夜の虹 3




 シャクシャクと軽快に合わさる鋏の音が照明を落とした店内に響く。店のある通りの一本向こうにある国道から、昼間は聞こえない車の音が聞こえていた。

「相変わらず素っ頓狂な生え際だなぁ」
「うるせぇよい、こんな頭にしやがって」
「気に入ってずっとそのままじゃねぇか」

 鏡越しのサッチが笑いを堪えるのを失敗して肩を揺らすのは丸見えで、マルコは憮然として口元を引き結んだ。生来襟足部分の生え際が歪んでおり、少々髪が伸びるとどうしても髪の毛が浮いてしまう。サッチと知り合って翌日、病室でいきなり髪を触られて何事かと思えば「ヅラに見えたんで確認したかった」と言われた衝撃をマルコは忘れない。学生だったサッチに美容学校まで連れて行かれ、数人の学生たちにああでもないこうでもないと議論されながら最終的に辿り着いたのが現在の、頭頂部に全ボリュームを置いた髪型である。おかげでどこの業界で仕事をしても直ぐに覚えられる上に、マルコ自身髪型などどうでもいいという感覚なので実際は便利で気に入っている。海外に行く時も、散髪屋に髪型をジェスチャーして「同じにしてくれ」と言えば大体は通じた。

「今回はいつまでこっちにいるんだ?」
「まだ決めてねぇ。打ち合わせが終わればまた無職だよい」
「相変わらずだぁなお前。んじゃ、しばらく居るんだな。ついでに風邪もしっかり治せよ、大分痩せたろ」

 髪の毛の付着していない手の甲で、サッチが少し肉の落ちたマルコの頬を軽く叩いた。いつだって魔法のように器用に動くサッチの手は固く骨ばっていて、けれども乾いて何時でも温かい。首もとに熱が上りそうで、マルコは気付かれぬようにそっと腹で深呼吸をした。

「もう家に帰るよい。エースに無理矢理連れてこられたけど、やっぱり」
「駄目だ」
「……帰るよい」
「駄目。悪化するに晩飯十回賭けてもいいぞ。帰ってもどうせ心配になって見に行くんだ、手間だからここにいろ。エースだってそう言ったろう」

 エースと偶然会った日、サッチの家に連れ帰られたマルコは案の定丸二日寝込んだ。幸いインフルエンザでは無かったが殆ど起き上がれないほどの高熱で、サッチは普段の食生活が杜撰過ぎるせいだとネチネチと説教をして来て、謝るくらいしかマルコに出来る手立てはなかった。受験生だというのに服を換えてくれたのもサッチの仕事中に飯を作ってくれたのもエースで、いい加減迷惑をかけ過ぎだとマルコは思うのだが、鏡越しのサッチの眼力は緩まない。

「……サッチの飯食ってたら逆に腹が出そうだよい」
「出せ出せ、共に中年太りしようじゃねぇか」
「ごめんだよい」

 風呂前にエースと並んで腕立てや腹筋の数を競争をしているサッチの腹は、体質のせいで適度に脂肪はのっているがどこからどうみても中年太りとは無縁である。逆にマルコは脂肪も筋肉もすぐに落ちてしまうのだ。
 帰るのを諦めた様子のマルコに、サッチは満足気に口角を引き上げてぶおん、とドライヤーのスイッチを入れた。金色の短い髪がキラキラと飛んで磨かれた床に落ちる。マルコは俯いて、髪の毛が目に入らないように目を閉じた。
 自分の感情も、こうやって小さくなって、サッチに気がつかれないうちにバラバラになってしまえばいいのに。けれども誰も掃除してくれない思いは、散らばっても散らばっても床の上に降り積もってしまう。
 ドライヤーが切られ、再び店内は静寂に包まれた。マルコの髪を箒でさっと掃いたサッチが、ケープを外しながら照明の落ちたウィンドウに顔を向ける。通りの向こうに、塾帰りのエースの姿が見えた。街灯の少ない道から見えるこの店は、童話によくある幻の温かい家に見える、といつかもっと幼い時のエースが口にしたその意味は、マルコにもよく分かる。

「エース帰ってきたし、飯にしよう。マルコ、湯冷めすっから髪は後で洗ってやるよ。熱がぶり返さなかったら風呂は明日な」

 サッチの中ではマルコの滞在はすでに確定済みで、マルコは従順に頷くしか出来ないしさせてもらえそうにない。バックヤードから外に追い出されると、真冬の風が吹きつけて思わず肩を竦める。急ぎ足で徒歩5秒のサッチの家に入ると、鞄を下ろしていたエースが「いつものマルコだ」と頭を指して笑うのでペシリと頭を叩く。

「受験生の頭叩くなよ!英単語が溢れる!」
「そんなものは元から入ってないから問題ないよい」
「ひでっ、聞いたかサッチ!マルコの分の唐揚げくれよ」
「真実だろい」
「…………泣いていいところ?」
「唐揚げ食っていいから落ち込むなよい」
「マルコ、単にまだ油物食いたくねぇだけだろ」
 
 追いついたサッチが扉を閉め、喧嘩せずに手洗いうがい!と号令をかけるとエースは台所、マルコは洗面所に示し合わせたように別れてガラガラうがいを始めるのを鍋の油に火をつけながら「おれはかあちゃんか!」と突っ込みながらエースの後にうがいも済ませ、午後の空き時間に仕込み終えていた鶏肉を冷蔵庫から取り出した。

「マルコが食べない分、この山盛りの肉はエースの脳みその栄養になるといいな」
「……サッチまで……」

 落ち込むエースに食器を揃えさせ、普段は二人の食卓の上を品数は少なくとも大きな皿で彩る。一緒に飯を食うことはどれだけ重要かということをお前らは全く分かっていない、とサッチに散々説教されたのは、マルコもエースも一度や二度ではない。
 マルコが戻って、エースはどんぶりに山盛りの米をつぐ。揚げたての唐揚げは次々に皿に転がされて、味噌汁を啜りながらマルコも一つだけ食べた。自分が居なくても、この日常は続いているし、マルコが戻ってきてもやはりサッチは同じようにご飯を作ってくれるし迷惑を迷惑とも思わない。わかっているからこそ、怖い。
 次はどこの国に行こう。マルコはそればかりを考えていた。





2011/02/04



 
うちのサッチはちょっとマッチョなプロレスラー体型。
筋肉にうっすらと纏う脂肪の鎧!









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