――結論する。
現在の自分の魔術回路では、無惨を治せない。
理論的には手段は幾つもあり、ケイネスとして生きた頃の自分であれば実証も可能だっただろうが、現在の自分が持つ傷ついた魔術回路では、5〜6年の延命が精々だ。

 研究を重ねて雫はそのように結論したが、如何にも名門魔術師らしい発想による解決策も同時に考えついたので、自分では無惨を救えないことに絶望はしなかった。

“自分の回路を継ぐ子供を作って、その子に無惨を治させよう。”

 根源へ至るという悲願達成のため、より優れた後継者を連綿と残していく。
古くからの魔術師にとって当たり前のこの風習から、「自分の代で出来ぬことは子孫に託そう」という発想は雫にとっては割と当たり前だった。そして、まだここまでなら一般人からの理解も得られる発想だったのかもしれない。よく分からないのが次からである。

――病弱な無惨に子作りを迫るわけにも行かないし、より優れた子が出来るよう、魔術的な素養の高い男を見つけ次第、暗示でもかけて子種を搾ろう。

 ここまでの要点だけを口にすると、「病弱の無惨を治せないので、他の男と子作りしよう」ということになり、病弱の無惨に見切りをつけたように見えてしまう。魔術師ならまだしも、一般人にはおおよそ理解できない発想だった。
 もしも当事者である無惨にこの発想を実践する気だと伝えたなら、雫は「裏切られた」と感じて激昂した無惨に殺されていたかもしれない。
 幸か不幸か、“神秘の秘匿“が第一の雫は、誰にも言わずに研究を進めていたので、そのような悲劇は起きることはないまま、事態は着実に進んでいった。
 雫は早速、演算器で得られた観測結果を元に、使い魔の鴉を何羽か用意し、条件に合う男を探させた。そして男は簡単に見つかった。
……海を隔てた隣国、中国に。

 鴉から発見の報告を受けて、「そうだ、中国に行こう」なんて言いそうなくらいあっさりと、雫は中国行きを決めた。そして、夫に何も言わずに地下へ工房を作り、日々好き放題研究を進めている雫だが、今回は不在期間が長くなるので、流石に無惨へ断りを入れてから旅立つことにした。

「暫く旅に出る。出来る限りのことはしておくが、体調や身の回りのことには十分気を付けるのだよ。」

恭しく身を案じているようなものの、部屋を訪れたときは既に旅装で、夫の自分に伺いを立てる訳ではなく、決定事項を告げる風な雫。無惨にとって非常に気に喰わないことだった。そして、普段と違う旅の装いは、自分のことを置き去りにして、永遠にここを去ってしまうことを暗示する符号のようで、不安、怒り、悲しみといったあらゆる負の感情が無惨の中を轟々と巡った。
 しかし、みっともなくわめき散らしたり、泣いてすがるような真似をしたくない無惨は、圧力をかけて雫を留まらせることにした。

「誰に許可をとってそのようなことを決めた?」
「自分で決めたが、何か問題でも?」

少女らしく大きな瞳がぱちぱちと瞬きし、小首を傾げている様子から、煽りではなく雫が本気で尋ねていることが窺える。
 この様子では言っても分かりはしないのだろうと、無惨は大きな溜め息を吐いた。だからお前は妖憑きなどと言われるのだと詰りたいのをぐっとこらえ、無惨は雫の少しずれた感覚でも通じる言葉を探した。

「夫の私が駄目だと言ったらどうする?」
「夫……」

夫であることを自認する無惨の言葉に、雫の心はすっかり舞い上がってしまった。頬を紅潮させ、青い瞳をきらきらと輝かせている姿を見ればその様子は明らかだった。
 雫は、煽てや親しい者から頼られることに頗る弱い。学問に於いては第一人者でも及ばぬ程の知識と才覚があるというのに、上機嫌になると見た目のとおり童女のような単純さになる。これはいけるな、と無惨は獲物を狙う猟師のようにきらりと目を光らせて畳み掛けた。

