春風



 春島の海域に入ったモビーディックの上は、これ以上無いほどに穏やかだった。
 敵影は見渡す限り無く、船の中央で見事な鼻提灯をお供に豪快な鼾をかいている白ひげの足元で共に昼寝をする者、暇つぶしのゲームに興じる者。不運にも見張り役に当たってしまった人間以外は皆束の間の安寧を享受していた。

「いいか、いくらここがグランドラインだとしても基本の航海術が出来ると出来ないとじゃぁ話が違う。今まで時間がとれなかったからな、今日みてぇな時間のあるうちに徹底的に覚えろ」
「はいっ!!」

 メインマストの影に、この陽気だというのに厚いコートを纏った長身の男が新入りたちに囲まれて腰を下ろしていた。いつも不機嫌そうな眉間のシワは無く、手には西の海のものらしい海図を持っている。
 彼の左側には、ついうっかり貴重な海図に穴を開けられないために航海士が控えていた。左手の代わりに鉤爪で紙に穴を開けて持つという豪快な癖があるのだ。ニュース・クーにしろなんにしろ無意識にやってしまうものらしく、たまに書類にまで穴を開けてしまうのには閉口してしまうが、完璧主義に見られがちな二番隊隊長のちょっと困った癖だと思えばそれも仕方がないと思わせるものが彼にはあった。
 寒いのが死ぬほど嫌いなクロコダイルの機嫌がすこぶる良いのは遠目にもわかる。なにせ暇とはいえ、普段は面倒くさがる新人たちの指導役を買って出ているのだから。

「勉強中かよい……あぁ、そのままでいいぞい」

 周辺警戒と言う名の空中散歩をしてきたマルコがふわりとクロコダイルの真横に降り立ち、居住まいを正そうとした新入りを手で制した。

「何か見えましたか?マルコ隊長」
「いいや、死ぬほど穏やかな波しか見えなかったよい。気にせずに続けろい」

 ふわぁ、と豪快に欠伸をしたマルコの様子は本当に何も無く平和な海である事の証だった。

「……おい、マルコ」
「邪魔するよい」

 欠伸で滲んだ涙を拭い、人型に戻っていたマルコがあっという間に青く輝く鳥の姿になった。

「マルコ、邪魔だ」
「うるせぇな、でけぇんだから海図くらいそこから見えるだろい」

 ぽかんと口を開けた新人たちの目の前で、マルコはあっという間に胡座をかいていたクロコダイルの膝の中に収まり、暖かな自分の背中に長い首を埋めて目を閉じてしまった。この姿勢をとる時は完璧に寝入る心づもりであることをクロコダイルは知っている。

「そういう意味の邪魔じゃねぇよ……」

 軽く舌打ちしたクロコダイルが海図に目を戻したのも束の間。温かい膝の上の温度に引きずられ、険悪な色合いのクロコダイルの瞳が徐々にトロンとして来たのに航海士は堪えきれずに笑みを漏らし、広げた海図を揺れ始めたクロコダイルの右手から回収した。

「隊長、あとはおれが教えます。今のうちに休んで下さい」
「……悪ぃ。ったく……」

 新入りと航海士たちが、そっとメインマストを後にした。膝の上のマルコの羽根に右手を埋めると、人間よりもずっと高い体温が伝わってくる。春島の陽気といえども、風に晒されていた指は少し冷えていたらしい。
 白ひげの鼾が、穏やかな春風に乗って聞こえる。
 クロコダイルは全てに抵抗することを諦めて目を閉じた。






2010/06/05





こいつら一緒に寝てばかりだな。
なんだかマルコと鰐だとものすごい時間が穏やかな気がする。






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