした。
 道中の山で、食欲がなくても食べやすい果物や、香りの良い枝を見つけ、無惨への土産にと、見つけたものをもいだり手折ったりしているうちに、屋敷近くの町へ着く頃には夕暮れとなっていた。
 
 町を抜け、屋敷の近くまで来ると、薙刀や刀子を持った民が落ち着きなく屯していた。
 統率されていない有象無象の騒ぎ立てように、農民の暴動かと雫は通りすぎようとしたが、それにしては不自然な点が多く、雫は足を止めた。
 彼らの持つ武器は農民の持つにしては随分と高級で、逆に鍬や鋤といった農具を手にした者はいない。身なりもそれなりに整っており、少なくとも土仕事をしているような服の汚れは見られない。
 しかしやはり自分には関係ないだろうと、その集団を気にせず通過しようと雫が考えたところで、集団の一人がちらと彼女を視界に捉えた。その男が雫を指差し、仲間たちへ何か捲し立てるように声をかけると、そこにあった全ての瞳が雫に向いた。

「む、娘をよくも――!」

震える手で降り下ろされた薙刀を、魔術で強化して手で受け止める。

「娘をとはどういうことだ?それは私に何か関係ある事柄かね?」

 雫の落ち着き払った態度が白々しく見えたのか、男はますます落ち着きを無くして捲し立てた。

「お前が、お前がっ!あの男を化け物にしたんだろう!恐ろしい妖憑きめ。」

(……状況が全く読めない。)
 特定の男に何か危害を加えるようなことをした記憶もなければ、化け物が発生するような研究も特にしていないので、雫は怪訝な顔をするばかりだった。
……他の者たちが次々と声を発するまでは。

「夫を人食い鬼にして楽しいか!」
「お前も人食い鬼なんだろう!だから歳を取らないんだ!」

聞き取れた幾つかの怒号に、雫はさあっと青褪めた。

何が起きたのかは分からないが、無惨の身に何かが起きたに違いなかった。
 今度こそ、自分の魔術は完璧だったはずだ。庭も部屋も、外敵対策だってきちんとしていたし、身内の裏切りがないよう、信用ならない女中共に暗示だって強くかけた。
それがどうして。

「退いてくれ」

小さな身で、体格の良い男たちを掻き分けながら、雫は無惨の元へと急ぐ。しかし、行かせてなるものかと、数多の手が雫を掴もうと伸びてくる。

「痴れ者が。退けと言っている!」

張り上げた声と同時に、雫を中心とした旋風が巻き起こった。激しい風に土埃が舞い、目や喉に入るのに男たちが気を取られた一瞬の隙をつき、雫は逃げることにした。

「待て!」

複数の足音や殺気で、男たちが追ってきていることは振り返らなくても分かった。

 自分のいない間に、無惨は何らかの形で病から回復したようだ。
男たちを誘導するようにわざと引き付け、屋敷から遠ざけるように走るうち、雫は段々と理解した。
彼らはどういう経緯か「人食い鬼=無惨」の討伐に蜂起したようだが、その愚か者どもが無惨でなく自分を攻撃するのは、自分が少女のような見た目で、簡単に勝てそうだからに違いなかった。
しかし、それは無惨にもいえることのはずだ。無惨は、20まで生きられないとまで言われ、部屋の中を動くことにすら著しく体力を消費するような、脆弱な少年だ。無惨に危害を加えたいなら、今自分にしているように、この人数でよってたかって攻撃すれば良いことだ。それをすでにやっていれば、「妻もあの鬼のように殺せ」と言う者がいても良いはずだか、誰もそれを口にしない。
それに、無惨に危害を加えた後なら、男の方を倒したから女も簡単だろうという余裕が生まれていても良いはずだが、彼らにそんな余裕は見られない。
 つまり無惨は生きているし、恐れを抱かせる程度には健康体になったのだろう。
 
 無惨は地頭も良く、教養もある若い男で、病弱という1点さえなければ、とっくに家柄に見合うだけの出世をしているはずの人間だ。無惨が病気から回復するということは、彼の周囲の勢力図が変わる可能性があるということだ。
 つまりこの煽動の犯人は、彼の出世で自分の立場が危うくなる人物、具体には無惨と歳近い、官職の若い男、或いはその家族だろうとまで雫は推測した。
 これは魔術師同士の権謀術数の中で生きた名残による雫の深読みで、実際は無惨に親類を殺された者や、その縁者たちが義憤に集った訳だが、彼らの背景や心情などに雫が興味を持つ訳もなかった。



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