最後の手紙と蒼月の夜

 無惨との穏やかな暮らしぶりとは違い、雫は日に日にイライラを増していった。
あれだけ文面で罵倒……もとい忠告をしてやったというのに、件の男からの傍迷惑な恋文が止まらないのである。
そもそも雫は最初から、「軽率な行いで家柄に傷をつけないためにも、夫のある女に手を出すようなことは控えてはいかがか」と、自分より家柄の良い男であるため言葉こそ控えたが、全く色気のない返事をしていた。しかも前世がイギリス貴族だった雫らしく、文章の至るところに嫌みったらしい皮肉が息を吐くように敷き詰められていた。真摯に恋文を出してこのような返信が来たなら、その男は暫く恋愛恐怖症になってしまうのではないか。そう思えてくる代物が、雫の文だった。普通の精神なら、恋文にこの返信が届いたなら、心が音を立てて折れてしまい、再び文を出すなど出来るはずがない。
 しかし、雫に秋波を送る男は普通とは違う強靭な精神の持主だったようで、最初に雫が送った文へ平然と返信してきた。
しかも「字の美しさから容貌もさぞ美しいのだと推察する」、「文面から今までのどの女性よりも教養高いことが窺え、夢中になってしまった。」等、雫からの忠告や嫌みは一切無視して一方的に愛を囁く内容だったので、出来の悪い学生以上に話の通じない男に、雫は頭を抱えたくなった。
恐ろしく前向きで、自分の聞きたいことしか耳に入らない精神構造。それが何処かの槍兵を彷彿とさせ、雫の頭は苦い記憶でズキズキと痛んだ。
 最初は出来の悪い犬を片手間に躾る気持ちで対応できていた雫だが、自分の指摘する貴族としてのマナーに関する部分が一切改善されず、薄っぺらく自分を誉めちぎる文に、すっかり辟易していた。
しかし、相手の心をバキバキに折ろうとしていたのは自分の方なのに、気づけば自分の方がポッキリと折れていましたなんて、雫の高く聳える自尊心は許さなかった。
 そんな訳で、雫は届いた文を氷のように冷えきった瞳で受け取りながらも、律儀に返信し続けていた。
 すっかりむきになり、気を立たせている様子が目にとれたので、触らぬ神に祟りなしとばかりに周囲は何も言わなくなっていた。

「もう止めたらどうだ」

 何度目かの返事の文を雫が書き終え、筆を置いた際、無惨はとうとう切り出した。
 雫が文を迷惑に思っていることは、受け取る時の舌打ちでもしそうな顔を見れば明らかではあるが、文を書きあげたときには口元にうっすらと笑みが浮かんでいる。
もちろんこの雫の笑みは、文の男よりも明らかに優れた自分の文の出来に満足してのものだったが、 そんなことは誰も理解しようがない。
自分以外の男に微笑みかけているようで、無惨はその表情を見るのが嫌いだった。
 雫が愛を注ぐ男は自分一人で間違いないはずだと、無惨は自負している。ただ、妻だからといって特段優しくしてやった記憶もなく、何がきっかけで自分が彼女の興味を引いたのかは分からない。精霊のように気紛れで、貴族の娘としては余りに自由な振る舞いを見せる雫が、心変わりして自分の元から突然消える可能性は十分にある。
そんな可能性が一抹も残らぬように、雫が持つあらゆる事象への興味を、無惨は全て自分に向くようにしたかった。そうするにはあまりにも邪魔なものが世界には多く溢れている。この間男の文は正にそういった“邪魔なもの“だった。

「今回は相手の頭でも充分ご理解頂けるような文に仕上げましたので、今度こそ最後です。」

文から無惨へと向き直り、自信満々に胸を張る雫は、初めて狩った獲物を見せに来る子猫のような可愛らしさではあったが、文の男を排除したい一心でいる今の無惨には些事だった。

「お前の言う最後というのは一体何時来る。もう文など寄越すなと言えばそれで仕舞だろうに、何故お前はそうしない。」

不機嫌を隠そうともしない無惨の低い声に、雫はもごもごと口を開いた。

「しかし、ここで退けば私が屈したかのようになってしまうし……。我々貴族の品位を保つためにも不貞を促す不躾な男を戒める必要が……。」
「その不躾な男に文を書いてやるのと、私の相手をするのと、お前にとってどちらが大切だ。」 

尻窄みになっていく雫の弁明に、無惨は重ねるように問う。疑問形でありながらも、実際は圧の強い念押しであるその問いに、雫は迷わず答えた。

「もちろん無惨、君が……貴方が大事です。私の注意を何一つ聞かずに迷惑な文を送ってくる男など、貴方と比べるまでもありません。」
「では分かるな」

 自分へと向いていた雫を再び文机の方に向かせ、彼女の背後から囁く。何が惜しいのか、なかなか筆をとろうとしない雫の右手に、墨をつけた筆を握らせてやる。
 観念したのか、文の左端に「いつも冒頭で書いている通り、いい加減迷惑しているので、文は二度と送らないで欲しい。今後は一切返信しない」という旨の文言を風のような筆運びで雫が書いていくのを眺めながら、無惨は雫の文全体へ目を走らせる。
手本のように流麗な文字が、僅かな時間で書かれたとは思えない密度で整然と並んでおり、彼女がその辺の官職の貴族よりも秀でた才を持っていることは明らかだが、そんなことはどうでも良い。
 雫が自分以外の男に一片でも愛を謳っているようなところがないか。無惨にとってはその一点が大事なことだった。
検分の結果、何度も送られてくる文への不満、送られた文への論評めいた感想ばかりが連ねられていて、恋文への返信というよりは、文の不得手な者に書き方を指導しているような文だった。特に、自分へと送られた恋の和歌を、「この部分の言葉選びが悪い」「ありきたりで陳腐な表現」「情景が分かりにくい」等と、相手の訴える恋慕を無視し、飽くまで和歌としての完成度について講評されている部分が無惨には少しだけ愉快だった。

「随分と書き始めるのに時間がかかったな?」

嗜めるような語調とは裏腹に、今度こそ文を書き終えた雫を褒めるように、無惨の青白い手が雫の月色の髪を梳いた。

「せっかく右と左の文字の量を同じにしていたのに、それを崩すことが残念で……。でも、これで無惨との時間が減らずに済むので、今は書いて良かったと思っています。」

雫の言葉で、文の男が如何に無駄なことをしているのかを知り、無惨は腹を抱えて笑いたくなった。



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