幻のドラゴン | 01


二〇一八年、一月半ば。
百鬼夜行から約三週間後のある平日のこと。
五条悟が、自席でパソコンのモニターと向き合うこよみの背後に立ち、オフィスチェアの背もたれに手をかけてガタガタと揺らした。

「……ちょっと五条さん、やめてもらえません?」
「部下とのスキンシップじゃん。そんな怖い顔しないでよ」
「普通に話しかけてください。何かご用ですか?」

指摘され、こよみは表情を素早く平常モードに取り繕う。
五条流のスキンシップとやらは日常茶飯事で、こよみに対して向くのは、こういった子どものおふざけ以下のものだ。
気まぐれに口から出まかせの無理難題を押し付けられる伊地知に比べれば、遥かに気楽に構えていられる。この差は一体なんなのだろうか。
それはさておき、正真正銘の上司の呼びかけである。こよみはチェアごと五条の立っている方向へ向けた。
このような状況の時、五条は決まって「座ったままでいいよ」と言うので、こよみは腰を上げずに姿勢のみ正した。
五条は背面のデスクに体重を預けて立ったままの体勢で、気安い表情と声音で口火を切った。

「こよみ、明後日から月イチの京都出張でしょ?」
「はい。百鬼夜行の後処理で色々あるようで、泊まりで」

呪術界の教育機関・呪術高等専門学校。所在は東京と京都に各一校。
呪術師を擁する機関は総監をはじめ多数存在するが、それらの機関と比較すると、高専は“ちょっとクリーン”である。
五条はしょっちゅう「上の連中は腐ってる」と悪態を吐くが、腐っていても教育機関。
大義名分は『学生の教育のため』。むろん、それは教育機関だから。
そんな高専の担う役割は、その性質上、私利私欲とは無縁で中立的なものである――ということになっている。
少なくとも、学生やこよみのような末端の職員には、ドロドロとした内情は日常的に見える環境ではない。
学生が主役の姉妹校交流会が「互いに切磋琢磨し、呪術師として成長し高め合う」といったことを目的とするように、職員も学校間を行き来して定期的に情報交換会を行い、学校運営という立場から国内の呪いの襲撃・事件に備えている。
要するに、補助監督の京都校出張は、至ってクリーンで平凡な日常業務の一部である。

「呑気に構えてるね、こよみ。今回はちょっと特別だよ。今から一級指令を伝えます」
「一級……?」
「ぶっちゃけ特級相当も混じってるんだけどね」

話が全く見えない。こよみは訝しげな表情で、遥か高みに位置する五条の相貌を見上げる。

「もったいぶっても仕方ないね。こよみ、今回は呪具の運搬もお願いするから、よろしくね」
「呪具の運搬」

こよみのオウム返しに、五条はにやりと口角を釣り上げる。

「そ。意味わかる?」
「……呪具を運搬するんですよね?でも呪具って、基本は刃物とか銃とかそういう物騒なものばっかり……」
「うん。今回運んでもらうのは、薙刀一本、日本刀が二本。それから、手錠とヌンチャクだったかな」
「物騒なものばっかり!」
「しかも、薙刀は特級相当の呪具。他は全部一級相当」
「無茶言わないでくださいよ!」

こよみは思わず声を荒げ、その場に立ち上がった。

呪具――呪力が篭もった武具。
武具そのものを物騒と表現するのは些か誤解を招く。だが、呪具となると使途は呪霊祓除。対象を攻撃するものだ。
高等な呪具には特殊な術式が付与されているものもあり、破壊力や希少性も高く、その価値は計り知れない。

「そんな貴重なものの運搬をわたしみたいなペーペーに任せるなんて、正気じゃないですよ!もし破損や紛失でもしたら……」
「百鬼夜行で、あっちの呪具がいくつも壊されたらしくてね。二級以下の呪具は『窓』の運送屋に依頼して……」
「聞いてますか!?盗難の危険だってあります!ていうかそもそも大きいものばかり、職質されたらどう言い訳すれば……」
「めっちゃ慌ててウケるね、伊地知」
「ウケてないで、きちんと説明してあげてくださいよ……」

隣り合うデスクに戻ってきた伊地知は、こよみへの同情的な溜め息を漏らしながら五条に応対する。

「こよみ〜。ごめんごめん、ちゃんと説明するから」

へらへらと緊張感のない声音で、こよみをなだめる五条。こよみは口を引き結んで、次の言葉を待った。

「こよみの言う通り、まず見た目の問題があるよね。それはきみの結界術で解決。周りから見えないようにして運んでね」
「……盗難の対策は?こんなに呪力が大きいもの、すぐに呪詛師に気付かれて狙われますよ」
「“透明マント”知ってる?ニックネームだけど。あれを使うよ。呪力の漏洩を抑える呪物なんだ」
「出張経路は新幹線です。こんなにたくさんの呪具、わたしが一人で一度に運ぶには無理があります」

