酔いどれの唄





 一抱えもある白ひげの大杯をあけて、返杯とばかりに自分の身長と同じ程ある酒瓶を傾けたマルコが機嫌良く大口を開けて笑っている。
 遠く二番隊の輪からそれを見たエースは、うっと自分の胸を押さえた。あれほどの量の酒が一体どこへ入るというのか、自分の無限の胃袋を横に置いて不思議になってしまう。

「マルコ隊長ですか?そういやぁ泥酔してるって姿ぁ見たこと無いですね」

 エースの問いに、一番の新入りの自分に比べれば大分にマルコとの付き合いの長い一番隊の男が首を傾げた。アルコールに強い体質と泥酔しない程度の自制を利かせているせいなのか、エースはマルコが多少酔っているかもしれないという程度のものしか見たことは無いという。

「ラクヨウも、無ぇ?」
「ねぇな。俺らは宴の時も離れてるときが多いからよ、サッチかジョズ辺りならあるんじゃねぇのか」

 既に顔を真っ赤にしているラクヨウが遠くに見えるジョズたちの背中に向かって顎をしゃくって見せる。
 マルコが酔うとどうなるのか。
 エースの投げた小さな疑問は酔漢たちの間で興味本位と好奇心がアルコール漬けとなって広がっていった。

「よし、見よう」
「は?」

 ばちんと膝を叩いたラクヨウが周囲を呼び寄せ、密談というには騒がしすぎる指示を出し、エースは呼び寄せられるがままにその輪に放り込まれる羽目となる。




「勝ち抜きは駄目だぜ!ジョズに誰が勝てるってんだ!並べおまえらぁ!」

 マルコが大騒ぎの中心に戻ってきた時には既に船大工たちが完成させたテーブルが甲板の中央に設置され、その横に何故か整列させられている一番隊と三番隊という奇妙な光景を目にする事となった。

「何事だよい」
「余興ですマルコ隊長、ただ力比べだけじゃつまらねぇってんで、代表で隊長が罰を受けるってルールです。もちろん勝負が決まって隊長が負けた隊もね」

 整列の意味は、巨人族、魚人の血を引くクルーたちは別枠とし、体格の変わらぬ各隊員たちを順番に組み合わせて行くという公平な選別のためらしい。
 
「隊の組み合わせは副官たちがくじで決めました。マルコ隊長、ノってもらっていいですかね」
「罰ってのぁなんだよい」

 乗るもなにも、既にゲームは始まろうとしている。ここで拒否するのも騒ぎに水を差すものになるし、マルコは元々こういった馬鹿騒ぎが嫌いではない。既に腰掛けているジョズの隣へマルコが座るのに、船室から物資を運んできたエースが開始の狼煙をあげた。
 計画がうまく行かずとも、この余興だけで十分に楽しめる。頷きあった隊員たちは、お決まりの賭札を興奮のままに配り始めた。


「あはははははは!!マルコ弱ぇ!!弱すぎる!ひぃっ、腹いてぇ……!!」
「うるせぇよい!最後に勝ってりゃいいんだよい!」
「勝ってねぇし!!」

 既に五戦目、マルコの勝率は一勝四敗。
 特設アームレスリング会場で勝者を選ぶ際に、ジョズと指名が被ればジャンケンで決めるという至極簡単なルールに負け続け、結局ジョズが選んだ隊員が勝つという事態に陥ったマルコの空けたグラスも四杯目である。
 体格差ハンデでジョズのものが数倍も大きいが、マルコのグラスを満たしているその中身も尋常ではない度数のアルコールを更にジンジャーエールでホップさせるというショットガンだ。火がつく度数のアルコールに即座に体内に酔いを染み込ませる炭酸は最高に人を酔わせる組み合わせである。
 隊員同士の腕相撲で賭が始まり、最後にはどちらの隊長が先に潰れるかのクライマックスまで甲板の上は大いに盛り上がり、何事かと騒ぎを聞きつけた黒くじらに乗っていた隊長たちまでもが集まり出した。

「エースてめぇ!こんな騒ぎに何でおれを呼ばねぇんだ!」
「気がつかねぇサッチが悪いんだ。知らせる義理なんざねぇし」
「アホか!面白い事にはおれを呼べっていう鉄則があんだよ、なぁ!?」

 サッチが同意を求めれば、似たものの四番隊員たちがわぁと歓声を上げて手を叩く。染まってしまった元スペードクルーたちを目にして、エースはガクリと肩を落とした。
 また一つ歓声があがり、今度はマルコが賭けた1/4巨人の血を引く男がようやく勝ち、グラスから泡をあふれさせながらショットガンがジョズの喉に落ちた。ジョズが先に潰れてしまっては計画は頓挫するので、エースは口に出さないまでもジョズの肝臓を大いに応援している。

