傘もささずに。




はぁはぁと、息を切らして走る。全速力。ひゅう、と喉が鳴った。地面を蹴りつける度にびしゃりと水滴が跳ね上がり、被っていた筈のフードもいつの間にかずり落ちてしまっていた。前髪が濡れて額に貼り付く。気持ち悪い。肌を打つ水滴も、人の姿を見るなり追いかけてくるあの金ぴかも。

もうずいぶん走った。わざと入り組んだコースを選んだお陰か、上手く撒けたようだった。膝に手をつき、軽く呼吸を整える。少し落ち着いたと思った所で、そのまま崩れ落ちた。

(あぁ、あ)

脇腹に手をやる。触れた部分につきりと痛みが走った。血は出ていないようだが、とにかく痛みが酷い。むしろここまで走ってこれたのが不思議なくらいだった。平和島静雄という名の化物が投げた障害物(コンビニのゴミ箱だったか何だったか既に憶えていない)が、かするように触れたそこは、おそらく内出血しているだろう。

(ああもう、本当、化物)

既に全身が雨でぐしゃぐしゃに濡れていて、そのまま路地裏に仰向けで倒れることに何の躊躇いもなかった。
顔面に、雫が落ちてきては弾ける。雨が降るからという理由ではなく暗い空を、目を細めて見やった。雲がたちこめるその空には、月も星も見えやしない。見えないならば、わざわざ目を開けておく必要もなかった。
雨は降り止まない。そういえば梅雨だった、と頭の端の方で考える。6月。水無月。水の無い、月。水は雨となって地上に降り注ぎ、天から水が消えてしまうから。馬鹿馬鹿しい、と鼻で笑う。カミサマだとか天界だとか。

ふ、と。
頬を打ち付ける水滴が止み、雨が上がったのかと一瞬錯覚するがしかし聴覚を埋め尽くすのは雫が地や壁を打つ音に相違無い。何事かと薄く目を開く。暗くて多少見えづらいものの、そこ立っていたのは。

「やぁ臨也。雨も滴る良い恰好じゃないか」
「……」

白衣の男が、傘をさして立っている。どうしてここに。なぜ。そう言おうと口を開くが、声帯を震わすよりも先に咳き込んでしまう。

「どうしてここにいるんだ、って尋ねたいんだろう? でもそれはこっちの科白だよ。臨也、君、どこに倒れてると思っているんだい? ここ、僕とセルティの愛の巣から目と鼻の先さ」
「あー……」
「どうせ静雄だろ? 君たちもいい加減仲良くすればいいのに」
「……るさい……」

新羅はしゃがみこみ、こちらの顔を覗き込むようにしていた。表情はよくわからない。

「まあでも、私としては君達が喧嘩ばかりしてくれると嬉しいこともある」
「……? ……っ!」

するり、新羅の手が、俺の頬に触れる。頬から顎、首筋、鎖骨、そして脇腹に下りていき、問題の箇所に触れられて思わずひきつった声が出た。

「ううん、見た目よりは酷くないみたいだけれど、安静にする必要があるね」
「しん、ら」
「残念なことに、今夜セルティは帰って来ないんだ、仕事の関係でね」

今夜はうちに泊まるといい。
新羅の声が鼓膜を打つ。雨は止まない。新羅が笑ったような気がした。

君が僕を頼ってきてくれるなんて、滅多にないからね。嬉しいよ。
そうやって笑って、優しくして、それでも、こちらを、見ない。






ミナヅキ





雨が降る。水の無い月だなんて、嘘も良いところだ。ざあざあと全身を打ち付けられて、今にも溺れる寸前だというのに。




*――*――*
酷い男な新羅も好きです。
2010/6/21

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