血の赤、追憶の蒼





 深夜に火蓋が切られた大規模な船団を引き連れた敵との戦闘は明け方まで続き、いつもならはそのまま戦勝の宴に突入する筈のモビー・ディック乗組員たちは各々床や恋しいベッドに戻って休息を取っていた。
 チラホラと酒を酌み交わす者の姿も見えるがそれは少数で、負傷者の手当をする医務室とそこに続く廊下だけが慌ただしい。
 この分だと全体の被害報告も消費弾薬の確認も、宴の終わった明日かと半ば諦めの心持ちで白ひげの部屋を後にしたマルコがゆっくりと白鯨の背の上を歩く。白ひげの体調を慮って、マルコも前面に出た戦闘だった。死傷者こそ出なかったが戦いは長引き、その顕在を示すために甲板に姿を見せていた白ひげもマルコの簡易的な報告を聞いた今は眠りについている。
 風の音だけが、やけに大きい。
 メインマストを通り過ぎたその先の船縁に白ひげの誇りを刻んだ背中が見え、マルコの足は何と無しにそれに向かった。

「何してんだい」
「あれ、マルコ?足音が違ったから一瞬迷ったよ」

 朝日に向かって両手を差し出し、大きく指を拡げていたエースが振り返って笑った。日に透けたエースの手の血管が真っ赤に染まり、マルコにはそれが一瞬血塗れに見えてドキリとした。
 膝の上に置かれたその手は、いつものエースのものだ。

「ベルトが切れちまったんだよい。だいぶ酷使したからなぁ。次の島で売ってりゃぁまた買うよい」
「そうなんだ。あれ、マルコによく似合ってたのに」

 黒いブーツで床を蹴り、マルコが身軽にエースの右横に腰を下ろした。能力者がそんな場所に座るなと普段なら誰かに諌められる行動だが、今は誰も居ない。そして諌める側だった筈のマルコの行動にエースは少し驚いた様子だった。
 片足を船縁に乗せ、紙巻を取り出して指先で火を点けたマルコを横目に、エースはもう一度同じように太陽に向かって手を差し出した。 

「いつもおれに火ィつけろって言うくせに、どうしたの」
「お前こそ何してんだい」

 同じ質問を繰り返すと、エースはうーんと首を傾げた。理由を今考えているらしい。

「ほら、こうやって手を翳すと血管が赤く透けるじゃんか?」
「うん?」
「赤いなーって思いながら、見てた」
「へぇ」

 火の化身であるエースが、自分のその赤を確認するのにどんな意味があるのかはエースにしか分からない。紙巻を指に挟んだまま、マルコもなんとなくその隣に片手を並べた。

「マルコも赤いな」
「赤じゃなかったら怖いだろい」
「青とか?」
「そりゃなんだか嫌だなァ」

 青い炎を纏うマルコだが、実体の体に流れるものが青いのを想像して眉を顰めた。指の間の紙巻が、安っぽい煙を細く立ち上げては風に吹き飛ばされて霧散して行く。
 
「――っ!……エース!」

 突然その手が引き寄せられ、バランスを崩したマルコが船縁に乗せていた片足で体重の半分を支えて悪態をついた。

「おれを殺す気かい」
「ごめん」

 不死鳥の唯一の天敵である海へ、半分に減った紙巻が落下していった。悪びれもせずに謝ったエースが煙草の匂いのするマルコの手を自分の頬に押し付けた。風に当たっていた頬は、少し冷たい。
 俯いたエースの目線の下に、ブーツと丈の短めなパンツの隙間から覗くマルコの脚がある。いつもと違う靴とは別に、そこにはもう一つ足りないものがあった。

「こんな傷、あったんだ」
「あぁ」

 マルコがいつも左足に付けているアンクレットはそこには無く、代りにそこには白く変色した皮膚が少し歪な円を描きながらふくらはぎを一周していた。傷など跡形もなく消してしまうマルコの脚にある傷跡がある事実は、エースにとって酷く奇妙な感覚だったらしい。

「悪魔の実を食う直前にな。こっから下が景気よく飛んじまってたもんだから、再生が追いつかなかったんだよい」

エースの頬から自分の手を取り戻し、マルコはエースの犠牲になった紙巻をもう一本取り出した。
 今度はマルコがそうする前にエースがその先端に小さな火を差し出した。指先にだけ乗せた炎が、日に透けたエースの手を全て赤く染めて見せる。

「沢山血ィ出たんだろうな」
「そりゃ出なきゃおかしいだろい」
「痛かっただろうな」
「泣くほど痛ェに決まってるだろい」
「泣いたのか、マルコ」
「泣いたな」

 マルコが泣いたのかぁ。
 感心したような、呆けたようなふわふわとした口調でエースが尻でいざってマルコの横にピタリと張り付き、紙巻を掴んだマルコの手を引き寄せてフィルターをぱくりと咥えた。

