今夜時間ありますか、と七海さんに尋ねられ、わたしははいと答え頷いた。定時まであと15分。七海さんは壁の時計をチラ見した後、では18時に高専の入口でと手短に告げると、足早に事務室を出ていった。何がなんだかわからないまま、わたしはデスクに向き合うと残っている仕事と私物を片付け始めた。
 七海さんはいつもと同じように茶色の革靴を履き、腕を組んでわたしを待っていた。お待たせしましたと告げ頭を下げると、大丈夫です待っていませんと返される。そのまま連れ立って外へ出ると、迷いのない足取りで、七海さんは近所のトラットリアへ入っていく。よく仕事帰りに同僚と寄っては話に花を咲かす、行きつけのイタリアンだ。

「飲んでも良いですよ」
「七海さんは?」
「私は飲みません」

 そう言われてはなんだか気が進まず、ノンアルでと店員さんに告げる。七海さんはパスタを一品しか頼まないので、わたしもそうした。会話もそこそこに黙々と食べ進める七海さんの顔を時々見上げながら、世間話を切り出しても良いものかと悩む。すると不意に視線を合わせた七海さんが「これから二時間くらい走りますが、酔い止めは必要ですか?」と言うものだから、わたしはそこでようやく彼の今日の目的が食事ではないことに気付いた。

「星を見に行こうと思いまして」

 普段から直球ストレート、回りくどい話し方をしない七海さんが、本題を黙っているなんてなんだかおかしな感じだった。だけど、その目的を聞いた瞬間にふと思い至る。正月に実家に帰省したわたしは、昨日、事務室で七海さんと伊地知さんと一緒に他愛もない世間話をした。年末から急に冷え込みが厳しくなり、実家の車を降りてふと見上げた空が、星に埋め尽くされていて驚いたのだ。街灯や高い建物がなく、あるのは澄んだ冷たい空気だけ。空にはこんなに星があったのかと、詳しいことはわからないなりに感動した。
 今日は夜まで快晴。珍しく車で出勤した七海さんの目的は、退勤後に星空を見ることだった。それもなぜか、わたしを連れて。運転席の七海さんは一言もしゃべらない。途中、コンビニで温かいコーヒーを買うとわたしの手の中に押し込んで、また車を走らせた。会話はなかったが、不思議なドキドキ感に支配されていて、わたしは全然退屈しなかった。七海さんが何を考えているかは全然わからなかったけど。

「着きましたよ」

 七海さんがそう言って車を停めたのは東京近郊の小高い山の駐車場だった。車を降りてわあ、と歓声を上げるわたしを、七海さんは一瞬だけ見て、そして並んで空を見上げた。吸い込んだ外気が肺に冷たく染み込む。白い息が立ちのぼり消える。どこまでも広がる星空。綺麗だった。飽きもせず首を上に向け続けるわたしを見下ろす、真顔の七海さんと目が合う。首、疲れませんかと尋ねられた。

「七海さんと話す時は、いつもこんな感じですよ」

 わたしの返答に七海さんは一瞬押し黙った後「悪かったですね」と言ったので、わたしは笑ってしまった。全然大丈夫ですと答えると、そうですかと声が返ってくる。少し視線を横にずらして、七海さんが穏やかに笑う顔を見上げた。
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