ある廃墟の入口で、わたしは猪野さんと共に待機していた。
目的は、先に現着している七海さんと合流するため。
すぐに行きますという短い電話の後、約五分後に七海さんが現れた。すらりと背の高い、品の良いスーツを着用した――女性を後ろに連れて。
彼女は親しみを感じる美しい笑顔を浮かべて、軽く会釈を寄越した。
猪野さんは同様の動作で応対した後、突っ立ったままのわたしを軽く肘で小突いた。わたしは慌てて、彼女の視線に応対するように会釈を返す。
「……えーっと、この建物を所有してる不動産会社の担当者の人、っすよね?」
反応の鈍いわたしを見かねた猪野さんが確認するようにそう口にしたので、わたしは頷く。
七海さんは十メートル程離れた場所でわたしたちに背を向け、建物を見上げながら女性と会話をしている。わたしは気遣い上手な猪野さんの相貌をじっと見つめて、肩を竦めた。
「ぼーっとしてんの珍しいっすね。いつも七海サンや校外の人と話す時って、キリッとしてるじゃないですか」
「すみません……すごく綺麗な人だからびっくりして、フリーズしちゃいました」
「はぁ。まぁ、確かに。しかも『窓』の人なんでしょ?」
猪野さんの問いに、わたしは頷いた。
任務のセッティング時、関連する業者や役所に連絡するが、そこに『窓』の人がいるとスムーズなのだ。同伴を依頼すると、彼女は快く引き受けてくれた。
今回の任務は呪霊祓除の前段階である現地調査だが、わたしを含めた非術師二名が同伴する以外は、特にリスクのない低級の任務。楽観的な猪野さんにつられて、わたしたちの間にはのんびりした空気が流れていた。ここに来るまで、七海さんが一緒ではなかったのもあるだろう。
「二人も、こちらへ来てください。……気が抜けていませんか?」
離れた場所から七海さんに呼ばれ、わたしたちは顔を上げた。
不意に、心を読まれたかのようにそう指摘され、わたしと猪野さんは揃って肩をビクつかせた。七海さんは呆れたように眉根を寄せ、後ろの女性はくすくすと笑った。
その笑顔が本当に美しくて可愛いので、わたしはしばし見とれた。
「さて、猪野くんはこちらの彼女と一緒に地下の調査をお願いします」
「え? 七海サンは?」
七海さんが、隣に並ぶ『窓』の女性を視線で示しながら猪野さんに指示を出す。
「私が何のために先に現場入りしたと? あなたは私と一緒に二階です」
その言葉と同時に七海さんの視線がわたしに落ちたので、わたしははいと返事をして姿勢を正した。
『窓』の女性を引き連れ、行ってきまーすと元気に手を振る猪野さんに、わたしはひらひらと気安く手を振って送り出した。
行きましょうと告げ歩き始めた七海さんを追うと、正面の彼がふと、事も無げに呟いた。
「……仲が良いですね」
え?と声が漏れたが、言葉を返す前に七海さんは歩を進めてしまう。
仲が良い――まさか猪野さんのことを言っているのだろうか。わたしは大きな背中に、仕事仲間ですから、と呼びかけてみる。七海さんは無反応だった。
その態度に少々ムッとして、わたしは駆け足で七海さんの隣に並んだ。
「あの女の人、すごく綺麗ですよね。スタイルが良くて笑顔が可愛くて、性格も良くて憧れちゃいます」
背が低いわたしは、七海さんと並ぶと彼の肩より少し下に頭のてっぺんがくるが、先の女性はその遥か上で、遠目でもそのシルエットは七海さんとお似合いだった。
ないものねだりをしても仕方ないのは理解しているが、勝手に憧れるくらい許されるだろう。七海さんはふと、ちんちくりんのわたしの顔を見下ろす。
「……すみません。妬いていたのは私だけかと思い、つい意地の悪いことを」
七海さんの表情は妙に嬉しそうで、わたしは彼の言葉の分析に少し時間を要した。
わたしのないものねだりからヤキモチを看破されたのだと気付いた時、同様に、猪野さんを羨んだ七海さんの心情にも気付いた。いつの間にか、わたしに合わせるように歩幅が縮まっている。