聖夜を待つ




 次の島まではあと一ヶ月だと航海士に聞き及び、マルコは少しだけ減った胸のつかえに息を吐いた。大海賊である白ひげが乗るこの船は大きく乗り込む人間は強く、例え海上戦になろうともビクともしない。出来れば陸に降りたくは無いというのが本音だった。
 白ひげが幼いマルコを託したのは傷顔に鉤爪の、およそ子供を育てるのに適さ無い人物だったが、彼を信頼しているし、ほかの誰にも無い世界の知識や字や言葉を習うのはとても好きだった。けれどやはり、そのコートの裾を掴んで俯き、周囲のざわめきに耳を塞いであがる陸はどうしても好きになれない。彼にわがままを言えば船に残ってもいいだろうかと考えたことは何度もある。けれどもいつだって彼は身につけるきらびやかな宝石と愛用の葉巻と同じようにマルコが自分についてくるものだと思っている。そう思っているに違いないと、マルコは思うようにしている。だから、彼に陸に上がるのはいやだと、これまでにずっと言い出せずに居た。

「へぇ、じゃぁ着く頃には丁度聖夜だな」
「聖夜っておめーの口から出ると途端にうさんくせぇよ」
「うるせぇな。しかしよ、聖夜っていやぁ街の寂しい女がいつもよりサービスしてくれる特別な日じゃねぇか」
「そりゃてめーが普段モテねーからだろ!」

 ワイヤーで作られた釣り糸を垂らしながら大口をあけて下品に笑う比較的若いクルーに混じって小型海王類用の捕獲網を繕っていたマルコはその単語にちいさく顔を上げ、「聖夜って、なに」と手を止めて訪ねた。マルコの世界は未だ知らないことだらけだ。知らないことを知ろうとしない事は愚かな事だと彼も言っていた。

「なんだマルコ、おまえもうそんなことが気になる年か!」
「子供に何言ってんだこのうすらトンカチ!」

 男たちが島で女と何をするのかマルコは知っている。マルコの保護者である彼が金銭で女を買うのは見たことはないが、常に一緒にいるわけではないのでそう言うことをしていてもおかしくないと思う。マルコはまだ男としての機能が未熟で、その気持ちはわからないが、どんな状態になるのかは嫌と言うほど知っていた。
 お互いの頭を殴りあいながらクルーが教えてくれたのは、何でもその日は聖なる人が生まれた祝いの夜で、その聖人を信仰する人間たちが街をあげて祝うのだと。そして日頃良い子にしていた子供には、立派な白いひげの老人がトナカイの橇に乗ってプレゼントを配り歩くのだそうだ。最後の話を真に受けるほどマルコは幼くなかったが、無視できる程には大人になれていない。

「それじゃぁ、海賊の子供にはそのサンタクロースって爺さんはプレゼントをくれないね」
「馬鹿言うなマルコ!俺がガキだった頃だって貰えたんだぜ?お前がいい子じゃない筈がねぇ」
「けど、小さい頃は海賊じゃぁなかったろい?」

 クルーたちがその言葉に返答を躊躇うのにマルコはちっとも残念ではなさそうに微笑んだ。この船の人間は、皆自分に優しい事をマルコは十分に理解している。

「そんな見も知らねぇ爺さんからプレゼントなんて欲しくないよい。それに立派な白いひげなんて、オヤジの真似っこみたいだよい」

 そうだよな、オヤジのひげの立派さに敵うやつなんざいねぇとクルーは安心したように笑い、マルコもクルーたちが笑ったことに安心して小さく微笑んだ。そして考える。そんな祝い事の日ならば、彼は自分を置いて島の女性と過ごすのかもしれない。それはほっとするのと同時に、少しだけちくりと小さく薄い胸が痛んだ。
 
