関東地方に遅めの梅雨入りが発表されたのは、二日前のこと。
この日はからりと気持ちよく晴れて、前日に降った雨の気配をすっかりと消し去るような日差しが照り付けて、とても暑かった。梅雨の中休みとお天気お姉さんは言っていたけど、もしそうだとしたら、梅雨は休みを取り過ぎだと思う。
何はともあれ、夏が来た。わたしは可愛らしい夏服やマリンテイストのアクセサリーを、百貨店のウィンドー越しに見つめては心を躍らせ、ついに先週末にお目当てだったスカートを購入した。明るいグレーのミモレ丈。プリーツが入っていて上品でありながら、シフォン素材なのでふんわりと風になびくシルエットが可愛らしい。同じデザインの赤いスカートと散々迷った挙句、堂々と仕事で着用できるようにグレーを選んだ。つらい仕事に向かう足を軽くするアイテムは、いくつあったって良いのだ。
高専の給湯室でコーヒーマシンを操作しながら、わたしは意味もなく、その狭い空間の中で靴音を鳴らしていた。腰や脚を動かすと、ひらひらとスカートが揺れるのが可愛くて、良い買い物をしたと思えて嬉しかったからだ。
ご機嫌にステップを踏む爪先がちょうど給湯室の入口に向いた瞬間、いつの間にかそこに立っていた七海さんと視線がぶつかった。
「わっ!? 七海さん! お疲れ様です!」
わたしは驚きのあまり目を見開き、急拵えの笑顔を浮かべた。七海さんはお疲れ様ですと冷静な声音を返してくれたので、わたしは抽出を終えたコーヒーマシンから愛用のマグを手に取って道を開けた。続けて、何か手伝うことはないかと尋ねる。
「自分でやります。お湯を貰いに来ただけですので。ありがとうございます」
そうですかと答えて、わたしは小さく会釈をした。そのまま彼の隣をすり抜けようとした瞬間、事も無げに七海さんが口にした。
「今日は……雰囲気が違いますね」
「え、あ……髪型ですかね?」
今日は新しいスカートだからと、気分転換のつもりで、いつものまとめ髪を下ろしてお気に入りのバレッタでハーフアップを留めていた。誰が見たって気付く変化ではあるが、まさか七海さんに指摘されるとは思っていなかったのでドキドキしてしまう。
七海さんは眼鏡越しに、わたしの頭のてっぺんから脚の先にかけて、さっと視線を走らせた。動揺のあまり、右手に持ったマグの中で黒の水面が揺れる。
「よくお似合いですが……そのスカート、透けたりしないんですか」
えっ、と自然にわたしの口から漏れた音と同時に、七海さんが不自然に視線を逸らす。
七海さんが気付いた変化は髪型だと思ったのに、スカートだった。しかも、続いたのは予想外の言葉。わたしはその反応と指摘が無性にツボに入って、吹き出してしまった。
七海さんが少々不服そうに視線を合わせてくる。わたしは笑ったままその気難しげな相貌を見上げる。
「ごめんなさい、なんか、娘を心配するお父さんみたい……」
別にわたしの父の話ではないのだけど、思いついてつい口に出した。
眼鏡越しの両目がまるくなるのを見て、わたしは笑いを止めるタイミングを完全に見失った。
「心配ないです、こういうスカートって大概、透けないように内側にもう一枚布が」
「……そんなことは聞いていませんよ」
「七海さん、拗ねてます?」
いいえと答える七海さんが、もうこの話は終わりと言わんばかりに顔を背けて、給湯室の戸棚に手を伸ばした。
楽しくなってしまったわたしは、彼の背中をしばらくグルグルと追い回した。揺れるスカートが七海さんの膝あたりにふわふわと当たる。