高専の地下駐車場に車を進入させると、低い天井の下、蛍光灯の光が寂しげに点滅していた。
 もうすぐ日付が変わるような時分。わたしは担当の呪術師の方々の送迎役として、この日は運転手業に勤しんでいた。
 本当は新田さんが担当だったのだが、補助監督に体調不良者が出てしまったので、新田さんがそのフォローに回ることになったのだ。

「お疲れ様でした、着きましたよ」

 バックで駐車をして、シートベルトを外しながら後部座席に声をかける。返事はない。わたしはエンジンを切ってから背後を振り返る。眼鏡のレンズの奥の瞼が、閉じ合わされていることに気付いた。

「え、七海さん……寝てます……?」

 珍しい光景に、わたしはじっと見入ってしまった。とはいえ、狭い運転席で身体を反転させるのは難儀で、わたしは見つめるのを早々に切り上げてドアを開けた。
 そうっと静かに運転席のドアを閉め、彼の姿を窓越しに再度見つめる。腕も脚も窮屈そうに組んでいるが、表情は穏やかだ。相当疲れていたのだろう。
 今日の彼の任務は、等級こそ高くはないが、三件立て続けだった。七海さんには少しでも多くの時間休んでほしいが、そんな悠長な状況でもない。今は夜中でここは高専。早く帰った方が良い。わたしは心を鬼にして、後部座席のドアを開けた。

「七海さん、高専に着きましたよー……!」

 無反応だった。わたしはうっと胸が痛む心地がした。だが、起こす以外の選択肢はない。
 次に、手を伸ばして彼の肩を揺すってみる。分厚い肩に心臓が跳ねるわたしとは裏腹に、七海さんは微動だにしない。どれだけお疲れなんだろうか。
 耳に顔を近付けて、もう一度名前を呼ぼうとしたその瞬間、わたしの背後で羽音がした。それもわたしの耳の至近距離で。
 わたしは派手に可愛くない悲鳴を上げ、そのまま体勢を崩した。
 わたしのすぐ目の前、むしろ下に、七海さんがいることなど、その一瞬は記憶の彼方にすっ飛んでいた。べしゃん、と間抜けな効果音付きで、わたしは七海さんの膝あたりに倒れ込んだ。やばい。死にたい。恐る恐る七海さんの顔を見上げると、レンズの向こうで目をまるくする彼と、視線が交わった。

「……何をしてるんですか……?」
「ごっ! ごめんなさ、い、いえ、申し訳ありません! すぐに退きます!」
「大丈夫ですから落ち着いてください」

 七海さんの大きな手が、わたしの両肩に置かれて優しく押し返された。
 車の中だということも忘れて上体を勢い良く起こそうとしたわたしは、頭を天井にぶつけて自然と涙混じりの情けない声が漏れた。七海さんがはぁ、と息を吐く音が聞こえる。

「……失礼」

 七海さんの両手がまたわたしの両肩に落ちたかと思うと、彼はそのままぐっと力を入れて、一瞬だけわたしの身体を浮かせるようにして、ぐるりと反転させた。
 わたしの背中が着地したのは七海さんの腕の中だ。お尻は彼の隣の座席に収まって、両脚は宙ぶらりんになって車の外に投げ出されている。
 混乱する脳内を持て余したまま車外を見つめる視界に、一匹のカナブンが飛んでいく光景が映った。

「さて、説明できますか?」
「え!? あ、あのっ、虫が、ええと……」

 どうしてわたしが叱られているような状況なんだろうか。わたしは七海さんを起こそうとしただけなのに。虫に驚いただけなのに。
 わたしはどうして、いつまでも膝枕されているんだろうか。この時の七海さんもそれなりに寝惚けていて、状況を理解して謝罪合戦になったのは、翌日の話である。
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