口笛
日が落ちたばかりの夏島の気温は、白ひげ海賊団のクルーの馬鹿騒ぎのおかげで下がるどころか瞬く間に昼間以上の熱気を店内に篭らせた。
白ひげの領地であるこの島では皆、刺青を隠すことも無く大っぴらに酒場で騒げるので、特に下っ端連中にはウケがいい。
そんな開放的な雰囲気の中、酒宴の輪から外れた途端にカウンター席に連れて行かれたマルコが珍しく赤い目元で年下で、同列でもある二番隊の未だにあどけなさが残る顔の男に、その名の通り、口説かれていた。
「なんでだよー。いいじゃん、マルコあと三日もオフだろ?おれ明日で終わりだもん。折角の陸なのにさー」
「気が乗らねぇって言ってんだろい」
こちらもマルコ以上に顔を赤くしたエースが、丸椅子をガタガタ揺らしながら駄々を捏ねる子供のように口を尖らせた。補給と休暇のために寄港したこの島での船番のシフトは、一番隊と二番隊ではほぼすれ違いだった。
「なんだよマルコってば、おれがこんなに頼んでも駄目なわけ?元気溌剌なおれじゃ嫌なのかよ」
「図に乗るんじゃねぇよい。決めるのはおれだ。諦めろい」
弱ってるときはさせてくれるくせに。とぼそりと呟いたエースの胸が凶悪な力に跳ね飛ばされ、後方にいた人間を巻き込んで椅子ごと床に倒れた。酔っぱらいたちは騒々しい音に気がついてエースを一通り笑うとすぐに酒と、両脇に抱えた女たちに夢中になった。
「てめ、人に席譲らせておいてなんてぇ仕打ちだ!」
「マルコのけーち」
「無視すんな!!」
エースの下敷きになったサッチが曲がった椅子の足を無理矢理戻して座り、やんちゃな弟分を見下ろした。
「こーんなおっさんの事なんか相手にすんなって。なんなら馴染みの女でも紹介してやろうか?」
「…………玄人って気分じゃねぇ」
最早折れそうな気配もないマルコを非難する口調で、エースがズボンの埃をわざとらしくはらって立ち上がった。立ち去るエースにマルコは動こうともせず、楽しそうなサッチの目線の先で、二番隊の面子が多い輪に戻ったエースが客引き目的の着飾った女には目もくれず、比較的若い純朴そうな給仕の女性と笑顔でなにかを話していたかと思えば、あっというまにその腰に手を置いて、女は仕事中だろうにも関わらず、エースと共に店を出て行った。
二番隊で狙いを持っていかれたのだろう男が何やら物悲しそうに叫んでいる。
「お見事」
ヒュウとサッチがおどけて口笛を吹いた。
愛嬌ある性格に出来上がった男らしい体格、そばかすが純粋そうに見えるポイントらしいエースはどこの島でも比較的もてる。それなのに事あるごとにマルコを誘いたがるのは酔狂な好みだとマルコ自身も大っぴらではないが言っている。親友であるサッチは、そのあたりは聞き出しに成功していた。
主にマルコよりはガードの固くないエースからの話だが、マルコを知るサッチには想像に難くない。
「可愛いんだろ?させてやりゃいいのに」
「図に乗るからごめんだよい」
酒の追加を頼むマルコの顔の赤味は、アルコールのものか、それとも別な理由が加算されているのかは判別出来ない。
エースとマルコはもう何度か体を重ねている。最初こそぎこちなかったエースは、どこから仕入れてくるのか新しい情報を持ってマルコの体を翻弄し始めていた。
体の相性で言えば、悪いどころかエースは良すぎる。だからこそ、マルコは困っていた。
「――悪足掻きだなぁ」
「何か言ったかい」
「いんや。いい酒だな。帰り際に買い込んでいくか」
サッチの顔からはニヤケは引っ込んでいたが、マルコは憮然としたままグラスを呷った。
「マルコ!」
三日後、船に戻ったマルコはよく日に焼けたエースに捕まっていた。あの晩は給仕の女性とよろしくしたらしいエースは、残りの休暇を隊員たちと遊びまわっていたらしい……というのはサッチからの余計な情報だった。エースのその手には、島の植物で編まれた籠があり、なにやら色とりどりのアクセサリーや衣類が詰まっていた。
「そろそろ服もよれよれだったから新しいシャツも買ったんだ。あとブレスレットとか、色々。このベルト、サッシュの飾りにいいだろ?マルコ貰ってくれよ」
買い物を披露するなんて女のようだなと思いつつ、マルコはつい嬉しそうに話すエースに付き合ってしまう。大して高価でもないだろうそのベルトは青いスクエアに削られた石が繋がれたものだった。こういったものを選ぶエースのセンスは間違いなく良い。
つい受け取ってしまったマルコに、おまけとばかりに満面の笑みも贈られた。
「あと、これ」
まだなにかあるのかと覗いたシャツの下から取り出されたものに、マルコはうっと眉をひそめた。
「――これ、すっげぇ使ってみたいんだ。マルコ」
籠を挟んで向かい合うエースが、マルコのシャツの襟にそっと触れた。直接触れないエースの体温が、マルコの首にもどかしく伝わる。
「お願い」
片手でシャツの下から見覚えのあるボトルをちらつかせ、片手はマルコの耳に触れない位置で襟の上を滑っている。
船を下りる前の、エースとの情交がマルコの脳内に鮮明に蘇った。あと一歩で、意識を手放してしまいそうだったあの感覚。
エースの黒い瞳が、マルコの返事に対する期待で輝いている。襟にあった手は、既に指先が耳の後ろに触れていた。
「お願いだから、ため息はやめてくれよ。マルコ」
僅かに動いたマルコの喉元に向けて、エースが早口で懇願した。その息は、夏島の気温に負けないほど熱い。
熱さにやられちまったな、とやはりため息と共に体を脱力させたマルコの耳に、サッチの口笛の幻聴が聞こえた気がした。
2010/05/11
ほだされマルコ。
やってるけど恋人というくくりにはなっていません。
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