「なんだ、マルコを酔わせたい計画か」
「なんでわかんだよ」
「そりゃおれがサッチ様だからだ。うまくいくかねぇ」

 悔しいほどの観察眼を持つサッチにエースが嘘を突き通せた試しはないし隠してもいなかった。だがサッチの言葉の端にいつもは無い棘を感じ、エースは背の高い傷顔を見上げて表情を伺う。けれどもそこにはいつも通りのにやけた口元があるばかりだった。

「……マルコが酔うと、何かまずいのか?」
「ん?別にんなこたぁねぇ。さ、おれも賭けに加わるかな!おい親ぁ誰がやってんだ!賭け札寄越せ!」

 ぐしゃぐしゃとエースの髪をかき回したサッチが胴元の元へ去り、ぽつりと取り残されたエースは乱された髪に緩慢に手をやった。
 勝負は二十戦目、負け続けているマルコの足下には既に空になった酒瓶が転がっている。顔色一つ変えないマルコに、周囲の喧噪は高まるばかりだ。
 先ほどまで高揚していたエースの気持ちは、海に放り込まれたように静まっていた。サッチが賭札を奪い取り、なにやらマルコにちょっかいを出して殴られている。同じ船に乗ってたかが一年弱の自分とサッチの差を見せつけられた気がして、酷く気に入らなかった。
 最後の隊長同士の対戦で、台に乗せられたジョズの腕がぐらりと傾いだ。マルコが力でジョズに勝てる筈も無い。だが実際最後まで立っていたのはマルコで、床に崩れ落ちた真っ赤な顔のジョズが三番隊十人掛かりで運ばれて行くのを見て、エースはほっと胸をなでおろした。やっぱりマルコはこの程度じゃ酔わないんだと、勝利した一番隊たちがあやかれた賭けの恩恵に口ぐちに礼を言ってマルコを称え、続く7と13番隊の賭けに気持ちを移して行った。
 輪から外れたマルコに足を踏み出す。けれどそれよりも先にその肩を抱いた男が居た。
 ああ、また取り残された。
 胸の奥がすんとする。周囲の馬鹿騒ぎもまるで耳に入らない。顔を寄せあって笑う二人が甲板を外れ、船明かりの届かない船室に消えて行くのを、知らず追いかけていた。
 白ひげの居室の側に隊長たちの部屋はある。扉の閉まる音はやはりサッチの部屋からした。鍵のかかる音は聞こえなかった。だから、ノックもせずにエースは扉を開けた。

「おいおい、せめて五分くらいは迷って遠慮してくれよ」
「鍵かけてねぇサッチが悪い」

 エースの声は、暗い部屋に酷く低く険悪に響いた。
 不法侵入者が目にした光景は、ベッドに腰を下ろしたサッチの首に手を回し、お互いに隙間も出来ぬほどに抱き合うマルコの姿だった。エースを見ようとしないマルコの腕には強く力が篭められていて、決して眠っていないという事をエースに告げている。

「なんで、おれじゃねぇの」

 マルコの背中が僅かに反応し、その背に置かれたサッチの手がそこをあやすようにして撫でる。それが気に入らない。マルコがこうなった理由なんて知らない。単純な感情だ。マルコが自分じゃない男と抱き合っているのに苛立って仕方がなかった。

「酔っぱらいの行動だ。多少は目を瞑ってやれよ」
「出来ねぇ。……おれは、サッチみたいに大人になれねぇよ」

 それが誰に向けられた言葉か、マルコには分かるはずだった。大股で近づいたエースがマルコの手の甲をそっと包むように握る。頑なにしがみついていたその手は急に力を失ったようにだらりとエースの手に掴まれるままに向きを変え、エースの胸に体ごと抱き込まれた。俯いたままのその表情は伺えない。けれどもエースの裸の背に触れたマルコの指先には痛いほどの力が篭められていた。
 マルコが居た場所にぽかりと開いた伽藍洞に、サッチは僅かに目を伏せて口元に苦笑の色を浮かべた。

「一旦度を超えて飲んじまうと、なんでかダウナーにはいっちまうんだよ、そいつ。……内緒な」

 先程と同じ。マルコがいつもそうするように、サッチもまたエースの髪をくしゃりと撫でて立ち上がった。主の居なくなったベッドが軋み、開いた扉から差し込む明かりが僅かにエースの横顔を照らし、再び闇に閉ざされた。
 さっきまでおれたちは馬鹿騒ぎをしていた筈なのに、なんでこんなどうしようもない感情を持て余さなければいけないのだろう。
 抱き抱えた熱い体からは、当たり前のように満ちているサッチの煙草の匂いと、マルコ自身の体臭がする。
 
「マルコ……眠い?」

 問いかけに、胸の上で小さく否とかぶりが振られ、エースは次の行動が思いつけなかった。いつもならば、マルコに痛いほどに抱きしめられて嬉しく無い筈がない。けれど今はそれが酷く不安だった。

