「な、にそれ!」
「何がだ」
「風介くん、それって南雲くんと両想いってことじゃない」
「私はまだ想いを伝えてはいない」
「伝えてるでしょ!」
ピッと笛が鳴ると、士郎と風介より少し前の列が走り出す。士郎は一瞬そちらをちらりと見るとまた視線を風介に戻した。
風介が話した一件を聞けば、南雲と両想いなのは一目瞭然である。
「どうしてそんな面倒臭いことするかなぁ」
「だから、私はもう少し晴矢を理解してから……こら、士郎、何をふて腐れている」
「……」
士郎は風介から視線を外し、地面と睨めっこをきめている。風介はそれを見て首を小さく傾けた。
それを見た士郎はわざと唇を尖られたあとに、ざりっと地面を蹴りあげこう言った。
「…今の話、僕は今初めて聞いたよ」
「だから話すのが…」
「親友なのに、僕、何の役にも立ててないじゃないか」
「え」
ピッ
今度は二つ前の列が走り出す。
「急な事だったのはわかってるけど、これじゃあ僕だけのけ者じゃないか」
どうやら士郎は風介と南雲の件だけでふて腐れているだけではなく、無力だった自分自身に苛立っているようだった。
風介は少し考えたが、特に何とも思えなかった。
「役にたたない?のけ者?何を言っているんだ」
「だってそうじゃない」
「士郎、お前は私の過去を聞いてくれたじゃないか」
「…たった、それだけだよ、肝心な時にはなにも…」
「たったそれだけ、はは、そうだな」
くすくすと笑い出した風介を不思議がりながら士郎は上を向いた。そこに居たのは笑ってはいるが、どこか遠くを見ている様な、真剣な眼差しをした風介だった。
「でも、たったそれだけのことを聞いてくれたのは士郎だけなんだがな」
「!」
「いや待てよ…この数年間、たったそれだけのことで悩んでいた私はいったい…」
「そ、そこまで言ってないよっ」
咄嗟に両手を前でふり、否定の色を見せた士郎は、にやりと笑った風介を見て直ぐに我に帰った。
「からかった!」
「ふん、お前らしくないことを言うからだ」
ピピッ
いつの間にか風介たちの目の前にはスタートラインが来ていた。出番である。
士郎がしゃがみ込み、足をラインを揃えるのと、ぽそりと横の風介の口から言葉が零れるのは殆ど一瞬だった。
「でも、過去から私を救ってくれたのは君なのかもしれないね、勿論晴矢もだけど、君は昔から私を隣で支えていてくれたのかもしれない」
「昔って、まだ一年でしょ」
「いいや、私には長すぎた」
過去に捕われたあの時から、今までは私には長すぎたんだよ。
「士郎」
反射的に士郎は風介に顔を向ける。直ぐ横では審判が笛を鳴らそうとしていた。
「ありがとう」
「えっ…」
ピッ!
その瞬間、士郎の横から風介が消えた。正確には走り出したのだ。
「あっ、しまった!!」
完璧スタートダッシュをミスした士郎は必死に風介を追い掛けた。赤くなる頬は、きっと走っているせいだ。ずるい、と士郎は心から思って、グラウンド中に響き渡るくらいに大きな声を張り上げた。
「ずるいよ!風介くん!」
「何がだ!」
負けじと風介も前で叫ぶ。振り返りはしない。
「どうして、ありがとうって、どうしてっ、笑うのさ!!」
“ありがとう”
スタートの数秒前、風介から告げられた言葉に備えられていたのは、士郎の見たことがなかった風介の笑顔だった。
そう、風介が初めて士郎に笑いかけた。あの日見た、待受画面のような素直な笑みだった。それが士郎の頭から離れない。
「笑っ、たら、いけないのか!」
やっと風介の横に並んだ士郎は勢いよく視線を風介に送る。風介の頬も赤かった。
「いい、けどっ!スタート失敗した!」
「いいだろう、べつ…に!」
「アツヤが見てるの!」
そう張り上げた士郎の視線の先にはゴール地点でテープを持つアツヤの姿があった。成る程、と納得した風介は足は止めずに言い返す。
「私だって、晴矢が見てるっ」
「へ!?」
風介の発言に驚いたのか、一瞬我を忘れて士郎は回りを見た。そして直ぐに目的の人物、晴矢を発見した。私服で一般客の席でこちらを見ている。頬には絆創膏が見えた。
「なんっ………わぁ!!」
「なっ!」
次の瞬間がつりとよそ見をしていた士郎の靴に小石がぶつかった。よろりとバランスを崩した士郎は近くに居た風介の足を掴み、そのまま転倒する。
「風介!」「兄ちゃん!?」
どこからか聞こえてくる声と共に、ピピッとゴール地点から笛の音が聞こえた。誰かが先にゴールしたようだ。
「…士郎、何をする!」
「ご、ごめん…わざとじゃ…」
「……」
「……」
二人はお互いの顔を見合った。転んだせいで二人とも泥まみれ、鼻も頬も茶色く染まっている。それがなんだかとても可笑しく見えた。
「く…っ」
「ふふ…っ」
「あはははは!」
「ふふっ、風介くんったら、なにその顔!」
「お前なんて泥まみれだ!」
げらげらと笑い出した二人に教師達が駆け寄ってくる。早くゴールまで走りなさいと怒鳴り散らされて、二人は一緒に立ち上がると、歩いて二人でゴールした。
アツヤがどうしたのだ、と尋ねて来たのにも二人は爆笑し、その笑い声はグラウンドに響き渡ったのだ。
親友の笑顔を、僕はやっと見ることができたのだ