夜の虹




[設定]
・美容師サッチ
・高三エース
・従業員ハルタ
・放浪しているマルコ
・マルコの元恋人のベイ





 看板とウィンドウの照明が落とされると、店内は一瞬にして今日の終わりを告げる顔になり、外の世界との繋がりを拒絶する。幾度も見て来たその光景が、エースは好きだった。理由を問われればはっきりとは答えられないかもしれない。けれど、その拒絶された空間の中に自分は入ることを許されている、それが嬉しいのだと思う。

「サッチ、ただいま。掃除は?」
「おうお帰り。さっき最後のカラーが終わってなぁ、何も片づいてねぇよ」
「ハルタがいねぇけど」

 裏口からバックヤードに入り店内を見渡せど、レジ金を集計しているサッチの他に従業員の姿はなかった。ハルタは来年独立する予定のカット見習いの名前だ。

「インフルエンザだとさ。シャンプーしすぎて手がふやけちまった」
「サッチがシャンプー?ハルタには悪いけど、お客さんはラッキーだな」
「おうよ、おれの神の手でなされる頭皮マッサージで涎垂れてたぜ」

 指摘せずに水滴が散ったふりして口拭いてあげたけどな、とサッチが疲れの見える目元で微笑んだ。手伝うよと告げれば投げキッスまで飛んできて、憎まれ口をたたきながらエースは腕まくりをしてバックヤードに引っ込んだ。
 乾燥機を確認してシンクに山盛りのロットを洗いながらお客用のコーヒーカップを漂白剤につけ、てきぱきとサイズごとにロットリング用のタオルでくるんで水切りをする。洗うときに散々邪魔だったパーマ液の臭いのする薄い紙はいつしか使われなくなり、片づけの手間は減ったが量は変わることはない。時代とともに道具は変わり、それはサッチと自分が年を重ねたということになる。
 この美容室は十年前にサッチが独立して構えた店だ。エースとサッチに血の繋がりはなく、少々複雑な理由で二人は同居のような生活をしていた。サッチの自宅は棟続きのアパートの隣で、大家である立派な白いひげの老爺の好意で美容室とエースの部屋のある店の二階の階段に壁をぶち抜いてサッチの部屋と開通させてあり、お互いの部屋を行き来できるようになっている。

「そういやお前も髪伸びたな。計算終わったら切ってやろうか」
「いいよ、サッチ今日疲れただろ。また今度でいいからキリ良いところで一服して来いよ」
「遠慮しねぇでもいいのに」
「してねぇ。もしハルタのインフルがうつりでもしたら店閉めなきゃいけねぇだろ。まだ前髪もそんなに気にならねぇし、ハルタが復帰したらでいいよ」

 蛇口を閉めたタイミングで乾燥機が終了を告げるメロディーを鳴らした。エースは手を拭いてふわりと乾いた大量のタオルを籠に詰めてシャンプー台に移動し、手慣れた様子で決められたサイズに折り畳む。クリーニング業者に頼めば省けるこの手間は、小さな美容室ではコストの面で省けない。がしゃりとレジが閉まる音がして、サッチのラバーソールが磨かれた床をきゅっと鳴らした。

「ほんじゃお言葉に甘えて一服してくるわ」
「おう」

 シャンプー台の上にタオルを詰めるエースの後ろで、バックヤードの棚からサッチが煙草をとる気配がした。昨今、煙草の臭いを狂気的に厭う女性客も珍しくない。サッチが煙草を吸うのはバックヤードを出た僅かな庇の下だ。これからの季節はどんどん冬に向かう。エースは煙草くらいで嫌がる女など来なければいいのにと思うが、口に出せばサッチがどれほど不愉快な顔をするかわかっているので言ったことはない。
 ひゅおう、とバックヤードから店内に風が吹き込み、案の定サッチが「今からの季節はきちーなー」とぼやいているのが聞こえた。エースの床掃除が半分終わり、時間からして半分も吸っていないだろう煙草の刺さった灰皿を抱えてサッチが寒さに肩をすくめながら店内に戻ってきた。モップをかけるエースの背後で、僅かな煙の匂いの着いたサッチが優しく笑っている。笑っていると、昔から決まっているのだ。

「髪は今度切ってやるけどさ、おれは今日はお前の髪を触りたい気分だ。飯食ったら一緒に風呂入ろうぜ、洗ってやるよ」

 おれの神の手で。と口角をあげ、ヒヒ、と楽しそうに喉で笑うサッチはいつか見たテレビアニメの意地悪な耳の長い犬に似ていると思う。
 耳が熱いのは、吹き込んだ風が冷たかったせいだ。
 叱られるほど乱暴に床を磨きながら、エースは小さく悪態をついた。



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