「声が出なくて、耳も聞こえなくなった?」

 眼前に立って訝しげな表情を浮かべた真希ちゃんが口を開き、わたしの隣の狗巻くんが頷いている。真希ちゃんの言葉の内容はわたしの想像だが、おそらくそんなところだろう。
 下がった眉尻の下、大きな四つの瞳と視線が絡み合う。自分が情けなくて、涙が出そうになった。

 狗巻くんの任務に同行したわたしは、彼と共に準一級呪霊と相見えることとなるのだが、ハッと目を見開いた狗巻くんがわたしの肩を押した瞬間、周囲の音声全てが遮断された。
 直後、眼前の呪霊は花火のようにパッと弾けて、青黒い体液を撒き散らしながら事切れた。経験から察するに、狗巻くんの呪言は「爆ぜろ」とか「弾けろ」だったのだろう。地面に尻もちを着くわたしに心配そうに駆け寄ってきた彼は、わたしの肩を揺すりながら、何やら声を掛けていた。その口許には血の跡が擦れていた。

『わたしは大丈夫だよ。それより、狗巻くんは大丈夫?』

 狗巻くんの表情が異常を察して歪んだ。そこでわたしは、聴覚だけでなく声まで失ったことに気付いた。
 彼の言葉が、言葉そのものではなくておにぎりの具のかたちをしているのは随分と前から知っている。だから、彼の言いたいことが「大丈夫?」とかそういう内容であったことは想像がつく。それでも、その声が聞こえないことを無性に寂しく感じた。

 家入さんの治療を受けた。自らの耳をトンと指差し、僅かに頭を傾けた彼女に、わたしは首を振って答える。静寂の中、家入さんは筆談で考えを伝えてくれた。
 呪霊の気配は治療で消えたが、術式効果の消失まで数日かかるかもしれないから、様子を見よう。そんな感じの内容だった。
 わたしの背後で、狗巻くんが静かに立って一緒に話を聞いている気配があった。

「棘が何も言わねえ」

 明くる日、真希ちゃんが言った。言っても聞こえないので、ボールペンでノートに走り書きした文字をペン先でトントンと叩きわたしに見せる。
 言わないってどういうこと? わたしが首を傾げると、唇の動きからそれを読み取った真希ちゃんは「さぁ」と言った。言ったのだと、思う。
 その日、注意深く狗巻くんの制服の襟から覗く唇を観察してみると、確かに真希ちゃんの言う通りのようだった。

『な、ん、で。狗、巻、くん、わるく、ない』

 背後から襟元を引っ掴んで、狗巻くんを強引に振り向かせ、わたしは言葉を紡ぐようにゆっくりと唇を動かした。
 どうやら通じたようで、彼はゆるりとかぶりを振った。その反応にわたしは同じ動作で応える。
「きもち、が、わかる、と、おもった」。彼は唇の動きでそう告げた。

 そんなのはいらない。そう告げたくて、それなのに声が出ないことが悲しかった。
 優しいあなたの気持ちは、真希ちゃんやパンダくんたちに平等に、否、強い彼らにはもっとたくさん注がれるべきもので、あなたの力になれずに足を引っ張ったわたしに受け取る資格なんてない。
 狗巻くんの優しい声が、秘密の暗号みたいに意味をもつおにぎりの具が、愛おしくてたまらない。
 わたしの耳に、わたしの弱々しいすすり泣きが響いてくる。目の前で狗巻くんが驚いたように目をまるくして、よかった、と唇で告げた。さわさわと、初夏の葉擦れの音が脳に届く。自然と涙が落ちた。

「しゃべって。聞こえるから」

 狗巻くんがあ、と気付いたように笑った。なのに何も言わないままで、すぐにわたしの手を引いて廊下を駆け始める。
 みんなに知らせなくちゃ。彼の逸るような速度の靴音が、この時は何よりも雄弁だった。
 狗巻くんの指先が熱い。わたしの胸の中で、心臓が喧しく音を立てていた。
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