「雫、私の世話は誰がする?私はお前がいないと生きていけない。」

分かっているだろう、と睦言のように囁く声が雫の耳をくすぐり、陶磁のように白く滑らかな腕が蛇のように、雫の小さな身を捉えた。

「そこは安心すると良い。私が不在となる間の献立表は厨の者に渡しているし、私が不在だからといって君の周囲のことに手を抜かぬよう、女中共にはきっちりと言い含めてある。仮にアインツベルンのドブネズミのような奴が現れても、今度は返り討ちにする準備がある。私の君を守る体制は完璧だ。だから無惨、君は安心して養生すると良い。」

 無惨の思惑に反して、雫は少しも靡かず、対策に相当な自信でもあるのか饒舌になった。するりと腕を抜け、布団へ自分を寝かしつけようとする一連の動きが余りにも自然すぎて、無惨の方が危うく流されてしまうところだった。
しかしこれで流される無惨ではない。話が逸れそうになったのを、無惨は更に圧力をかけながら引き戻した。

「そのような面倒をしてまで旅に出る必要がどこにある。ここの何が不満だ?言ってみろ。」
「私の研究のために、見まみえねばならない人物がいる。ここへの不満は特にない。心配しなくても、用が終わったら直ぐに帰る。」
「研究とやらはそんなに大事か。」
「大事だ。私が“私”として産まれた意味は、きっとそこにある。」

 前世の記憶を余さず引き継いだ自分は、前世の自分が遂げられなかったことを全うすべきだ。
愛する人を守ること、より優れた後継者を残すこと。いつか自分の血族が根源に至り、魔術師の悲願を達成すること。今回の旅は、最早使命だと思えるほど、それら全てに通じている。
 嘗て、自分の不在時に婚約者が拐われ、酷い拷問を受けたことを思えば、一月近くこの家、無惨の元を離れることには心臓を捻られるような不安がある。だが、もし今を逃して5、6年だけ無惨を延命させたのでは、無惨が生を終えるのを見届けたとき、きっと自分は狂うほどに後悔するだろう。愛する人を助けられない絶望など、もう二度と味わいたくない。
 無惨が不器用ながらに自分を引き留めようとしていることをどこかで理解しつつも、雫は旅立つ意志を崩さなかった。

「……ああ、あと、これをお守りとして肌身離さず持っていて欲しい。」

 そう言って、彼女は懐から出した御守袋を無惨の手に握らせた。

「なんだ、この面妖な模様は。」
「ペイズリー…いや、この国の言葉だと松毬模様と言ったかな?生命力や霊魂と結びつけられることもある模様で、君の性質にも合う筈だ。」

 雫は大真面目に語っているが、柄として描かれているウヨウヨとした何かの模様は、初見の無惨としては正直微妙な思いだった。それを「自分に合う」などと言われても、いまいち喜ぶことができなかった。

「前から思っていたが、お前の感覚はおかしい。……何日かかる?」

 そう、雫の感覚は変わっているのだ。その感覚にいちいち怒ったり悲しんだりするのは随分と馬鹿らしいことのように思えて、無惨はふうっと大きく短い溜め息をついた。
それに、凪いだ水面のようでいて鋭利な刃物のように鋭い、静かな意志の籠る青い瞳を見れば、口先で何を言おうと通じないことも分かってしまった。

「遠くに行くから一月……30日程になる。」
「15日にしろ。それ以上は待たぬ。」
「寛大な夫を持って私は幸せだ。……行ってくる。」

きりりと戦地に赴くような面構えで旅立ちを宣言すると、暫しの別れを惜しんでか、雫は無惨の額に風邪のような口づけを贈り、鳥が飛び立つような軽やかさで、部屋を後にした。

「本当に勝手な女だ。」

小さい背中がさらに小さくなって消えていくのを見届けながら、無惨は額を手で覆うように押さえて呟いた。



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