午睡の温度
昼食後の満腹感と午後の暖かい日差し、そして乾いた紙の匂い。今眠れば、さぞかし良い夢が見られるに違いない。
風通しの良い資料室は、その利便性と引き換えに抗い難い悪魔が潜んでいた。
「エース、船漕ぐぐらいならいつも通り潔く寝ちまえよい」
「寝ない。頑張る。」
短い単語のみで返答を返したエースに、うず高く積み上げた帳簿をめくりながら微かにマルコが口角を緩めた。
船長を務め上げていただけあって、エースの航海術は申し分無い。ただ、備品の管理、消耗品の予測、千人を超える乗組員の食料。そういった数字に関する知識は酷く曖昧で、なにより海に出てからの経験年数は圧倒的に少ない。
マルコの選択した過去の統計資料を睨みながら仮帳簿に数字を書き入れていく姿は、エースにあるまじき真剣さだった。
勉強は苦手だけど、こういう事も全く出来ないじゃぁこれから困ることもあるだろう?
そう言って時折目を擦りながらペンを動かしている。これだけ大きな船で、エース一人が出来なくても何ら支障は無いのだが、そのやる気を折る理由は見あたらない。
「……なんだ、やっぱりもう飽きたんだろい」
「やっぱりってなんだよ」
部屋の中の風が動き、首筋に生ぬるい息を感じたマルコが手を止めた。ぴたりと背中に張り付いたエースの胸からジワリと衣服越しに熱が伝わる。
「天気良くて、ちょっと眠くて、マルコがいるだろ?」
「で、下半身も馬鹿になったのかい」
頭も体もとは困ったもんだ。マルコの揶揄に、エースの腕が責めるように太い首に回る。腰に当たる部分は、言われた通りの形に硬く膨らんでいた。
「息抜きさせてよ」
「勉強したいって言い出したのぁ何処のどいつだよい」
勝手なことを言っている自覚はあるらしく、首もとでエースが低く唸った。
止まっていたマルコの指が再び動いて帳簿をめくり、右上がりの癖のある数字が紙に書き移されて行く。
「お願いしますマルコさん」
「いきなり気持ち悪いよい」
「頼みますマルコさん」
「うるせぇ」
「だったら、この計算出来たらしていい?」
「出来てもしねぇよい」
にべもないマルコの返答に、首に抱きついたままのエースが踵でドンドンと床を鳴らす。振動で字が歪み、マルコがついに舌打ちをした。
「邪魔するなら甲板で新人の相手でもしてろい!」
「……ごめん」
殴られるまで食い下がるのが常なエースの謝罪に、拍子抜けしたようマルコの動きが止まった。謝ったきり動こうともしないエースを背中に張り付けたまま、マルコは再びペンを握り直した。
ペン先が紙を削る音と紙をめくる乾いた音が規則的に室内に響き、窓からは少しだけ角度を深めた午後の日が射しこんでいる。
耳元にかかる呼吸音が唐突に安定し、エースがついに眠ってしまったのがわかった。人の首に抱きついたまま器用な奴だと思うが、食事中にフォークを空中で静止させたまま鼾を掻き始めるいつもの姿を思い出し、なんら差は無いなと結論付けた。
腰に張り付いたままの熱は流石に大分柔らかくなっていて、おっ立てたまま眠ったのかと思うと鼻から抜けるような笑いが漏れてしまいそうになる。
ガキが、とついいつも口にしてしまうが、言葉通りエースは子供だ。体だけは大人の子供。べたべたとくっついてくる体温は高いし、すぐに拗ねるし我が強い。ただ甘え方だけは、世間の子供に比べれば壊滅的に才能が無い。
こくり、とマルコの頭が揺れた。走らせていたペン先が何も文字を記さない理由を一瞬考えねば理解出来ず、眉をしかめて羽根ペンを転がした。
日光に晒されて乾き始めたインク壷の口を閉め、書き終わった部分だけを纏めて重石がわりにインク壷を置いた。
(タイミングの悪い奴だよい)
いやむしろこの場合、自分にとってはタイミングは良いのか。
エースを起こさぬよう、口の端だけで笑う。机に隠れていたマルコの脚の間の布地が、勝手に自己主張をしているのを発見してしまったのだ。
エースが見れば喜び勇んで指摘したであろうが、生憎耳元の寝息は乱れもしない。ゆっくりと脚と腕を組み、覆い被さってくる体重とバランスをとりながら目を閉じた。
残りはエースが起きてから、蹴りあげながらでもやらせて覚えさせよう。
エースを背負ったまま器用過ぎる姿勢で昼寝をしているマルコが隊員に発見されたのは約一時間後。
朝立ちならぬ寝起きの硬いものを背に感じ、マルコは今度こそ丁重に二番隊隊長殿を扉の向こうまで蹴り飛ばした。
2010/06/29
ラブサイトさんの日記から副交感神経ネタを拝借いたしました。
下半身が馬鹿になるおはなしw
マルコさんもリラックスしたあげくの暴走でした。
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