鬼ごっこ、かくれんぼ
「あれぇ、エース隊長どこ行った?」
「いつの間にかいねぇなぁ。別の隊の所に遊びに行ったんだろ」
「そこら辺で寝てんじゃねぇの」
「その線が濃いな!」
始まったばかりの宴は既に大騒ぎで、赤ら顔の二番隊員たちは我らが隊長の不在を気に掛ける者はいなかった。
エースは酔いが回ればはしゃいで方々へちょっかいを掛けに行くことも珍しくない。騒がしいエースはいつしか宴の花形のような存在になっていたが、エースは二番隊だけのモノではない。元は船長を務めていたエースは、年齢に不似合いなほどに気遣いができて話も上手い。そして何より人の心を掴む。
そんな彼を独り占めしていいのは、聞き飽きるほどに繰り返し聞かされているエースの弟だけだ。いつしか隊の境目を問わず、それは暗黙の了解の様になっていた。
「それにしても本当にどこにも見えねぇな」
「てめぇはなんでここに居るんだい」
「水くさいなマルコ、エースがいなくてしょげてるお前を慰めに遠路遥々愛しい四番隊の輪から抜けて来たんじゃねぇか」
「目の前に見える距離が遠路かよい」
「お、エースがいなくて寂しいのは認めんだはぐぁあ!」
持っていた盃を口に詰め込まれたサッチが悶絶するのに遠路の距離からも爆笑する声が聞こえてくる。
確かに宴が始まって直ぐにエースの姿は既に無く、子どもが迷子になるような心配はしていないが気になるのは事実だった。そしていつもは宴の中心にある白ひげの姿も先程から見えないのに、マルコをからかうサッチも勿論気がついているのだろう。
「噂をすれば、だ。オヤジに何か用があったんじゃないのかね」
ワイングラスを傾けるビスタの口ひげが指した船室の扉が開き、そこから話題の当人が早足で出て来た。夜も深いというのに目深にオレンジ色の帽子を被っている。エースが出てきたのに気がついたクルーにひらひらと手を振って、そのまま彼らに背を向けた。
「ありゃ、部屋に戻んのか?珍しい……」
サッチの言葉が終わらないうちにマルコは歩き出し、サッチはいつものようにそれに続き、ビスタは見事な口ひげを指先でつるりと一撫でして優雅に立ち上がった。
誰何の声にサッチが適当に手を振り、既に早足になっているマルコの背を追うとすぐにエースの白ひげが笑う背中が見えた。
「あんにゃろっ」
それに気がついたらしいエースが走り出し、先頭のマルコが本気で追う姿勢になるのにエースは下半身を炎に変えてまで距離を稼いだ。エースが船上で炎になる事は滅多に無く、不意をつかれた形になった三人はエースとマルコの部屋に続く船室のハッチが閉まるのに足止めを食らわされた。半開きのエースの部屋に炎が吸い込まれて扉は閉まり、舌打ちをしたマルコが梯子も使わずに細い廊下へ飛び降りた。
「エース、何で逃げた。何があったんだい」
扉を吹き飛ばさなかったのはマルコの理性が僅かに生きていた証拠だ。普段は大人しそうに見える一番隊隊長殿は、キレさせるとそれはそれは手のつけられない殺戮魔王に変貌するのを親友であるサッチも、狭い廊下に厚い胸板を詰め込んだビスタも勿論知っている。
そしてマルコのサンダルの踵の下から聞こえ始めた床の悲鳴は、確実にエースにも届いているはずだった。
「……なんでも」
「何でもねぇなら今すぐ出て来い」
扉が開かなければ確実に破壊するとマルコの苛立った声が言外にそう言っていた。
エースの気配が扉の前に移動し、ドアノブに手をかけて逡巡する様子も手に取るようにわかった。
「あとじゃ、駄目か……?おれ、いま」
「ビスタ」
「あいわかった」
一陣の風が吹き、僅かな空間の中にビスタの鍔音がパチリと響く。二秒後、最小限の被害で切断された扉がマルコの足に邪険に壁際に倒された。
「――――っ」
エースが咄嗟に顔を覆った帽子は跳ね除けられ、真っ暗な部屋の中に青白い明かりが満ちた。
「何で泣いてる」
青い炎を纏わせたマルコに両の手首を掴まれ、逃げ場の無くなったエースが緩く首を振った。その瞳は濡れてはいないが、赤くなった瞼と頬にはありありと涙の後が見て取れた。
「は…話すから、あとでちゃんと。だから、一人にしてくれ。じゃないとおれ、すげぇみっともねぇ所、見せ」
「見せりゃぁいいじゃねぇか」
サッチのよく通る大きな声には、マルコと同じ苛立が含まれていた。毛を逆立たせて威嚇してきた猫が気を許して来たのを何より喜んだのはサッチだ。自らが破壊した扉の跡地に凭れかかったビスタも賛同の意を込めて頷いた。
「エース、我らはお前の倍は生きている。そんな我らが今お前を独りにするべきじゃないと判断したのだ。たまには人生経験豊かな年長者を立てて見苦しいところでも何でも見せればいい。お前の涙の理由を嘲笑うほど懐の浅い者はここにはおらんぞ」
ビスタが諭すようにゆっくりと話し、マルコが撫でる度にぐしゃぐしゃに縺れて行く黒髪の下で、エースの顔がそれ以上にくしゃりと歪んだ。
「……だ、……おれ……」
苦しげに上下したエースの喉が、奇妙な音を漏らした。
強靭な筈の背筋が頼りなく震え、その背にマルコの腕が回った途端に溺れたような必死さでしがみついて来た。
変わらない背の高さのマルコでは、肩に滴ってくるエースの熱い雫を隠せはしない。
「なんだよエース、オヤジにいじめられたとか言うなよ?」
サッチの軽口にいつもは反論するエースが、気が抜けた様に濡れた顔で微笑んだのがマルコにもわかった。
「オヤジに……隠してた事があったから、話してきた」
ずびび、と鼻を啜る気の抜けた音と共にエースが泣きながら笑った。
「なんだそんな小せぇ事って、笑われた。オヤジが、笑ってくれた、からっ……」
そこからは、言葉にならなかった。
エースはマルコの背にしがみつき、ただ子供のように声を上げて泣いた。時折マルコを苛立たせるような仮面も、虚勢も、大勢の家族に囲まれた今でもふとした折に見せる虚無的な表情も、そこには存在しなかった。
伸ばされたサッチの手がその黒髪に乗せられても、振り払うどころか余計にエースの涙を引き出してしまった。
初めて見るエースの姿に顔を見合わせた三人が、その全員が同じ思いを抱く。
小さな弟の涙が乾くのを待つのを厭う家族がこの船の上に居るものか。
2010/05/09
そのまま寝ちゃって、翌日恥ずかしくて死にたくなったエースにぶっとばされます。サッチだけが。
エースの出生はオヤジと一部隊長だけが知っていたんじゃないかなぁ、と。
可愛いエースを目指してみた。うーん、可愛い……?
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