故人の命日やお彼岸の時期に、高専にお線香が届くことがある。
 宛名は大概、呪術高専東京校職員室宛だ。もし差出人が職員の名前を知っている場合、その人宛になっていることもある。わたしの名前が書かれていることもある。高専関係者が亡くなった時、わたしが遺族の元へ弔問のために訪ねる機会が多いからだろう。名刺を発注する度に、あぁそういえばたくさん渡したなぁ、なんて考える。
 お盆に届いた荷を一区切りに、わたしは一度、高専が管理する公営墓地内の事務所に向かうことにした。お墓参りの時期にちょうど良いと思った。約一年分溜まってしまった、故人への贈り物――否、お供え物――をガサリと紙袋にしまった。
 地下駐車場から高専所有車を走らせ外へ出ると、まだ午後二時だというのに空は暗かった。重い曇天が空を覆い、やがて雨が降り出した。運が悪い。これでは屋外の墓前にはお線香をあげられない。だが、それも仕方がないことだと思った。
 駐車場の南京錠を外し、敷地内に車を停める。墓地事務所の扉を開けると、埃っぽいのに湿気が同居するいやな感じがした。ひとまず換気のため、わたしはドアストッパーを使い扉を開けたままにした。砂利を打つ雨音しか聞こえなくなった。
 高専の墓地は一般人は入ることができない。本来遺族の元に届くはずのお線香が高専に届いてしまうのはそういう事情もあった。だが故人の遺族とは関係なしに、故人その人を思って何かをしたいという人が、このようなお供え物によって高専に接点を保ち続けているというのが実態だと、わたしは思う。といって、これらの送付物の処理が我々職員の業務外であることは明白だ。それでも、わたしたちの仕事が『人の想い』と密接に関わっていることは言うまでもない。たとえ送り主の知るところではなくても、その思いを無下にし悪質な感情を生み出す種に変えてしまう可能性だけは排除しなくてはなるまい。……そんな消極的な思考から、わたしがこうして業務時間内にお墓参り代行を行うことを大目に見てもらっているというわけである。
 包装紙を開封して中身を積み上げながら、差出人と、誰宛のものかを帳面に記していく。律儀な人はずっと律儀で、そうではない人はずっとそうではない。毎年、名前が連なっていくのは同じ人だ。差出人の方は、何年かで区切りをつける人もいる。その事情にまで思いを馳せていたらきりがないので、わたしは無心で『供物ノート』に新しい線を引っ張り、人物名のメモを書き続けていった。
 持ってくる時に使った紙袋に、昨年分のお線香の箱を入れた。棚に生まれた空間には新しいものを積み上げる。古いものは持ち帰って処分するのだ。袋から薄い埃が舞い、わたしは素早く顔を下に背けた。
 雨がやや小降りになったので、ビニール傘を片手に外に出た。過去に呪詛師による墓暴きの事件が起こって以来、対策のために墓石にはただの一つの字も掘られなくなった。わたしはのっぺらぼうの墓標の前をゆっくりと歩いた。本当は、届いたお線香の数だけお参りをする予定だった。雨でお線香があげられなくとも、足を止めて向き合い、手を合わせるだけの動作だけでも、と思った。顔を上げると、山の斜面に段々と連なる百基以上の灰色。対象のお墓は精々二十程度だ。足元に視線を落とすと、雨で跳ねた泥がパンプスを汚していた。その短い時間に、雨は強くなっていた。

「…………」

 わたしは顔を上げ、脇に挟んでいたノートを開いた。指で自分の書いた字をなぞり、目的の墓標の位置を確認する。目印の名前がないだけでお参り代行は大変な作業だ。でもやり遂げよう。そう思った。濡れた泥がストッキングを伝い落ちて、冷たかった。
 最後の一基に手を合わせた後、わたしは安堵の息を吐いた。そして、迷いの無い足取りで別の墓標へ向かう。唯一の同期だった女性のお墓だった。雨があんまりひどいので、気分は落ちたが涙は零れなかった。今年もここへ来れてよかった。それだけを思った。
 坂を下っていくと、事務所の入口に人影があることに気付いた。同時に、フェンスの向こうを黒い高専の車が走り去っていくのが見えた。誰かが来たらしい。遠くからでもわかる大きな身体だった。仕立ての良い布張りの傘と、その影に隠れるグレーのスーツ。七海さんだった。

「……、七海さん……」
「貴女ですか」

 お互いの進行方向に向かって歩いていたので、対面はすぐだった。驚くわたしとは対称的に、彼はちっとも動じていない表情だった。どうしてここに?と尋ねると、彼は表情一つ変えずに言った。

「貴女が泣いているのではないかと思って」

 それは果たして、七海さんがここにいる理由の答えではないような気がした。事実、わたしは泣いていなかった。ぼたぼたと、並んだ傘から落ちる雨の雫がわたしたちの視界を隔てる。
 七海さんは何も言わないわたしに「灰原のお墓参りに来ました」と、付け加えるように発した。あ、とわたしも声を零す。

「……わたしもお参りしたいです。ご一緒していいですか」

 七海さんはええと短く答え、わたしを先導して歩き出した。目印などなくても、場所はわかっているらしい。七海さんの背中はいつもと何も変わらないで、まっすぐに伸びていた。わたしはそれをぼんやりと見つめていた。
 お墓の前に並んで、静かに手を合わせた。それだけだった。七海さんは泣かなかった。だけど、灰原さんの死の瞬間を思い返したりするのだろうかと、そんなことを思った。その考えに至った瞬間、わたしは一年分のお線香の箱の山を思った。添えられていた手紙のことを思った。呪いの関係者として死んだ大勢の家族や友人を痛ましく、でも誇りに思っていた大勢の呪術師や非術師の人々の存在を思った。
 遺族の弔問の後、わたしは実によく泣いた。毎度こんなことでは仕事にならないと理解していても、送迎の運転手をしながら、昼食を摂りながら、伊地知さんのおろおろする眼前や五条さんの大きな背中の影や、誰もいない空き教室で、泣いた。涙が出るのは、悲しい出来事の直後はどうにもならないと諦めていた。わたしは泣き虫だった。それは、七海さんにも当然バレていた。

「ありがとうございます。……波月さんのお墓はどこですか?」

 わたしは七海さんの隣で、彼が予言したかのようにぼろぼろとみっともなく泣いた。わたしの唯一の同期・波月の名を口にした瞬間の声がとても優しかった。涙はいよいよ止まらなくなった。雨はいつの間にか、また少し小降りになっていた。
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