こよみは、力量は非術師も同然。
もし出張中に想定外の事態が起こり、たとえひと時でも呪具を手放すような事態になったとして、対処できる保証はない。
そもそも、女性一人で運ぶには多すぎる量だ。重量も、上に載っている責任も。

「そうだね。だから、運搬補佐役兼護衛を付けます。誰だと思う?」
「ええ……」

こよみは今度こそ、事態への不服さに、思い切り表情を歪める。
つい五分前に指摘された“怖い顔”とは比較にならない深刻さである。
こんな時にクイズを出される方の身にもなってほしい。

「……言われてみれば、出張準備で二名分の部屋を予約しましたね……」
「そう、それそれ。こよみと同伴出張する人がいるってこと」
「あっ、もしかして五条さんですか?」
「残念、ハズレ。なんで僕だと思ったわけ?」
「違うんですか?だって、特級相当の呪具を護衛するなら、等級が高い人のほうが安心ですし……」
「呪具の護衛ってなんか日本語違くない?」
「今までわたしに護衛なんか付いたことないですけど?」

こよみが経験した過去二回の京都校出張は、彼女が一人で出向いている。当然である。
こよみ以外の人間であっても護衛などつくはずがない。日本語がおかしかろうが、今回の厚遇の理由は、間違いなく呪具の護衛なのだ。

「こよみは僕との会話を楽しもうっていう気持ちが足りないよ。寂しいねぇ」
「違う話題でしたら善処させていただきます!……で、同伴の方は誰なんですか?」
「あーうん。七海」

何食わぬ顔でさらりと発表した五条とは対称的に、“呪具は特級相当、他複数”と聞かされた瞬間よりも衝撃的な表情を浮かべるこよみ。
やっと血の気が戻ってきたこよみの額が、再び冷や汗を浮かべる。

「嘘ですよね!?」
「嘘じゃないよ。いろいろ理由があるんだ。一つ目はさっきの話の通り。貴重な呪具だからね、取り扱うのは一級以上の呪術師が適任」

自らの指摘の揚げ足を取られ、こよみはぐっと唇を噛んだ。返す言葉もない。

「二つ目の理由。京都側が、七海をご指名なの」

こよみはその場に突っ立ったまま、呆然とした表情で五条の顔を見上げる。
五条はからかう調子ではなく、穏やかな表情と真面目な声音で、こよみの疑問に応えるべく、続けて口を開いた。

「百鬼夜行で、七海は京都担当だったでしょ?その時の功績なんだってさ」
「功績って、……表彰でもしてくれるんですか……?」
「いやー、そうだったら面白いね。でも違うと思う。京都校所属の呪術師の何人かが、七海との合同実習稽古を希望してるんだって」

こよみははぁ、と息を吐く。適切ないらえが、咄嗟に出てこなかった。
七海がこの場にいたら、声を荒げることもなく、間抜けな調子で息を吐くだけでなく、きちんと七海へ敬意を払い、よろしくお願いしますの一言を伝えただろう。
直々に指名されるということは、百鬼夜行で彼が残した影響力は相当なものだったのだろうと察する。
七海は実力がある上に、仲間に優しい。指導力も申し分ない。適任だ。それは、七海に稽古をつけてもらった経験のあるこよみこそ、疑う余地などない。
だが、問題はそこではない。

「こよみ、これもう決定事項だから。もちろん、七海も承知済み」
「いや……はい。断れるなんて思ってないですし、仕事ですし、それはもう」
「七海さんが一緒なら心強いし?」
「そりゃ、もちろん」
「一緒に泊まり、ドキドキだね〜」
「放っておいてもらっていいですか!?」

仕事だから文句はない。それ以上の感情などない。
それでも、七海に秘かに思いを寄せるこよみにとっては、仕事という言葉では片付けることができない、大きなミッションへと取って代わってしまう。
京都校では別行動。移動時間は呪具の運搬という大仕事がある。
とはいえ、共に過ごす空間の登場人物は、こよみと七海の二人きりになる。そして必然的に、その総時間が長い。
新幹線での席は隣同士。予約したシティホテルの部屋も隣り合っている。

「仕事……仕事なので……」

ぶつぶつと自己暗示のようにそう唱えるこよみの顔は、血の気がなく、真っ白だった。
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