呪霊祓除の任務を終え、瓦礫同然の廃病院の屋根の下から外へ出ると、雨が降っていた。
 七月三日、大雨の予報は正午からだったはずだ。今は勢いのない風雨も、これから強くなるのだろう。
 今日の任務は駅からそう離れておらず、任務の難易度も高くはないので、送迎は必要ないと事前に断りを入れていた。
 自ら張った帳が上がり、スマートフォンの圏外の表示が電波の恩恵を受け始めた直後、着信音が鳴り響く。私は屋根の下まで移動してから通話ボタンを押した。

「お疲れ様です、七海さん。お怪我はないですか?」
「お疲れ様です。はい、問題ありません」
「それは何よりです。あの、これから暴風雨で電車が止まる見込みで」

 昔なじみの補助監督の女性の声が、電話を通して耳に入ってきた。私はそうですかと言葉を返す。
 タクシーを拾うか、送迎を頼むか。彼女から指示が飛ぶだろうと言葉を待つ。
 彼女の後ろからやけにガヤガヤと慌ただしげな声が聞こえてくるが、おそらく、私と同様に送迎なしで現場に出ている人間の迎えの調整をしているのだろうと考え至る。

「申し訳ないんですけど、近場で任務に当たっている方も一緒にお迎えを……え?」

 彼女の言葉が疑問符で止まる。
 合理的なその選択に構いませんと返事をするつもりでいたが、何やら「ええっ」と動揺を露わにしたその声が遠くから聞こえ、彼女の意識が電話の向こうの何者かとの会話に向かっている現状を察した。控えめな声音に再度声をかけられる。

「……わたしが、ええと、七海さんお一人をお迎えに行く形でも良いでしょうか」
「……そちらがそれで回るなら構いませんが、良いんですか」

 半ば諦めたような、それでいて落ち着かない声音で彼女が言葉を紡ぐ。彼女が周囲を気にするように声を潜め、続く言葉を発した。

「……七海さん、お誕生日なんですね。わたし知らなくて、すみません」
「……急にどうしたんです?」

 彼女の声が、急に釈明めいた呑気な色に変わったので、私もつられて気を緩める。
 彼女が私の誕生日を知っていても知らなくても、どうだって良いと思った。彼女が謝る必要はない。
 続く言葉を待っていると、痺れを切らしたのは彼女の受話器を取り上げた第三者だった。陽気な声の後ろで、五条さん!という彼女の焦りの滲む声が追ってくる。

「七海お疲れ。おたおめ!」
「……はぁ、どうも」
「さっきの会話でちゃんと伝わった? 二人でゆっくりドライブしながら帰ってきな」
「……どんな気の回し方ですか。彼女、巻き込まれて迷惑していませんか」

 五条さんの言葉の合間に、彼女の慌てふためく声が小さく聞こえる。押しに弱く優しい性格から押し切られた彼女の心情を察し、周囲から面白がられて気の毒にすら思う。
 私と彼女の『同僚』を超えた信頼関係は、近しい人間にはすっかり周知の事実だ。型にはまった名前がついていない関係。私も今更、自らの思いを否定してわざわざ掻き乱すつもりもない。

「むしろ喜んでるよ。直接おめでとうって伝えたいってさ」
「……では私も、直接感謝を伝えます。お待ちしていますと伝えてください」

 了解、とやけに張り切った声の返事の直後、通話は切れた。
 湿った風雨は不快としか言い様がないが、やがて彼女が現れる瞬間を待つ状況は、年甲斐もなく心が弾む。
 どうだって良いと片付けた気持ちが、今はもう特別だった。帰路は少しだけ遠回りをしてもらおうかと、悪戯心が芽生えた。
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