REUNION3




 強い口調でなにかを話しているサッチの声でマルコは目を覚ました。体は酷くだるくて、指先までもが重りのついた鎖をかけられている時のように軋んだ。

「能力者だってわかってたんなら何で注意してやんねぇんだ、このバカ!」
「能力者なら知っていて当然だろうが」
「マルコは知らなかったじゃねぇか!そういうとこがてめぇは足りてねぇんだ!」

 サッチが怒っている。大きな声が怖くて耳を塞ぎたかったが、体は少しも言うことを聞かない。マルコの呼吸の乱れに気がついたサッチは、身を屈めてマルコをのぞき込み、ごめんなと謝った。額に置かれたサッチの手がとても熱くて、マルコは自分の体がずぶ濡れなのに気がついた。
 クロコダイルに言われて、体を洗いに行った。大人に話しかける勇気を振り絞って、それが成功した体験はマルコの心も軽くした。浴室にも数人の男たちがいて、マルコの汚れたシャツを見ると浴室の隅の洗い場で洗っても良いことを教えてくれた。洗濯に使う石鹸と、マルコが使ってもいい石鹸、共用の洗い桶、タオル、それから見たこともない程巨大な浴槽。その全てが目新しくて、嬉しかった。湯気のたつ表面を触ってみると温かくて、対角にいるクロコダイルよりも大きな男が気持よさそうに浸かっているのを見たマルコは、教えられた通りに湯を汲んで体を洗おうと洗い桶を抱えて湯船に沈めた。
 ぐらり、と足元が歪んだ。桶を引っ張り上げようとしているのに、体はどんどんと湯船に引き寄せられてそれに逆らえない理由をマルコは知らなかった。軽いマルコの体が傾ぎ、とぷん、と小さな飛沫だけを残して、白ひげの体格に合わせてある深い湯船の中に沈み込んだ。

「ブレンハイムが助けてくれたんだ、後で礼言えよ」
 
 サッチが怒っているのはどうやらクロコダイルに向けてらしい、とようやくマルコにもわかった。けれどマルコには服も体も洗った記憶は無いし、クロコダイルに言われたことを守れていないのがとても気にかかった。
謝ったほうがいいのだろうか。マルコがそう考えていると、サッチはマルコの体を抱え起こして濡れたままの髪と体を拭き始めた。

「マルコ、お前今まで風呂とか、水たまりなんかに浸かった事はないのか?」

 聞かれるままに、マルコは小さく頷いた。頭から水を被せられたり、汚れを落とすためだけに乱暴に洗われたことはあれど、体を浸されたことはなかった。サッチの後に見える天井で、ここは先ほどマルコが服を脱いだ場所だとわかった。
 不思議な力をもっているだろう?そう聞かれて、マルコは初めて答えを躊躇った。けれどもサッチは急かすことはせず、ぞんざいにクロコダイルを手招いた。ふわりと風が動き、葉巻の煙と共に足音もなくクロコダイルはマルコの目の前に一瞬で移動した。足すら動かさずどうやって動いたのか、マルコには理解できなかった。

「ちゃんと見せてやれよ」

 自分が叱られたように身を竦めたマルコの目の前に、クロコダイルの右手が差し出された。マルコの頭よりも大きなその手には、薬指を除く全てに宝石の嵌った指輪が並んでいる。
 それが、崩れた。
 ぱらぱら、サラサラとマルコの座る横に、突然現れた砂が降り積もっていく。クロコダイルの右手はどんどん無くなって、目の前で流れる砂の滝はキラキラしていて、不思議な光景なのに、怖さは無かった。マルコはそれに、触りたい、と思った。マルコが指先を擡げようとし、クロコダイルの二の腕までが完全に消えたと思った瞬間、それまでの光景が嘘のようにそこにまた腕が出来上がった。濡れたマルコの指先は、クロコダイルの皮膚に触れる前に力なく床へと落ちた。
 悪魔の実の能力。水たまり、ましては海に入ってはいけない理由をサッチは教えてくれた。クロコダイルとて、水に入れば溺れて死んでしまうのだと。

「おれも……死ぬの」
「死ぬ」

 サッチがなにか言おうとしたのを遮り、クロコダイルは低く断言した。

「おいクロコ…」
「死なない能力でも、水に入れば死ぬ」

 呆気に取られたサッチを残し、クロコダイルは今度はコツコツと靴音を立てて出て行った。マルコがクロコダイルが湿気と水を嫌うことを知ったのは、もう少し後のことだ。

「死なない能力なのか」

 サッチに再度問われ、マルコはようやく頷いた。頷いて、ちゃんと口を開かないと駄目だと思った。

「切られたり、殴られて怪我しても、体が燃えて治るんだよい。だから、死ねないと思ってた」

 どれだけ痛くて泣き叫んでも、また最初から。同じ苦しみを与えられた。いつからこんな体になったのかは覚えていない。同じ小屋や部屋や檻に入れられた子供や若い女や男が冷たくなっていく横で、一人だけ体温を持つ自分の体を恨んだ。けれどもその冷たい肉の中に混じるのはもっと怖かった。でもそれと同じくらいもう死んでしまいたいと何度も願った。願って、叶えられなかった。その願いは今、呆気無く叶うものだと知った。

「……まだ、死にたいのか?マルコ」

 酷く既視感を覚えるサッチの問いに、マルコは首を振った。死にたくない、と言葉にした。頭を撫でられ、サッチに触られることに何の抵抗もない自分に気がついた。マルコが最初に握った時はとても冷たかったサッチの手は今では温かく、鼻の奥がちょっとむず痒いような、おかしな気持ちになる。
 鳥の姿になれるのを知ったのは、偶然だった。その時は高い格子窓から空が見えていて、そこには白い鳥の群れが列をなして飛んでいた。飛べればいいのにと、そう思った。その瞬間に、足を繋ぐ鎖が重い音を立てて床で跳ねたのだ。何度見ても、それは細い鳥の足で、手は青く燃える翼だった。夢かと思った。でもこれで、飛べると思った。
 けれど、現実は鍵のかかった檻に阻まれてマルコを閉じ込めている。ならば、もう少しだけ、もう少しだけ生きよう。扉が開いて、空が見えたならば、その時こそ飛ぼう。

 新しいシャツを着せてくれたサッチが立ち上がり、マルコも徐々に力の入るようになってきた体をゆっくりと起こした。

「クロコダイルが」

 手を差しだそうとしたサッチが、驚いた風にマルコを見下ろした。

「クロコダイルが、飛べるようになれって、言ったよい」

 サッチの手をきゅっと握り、マルコが真剣な貌で見上げてきた。初めて発音した名前を噛みしめるように、クロコダイルに怒っていたサッチを咎めるように。

「……もう怒ってねぇよ」

 母ちゃんが苦労してるってのに、良いところだけ持っていきやがって。ぼやきの増えたサッチが、風呂の入り方は今晩おれが教えてやるから、と甲板へ戻る道を歩きだした。全てが日の光に照らされた甲板で、クロコダイルが誰かと話していて、周囲の男たちは皆元気よく働いていた。
 サッチの手に包まれていたマルコの手が青く光りだし、炎は翼のかたちになる。かたちを変えるマルコに、サッチは驚いて、そして微笑んだ。
 マルコの周囲を旋回した砂混じりの風は、一瞬だけマルコを包み、やがて空へ、消えた。
 


2011/02/09

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