聞き間違い | 03


「はい、事務室鬼怒川です」

電話応対は慣れだ。とにかく数をこなす。それ以外の上達方法を、こよみは知らない。
というわけで補助監督業初日、新入社員さながらに、こよみは事務室宛にかかってくる電話を取りまくっていた。
電話口の相手のほうも、別に誰が出ようがそれほど気にしている素振りはない。
相手が指定する人物名があれば内線番号表を見ながら取次ぎをし、そうでなければ、要件をメモに書き留め、伊地知に指示を仰いだ。
高専所属の呪術師や生徒からの電話であっても、「あ、新しい補助監督ですか。じゃあ、伊地知さんに伝言お願いして良いですか」くらいの適応力である。どれだけ入れ替わりが激しいポジションなのだろうか。

「付き合いの長い業者や役所なんかは、ちゃんと番号と名前を登録しているんですが……なかなか作業が追いつかず」

こよみの隣の席で、伊地知がぼやく。
電話の液晶画面に表示されるのは、ほとんどが電話番号そのままである。
伊地知は番号の下四桁を見るだけで相手が結びつくことも多いようで、このままでもそれほど支障がないのだと言った。
理屈はわかるし、作業が追いつかないという状況もわかる。こよみも前職で務めていた会社で、思い至る部分があった。
伊地知のデスクに山と積み上がる書類を見ていたら、「業者や呪術師の電話番号の登録」など、どんどん後に回される地味な作業だと察しもつく。
こよみがいちいち電話口の相手に名前と会社名を聞き返している状況を伊地知が見て、申し訳なく思ったということだろうと、こよみも察した。

「番号の登録は暇を見つけてわたしがやりますよ。それより、いちいち伊地知さんに聞いちゃってすみません」
「いいえ、初日ですから当然です。電話対応は数をこなさないと相手の名前が覚えられないですよね。わかります」

何度も電話をかけてくる相手は限られる。
高専の場合は出入り業者と所属の呪術師や、教職員が中心になってくる。そのあたりさえ耳に馴染みができれば、それほど苦労なく対応ができるようになってくるだろう。
そもそも、補助監督は外出の仕事も多く、社用携帯電話を支給されているのだから、そちらのほうが使用頻度も多いことだろう。
なんにせよ、固定電話にだって電話はかかってくる状況があるわけで、今後も入ってくるであろう事務方や補助監督の新人のためにも、このタイミングで電話番号の登録は済ませておきたいところだ。

「あ、また電話」

こよみがいち早く反応する。
液晶画面の表示は、相変わらず11桁の数字の羅列でしかなかった。
伊地知はこよみの声に振り返り、素早く番号に視線を走らせ確認したが、それよりもこよみが受話器を取る方が早かった。

「あっ、鬼怒川さん、」
「はい、事務室鬼怒川です」

受話器の向こう側に、数秒の沈黙が落ちた。
伊地知からの呼びかけとその沈黙に、こよみは首を傾げながら伊地知の顔を見る。
一足遅かった、と口を閉ざした伊地知が、気遣わしげにこよみの表情の変化を伺っていた。

『……鬼怒川さん?』

落ち着いた低音の声音は、こよみにとっても、あまりにも馴染み深く響いた。

「……あっ、……な、七海さん」

こよみは表情どころか、全身が緊張で固まった。
メモを取るために手にしていたペンが、ノートの上に滑り落ちた。



* * *



受話器を置いた伊地知が恐る恐るこよみに視線を向けると、こよみもちょうど電話対応に区切りが付き、ばったりとデスクに伏すところだった。

「お疲れさまです。始業から働き詰めですね、少し休憩してください」
「いえ……ありがとうございます。じゃあお言葉に甘えて」

こよみは足元の鞄からマイボトルを取りだすと、蓋をくるくると回しながら息を吐いた。
中身の麦茶を一口含み、嚥下する。そしてもう一つ溜め息。自分で思っていたよりも疲れがあるのかもしれない。
キーボードの前のリングノートは電話の取次や伝言のメモでびっしり埋まっている。後でしっかりと内容を見直し、確実に処理しなければ。
そして、自身の仕事のために活かせる部分はきちんと頭に入れたい。覚えるまではこの繰り返しだ。
幸いなことに、高専時代の補助監督の動きと前職での自らの経験を総合すれば、全くの暗闇を手探りで進むような不安感はない。
一日でも早く業務に慣れ、戦力になりたい。こよみは内心で静かに闘志を燃やしていた。