「でもよマルコ。聖夜ってのぁそんなことよりもっと重要な事があるんだぜ?」

 聖人の誕生祝いより、老人のプレゼントよりももっと?
尋ねようとマルコが口を開いたのを急激に引いた釣り糸に意識を奪われたクルーたちは気付かなかった。歓声をあげながら巨大な海王類が引き上げられるのを見て、邪魔にならぬように小網をくるくると巻きとったマルコが甲板を後にするのを、誰も追うことはない。網を倉庫に収め、なんとなく足を船長室に向けたが、航海士となにやら話し込んでいる白ひげの背中を見つけてくるりと踵を返した。邪険にされることなど万に一つもないとわかっては居ても、大人の話に割り込むことは躊躇われた。
 自分の部屋でもある隊長室に戻っても、彼が中で仕事をしていたら邪魔になってしまう。そう思うとこの広い船の中でどこにも行く場所が無い気がして、マルコは無意識にぎゅっと唇を噛みしめた。仕方なくもう一度甲板へ出ると、引き上げられた海王類は既に解体が始まっていて、今日の食卓に上る赤い身を晒していた。
(……あ)
 海王類に落ちるマストの影の形に気がついて、マルコは顔を太陽に向けた。傾き始めた日を背に、見張り台の拵えのないミズンマストの天辺に誰かが居る。衝動的に腕を翼に変えたマルコがマストに飛び立つのを、海王類の肉を手にした男たちがにこやかに見送った。
 足音もなく、僅かに幻の炎が奏でる旋律を残して隣に降り立ったマルコに、短くなった葉巻をくゆらす男が振り向いた。

「仕事は終わったのか」

 うん、とマルコは頷いた。葉巻が短くなる時間、彼はマルコを見ていた事を知る。彼は高い場所が好きで、穏やかな航海中はこの場所に居ることがこれまで何度もあった。衝動的に飛んでしまったので、彼が一人の時間を邪魔された事に短い気を損ねていやしないかと考えはしたが、マルコは彼に尋ねたい事があった。

「聖夜の事について、教えて貰ってたよい」

 ああ、とさして気のない相槌に、マルコは理由もわからぬ落胆した心持ちになった。そして、望んでいた筈の彼の言葉は、酷く無慈悲にマルコの胸を貫く。

「来月、お前は上陸せずに船に居ろ」

 マルコが彼の言うことに逆らったことは無い。この時も、わかった、と返事をした。世間では、親の言うことをよく聞く子供が良い子である定義だそうだ。だとすれば、もしマルコが海賊でなければ、立派な白いひげの老人は山のようにマルコにプレゼントをくれたのだろうか。

「……なんだ、聞いてねぇのか」

 え、とマルコが顔をあげると、彼の金色の目が不機嫌そうに眇められていた。いや、不機嫌であることを装っている事がわかるほどには、マルコは彼が優しい男であることを知っている。

「聖夜ってのぁ家族で過ごすもんなんだ。それと、おれはあのサンタなんとかって爺の話が嫌いでな、そんな見も知らねぇ爺に施しを受けるくらいならお前がこの船で働いた給金に上乗せして何か買ってやる」

 店先で悩まれるのは好きではないから、今のうちから欲しいものは決めておけ、と彼は長い足を組み直して再び眼下の騒ぎを見るともなしに煙を海風にたなびかせた。わかった、とマルコはもう一度頷いた。彼の脚の間に出来た少しの空間と、ほんの数度だけ自分の方に傾いた彼の体の角度に、今度は間違えることなく彼の意を汲み取ったマルコがふわりと羽ばたき、ゆらめく青い炎の雛毛を彼の脚に押し付けてしっかりと翼を体に付けた。
 葉巻の香りの染み込んだ彼の大きな手がマルコの体を風から守るように包み、マルコは眠たげな瞳をゆっくりと閉じる。

「クロコダイル、おれ、とても楽しみだよい」

 ああ、と気のない答えでも、クロコダイルの手はマルコに温かなものをいつでも教えてくれていた。
 


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