「おい」
「……やっぱ不味いなぁ」

 噎せることも無く吐き出されたエースの唇から、風に薄くなった煙が拡散して行った。その不味いという煙草を吸っていた時期がエースにもあった事をマルコは初めて知った。

「暴れ疲れたのかい、エース」
「そうかも」

 僅かに白い息を吐いてエースが笑う。今度はバランスを崩させないようにゆっくりとマルコの太腿の上に手を置いたかと思うと、その左足からブーツを引っこ抜いて甲板に投げ落とした。

「……エース」
「うん」

 呆れたマルコにもどこ吹く風で、エースがマルコの傷跡のある左足を自分の膝に抱え上げ、マルコは船縁に手をついて不安定な姿勢を支えた。
 生暖かい濡れた感触に、マルコの指先がぴくりと動く。

「こっから蒼く燃えたんだ」
「……おい、噛みちぎってくれるなよい。痛ェのは好きじゃない」
「マルコが言うと信憑性が無いなぁ」
「お前はおれをなんだと思ってんだい」

 時折歯を当てながらエースの舌が歪な円を辿る。唾液が風で冷え、マルコはそこから下が自分のものではないのではないかという錯覚を覚えた。
 円を繋ぎ終え、エースの熱が離れた。冷えた皮膚の上で、熱を持ったエースの目が真っ直ぐにマルコを見ている。

「マルコ――」


 ガッコン!!!


 突如飛んできた黒いものが鈍い音を立ててエースの頭に見事に直撃し、船縁から手を離していたエースの体が直角に傾いた。
 海へ。

「ぶっ殺――――――……」

 目を向いたエースの罵声が真っ直ぐに遠ざかって水中に消え、その後に続いて金色のリーゼントが飛び込んで行った。
 このまま放置したい気分に支配されているマルコが、仕方なくたむろしていた僅かなクルーに小舟を下ろすように指示を出す。
 船縁から覗いた真下で、水を吐きながら罵声を吐き続けるエースと貼り付いた髪で表情が見えないサッチが小舟に収容された。
 その手にエースしか掴まれていないのを見て、マルコは片方だけになったブーツをサッチの後頭部に見事に打ち当てた。


「怒るな。ついうっかりってのも人間よくあるだろう」
「ついうっかりで殺されかけてたまるか!」
「まぁ狙ったけど」
「余計悪いだろうが!」

 後頭部の瘤をさすりながら、サッチとエースが浴室に向かう廊下を早足で歩いていた。
 マルコに触れられなかったエースが肩を怒らせ、それを邪魔してマルコのブーツを駄目にしたサッチは追加でマルコに蹴りを食らっていた。助け上げられた二人を一瞥しただけで、マルコは残務整理と言う現実に戻っていってしまったのにエースは酷く腹を立てている様子だった。

「あんたなんなんだ。そんなにおれがマルコに触るのが嫌なのか!?」

 乱暴に服を脱ぎ捨て、怒りを隠さないエースの刺さるような目線に、サッチは軽薄に歪んでいた口元を僅かに力を込めた。

「あいつがいいなら文句はねぇよ?ただ」

 言葉を切り、拳を握っていたエースに向かって真っ直ぐ向かい立つ。それは、エースの初めて見るサッチの真剣な表情だった。

「何やっても構やしねぇが、これだけは知って、覚えててくれ」

 
 マルコのあの傷は、おれのもんだ。
 

「――そうしてくれりゃ、もう邪魔しねぇよ」

 服に染み込んだ海水を絞りながらいつもの軽い口調に戻ったサッチに、訝しさを隠さないエースが肩で風を切って浴室の扉を開けた。

「マルコのあれを見る度にあんたを思い出すのか?拷問だ」
「はは、違いない。でも、頼むよ」

 エースはもう、返事をしなかった。サッチの言葉の意味を問うこともしない。
 サッチもそれ以上、言うつもりは無かった。




 血と薬莢空と火薬の残る甲板を裸足で歩くマルコが、オシャカになったサンダルと一緒に捨てようかと思っていた古いアンクレットをポケットから引っ張り出した。
 一瞬だけそれを前に躊躇ったマルコが、小さく息を吐き出す。それは、呆れとも諦めとも、困惑とも受け取れた。

 次の島へ辿り着くまで、裸足のマルコの脚にはいつものアンクレットだけが揺れていた。






2010/05/05



マルコ初登場の回で、黒いブーツを履いていたことで浮かんだネタ。

もちろんサッチに新しい靴を買わせます。
サッチ→マルコ。だけどエース→←←マルコ。
マルコの脚の傷はサッチが付けたものだといいなとか妄想。
というか、前半部分だけが書きたい所だったのになんでこんなに長く…私は少し反省を覚えるといいと思う。猿以下です。

隊員たちに心配されて靴を差し出されても断って、サッチに反省させるマルコさん。
サッチには親友としての愛はふんだんにあるんです。超えられない親友の壁。越えようとしない親友の壁。そういうのが好きだ……



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