「七海さん、夕方にお戻りになるそうです。思ったより時間がかかるので、補助監督の送迎の時間の調整の電話でした」

その声に、水筒を置くために伸ばしたこよみの手がぴたりと止まる。
なんだかぐちゃぐちゃと片付かない気持ちの真ん中には、七海がいた。こよみは再度自覚する。
先刻こよみが取った電話。受話器の向こうで七海は少々驚きを滲ませながらも、淡々と、こよみに向けて会話を続けた。

『……どうも、お久しぶりです』
「は、はい。ご無沙汰してます」
『伊地知くんに代われますか』
「あ、はい、少しお待ちください」

保留ボタンを押してから、「伊地知さん。七海さんです」と告げる。伊地知の表情は、こよみの目には少しだけ申し訳なさそうに見えた。
……わたしが「七海さんとの別れ際の会話が気まずい」と言ったからだろう、とこよみは直感する。
気まずいのは、どこまでいってもこよみと七海の間の話であって、伊地知が後ろめたく思うのは気の毒だ。
時間にして10秒足らず。半年ぶりの会話は受話器越しで、七海がどんな表情をしていたのか、こよみにはわからない。
ただ、事務的な会話を通じて、ああ、もう次に会うときは同僚なのだな、と思い知らされる。

学生時代は、呪術師の先輩と後輩。
これからは、高専所属の呪術師と補助監督。
半年前、七海は呪術師で、こよみは一般企業に務めるごく普通のOLだった。

こよみが高専を辞める時、七海とこよみはお互いの未来を「呪術師ではない一般人」になると認識し合っていた。

「不意打ちでした。……七海さんの電話番号だったんですね」
「すみません、私は覚えてしまっているのですが、登録しておくべきでしたね……」
「え?あ、あの、別に七海さんと話したくないわけじゃないので……仕事ですし」
「……とりあえず、登録しましょうか。やり方を教えますので、後で他の業者や教職員の番号の登録もお願いできますか?」

もちろんですとこよみは返事をする。
伊地知の手によって“七海一級呪術師”という表示名で、番号の登録が完了した。

「びっくりしましたけど、急にお会いするよりよかったと思います。個人的な事情で伊地知さんにまで気を遣わせてごめんなさい」
「あ、いえ、……私には、お二人とも言葉選びを間違えるタイプには思えないので、仕事の面以外で何が気まずいのか、想像もつきませんが」
「いやいや!わたしなんて迂闊というか、ほんと抜けているので、……仕事でもボロを出さないように気を付けますね!」

こよみは両手を顔の前で振って、ついでに首も横に振る。優秀な先輩である伊地知に褒められると本気で照れる。
こよみはふと、七海と向かい合って話した、あの最後の対面の夜を回想した。果たして、間違えたのは言葉選びだったか。
その“言葉”を口に出したのは、七海だったと記憶している。だが、自分のリアクションのほうがよっぽど大きなミスだったと、こよみは考えている。

(わたしはあの時、ショックを受けちゃったんだ。……七海さんは、何も悪いことなんて言ってない)

本当になんてことのない、些細な話だった。
だが、それは確かにこよみの胸の中に、小さな棘のように刺さってしまった。
受け流せばそれで済んだ。だが、こよみにはできなかった。今でも時々思い出すことがある。
のうのうと、能天気に、七海の前に現れるためには、やはり受け流すしかない。
少なくとも、七海に気取られてはいけない。こよみに向けて言葉にした七海が、気にしているわけがないから。
……そのために最善なのは、やはりここに来ないことだっただろうと、こよみは今でも、考えなくはない。
それでも、こよみにはやりたいことがあった。七海の存在よりも大きな、超えたい壁があって、向き合いたい自分自身の感情があった。

呪術師を支えるために生きたい。役に立てるのなら、そうしたい。
そういう一点の曇りのない感情を、夢を、実現するために、こよみはここにいる。

仮に、七海がそこにいなくても、自分はそうしただろうか。
その問いには、こよみはもうずっと、答えが出せないでいたのだった。
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