「じゃ、……さみしい?」

 悔しいけれど、サッチがしていたように、広い背中を弟にするように撫でてみた。密着している胸から、マルコの早い鼓動が聞こえる。たぶん自分も、そうなっているはずだ。そう思えば、なんだかこの状況が楽しくなってきた。
 だって今、マルコが必死に縋っているのはサッチではない。だから、ふとその衝動にかられた。

「おれ、マルコのこと、気に入ってるよ」

 わざと少し、生意気な口調で胸の上にあるマルコの髪をぐしゃぐしゃと撫でる。例え今、常日頃に無い程酔っていたとしても、自分がエースにした事がそのまま返ってきていることに気がつかないわけがない。
 マルコの腕の力が少しだけ緩み、暗闇で顔を上げる気配があった。闇に慣れてきた瞳に、マルコの眼球がしろく光ってる。

「エース……」
「なに」

 ようやくマルコが口を利いたときには、エースの表情は余裕の笑みさえ浮かんでいた。少しだけ眉を寄せたマルコが、しかし諦めたようにエースの胸に頬を押しつけた。まばらな無精髭がチクチク刺さってエースが身を捩っても、マルコはそこから離れようとしない。

「今日はもう、なにもしたくねぇよい。だるい」
「寝ていいよ。でもここサッチの部屋だから、担いででもマルコの部屋まで運ぶよ。お姫様だっこで」

 くすくす笑いながら、金の髪を指先で弄んでエースが嘯いた。酔っぱらってエースに抱き抱えられるマルコを誰かに発見されるのを想像するだけで、一週間は酒の肴にされるだろう。

「……いいよい。運んでくれ」
「へ?」

 唐突に、まさに落鳥したかのようにエースの胸の上の重みが増した。恐る恐る頬を引っ張ってみても、安らかな寝息は寸分も乱れない。エースに抱きついたまま、マルコは完全に眠りの世界へと旅立っていた。

「……ほんとに、しちゃうぜ?」

 無防備なその背中を撫で、潮と酒の匂いがする髪に口づける。重力から解放されたマルコは、子供がするようにエースの首にしがみついて顔を埋めた。








「……怒ってる?」
「怒ってねぇ」
「じゃ、なんで不機嫌なの」
「…………記憶をなくせる体質だったらよかったよい」

 日も昇りきった時間、各隊長たちは飲み過ぎで役に立たず、持ち前のアルコール分解能力のせいでマルコと、参加しなかったエースだけがモビーの上で忙しく働いていた。エースの対戦相手はナミュールだったのだが、盛り上がりすぎて先に潰れてしまったために不戦勝で持ち越しとなったのだ。

「覚えててくれて嬉しいのに」
「うるせぇよい!とっとと持ち場に行け!」

 足音までが照れているマルコが嬉しくておかしくて、甲板にエースの上機嫌な笑い声が大きく響いた。
 あの後本当に抱き上げて甲板を通過し、衆目を集めながら自分の部屋まで連れて行かれたマルコは朝食の席でも散々からかわれていた。マルコの酒癖は、記憶は無くさず、普段の行動から少し理性が外れてしまうものだと古い隊員たちから聞かされた。昨日知ったもう一つの癖は、内緒だ。
 ということは、あの行動は間違いなくマルコの本音だということだ。
 サッチに抱きついたマルコ。それを奪ったエースに抵抗もせずに身を預けたマルコ。
 もうマルコを泥酔させるようなことはすまいとエースは心に誓う。マルコがサッチのことを大事に思っているのは知っている。けれどもそれを笑って全てを許せるほど広い領域は、エースの心には無い。それは、無理だ。

「よう、今日は大変だな!寝ないように頑張れや。マルコがカリカリしてら」
「寝ねぇよ。サッチも二日酔いでそこらに吐くんじゃねぇぞ」

 未だ赤い顔と酒精を引きずったサッチがエースの肩を叩き、それでも完璧にセットされたスタイルでひらひらと手を振って船室に消えていった。多分医務室で胃薬でも貰う心算なのだろう。

 叩かれた肩が、じんと痛んだ。
 けれど、両手で抱え込んだあの体温を忘れられない。そして忘れるつもりもない。

 どこからともなくビンクスの酒が聞こえる。酔いを残した男たちが、甲板掃除をしながら唄ってるのだろう。
 その歌声の向こうに、黒くじらに伝令に行くつもりなのか、ピークヘッドに青空よりも輝く青が見えた。
 真っ直ぐに飛び立ったはずのその軌道は、未だ酔いが残っているかのように酷く危なげに映った。












2010/08/29


酔っぱらいが書きたくて書き始めたのになんだかえらく書きにくい話でした。
エロに雪崩れ込むと思ったら作中の流れがそうさせてくれなかった……

ちなみに記憶なくさず理性を無くすのは私の悪癖でもあります(聞いてない)
自分がやってること、言ってること全部理解してるんだけど、さっぱり明後日の方向に行動しちゃうんですよね。

なのでこの時エースが「好きか?」って聞いてたら話は別方向に行ったかもしれません。

この二人のシリーズは、いつも難しい。







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