はじめての。 3




「ポートガス・D・エース、本日より隊に復帰いたします!」

 ぺこりと腰を90度折り曲げて、体調も万全になったエースが挨拶をすると、その体は瞬く間に主に二番隊員たちに囲まれて見えなくなった。
 若く、しかも尋常でない程体力のあるエースの快復は早く、三日目にしてベッドを抜け出して船医に殴られていた。病人は安静にしろと言いながらその病人を殴る船医も船医だが、あまりのエースの快復ぶりに「もう全快でいい」と最後には折れてしまったのだ。
 潮風に痛んだロープを肩に担ぎ、フォアマストの天辺からマルコはその様子を横目で見ていた。豆粒ほどのエースは、表情は見えなくても笑顔だとわかる。

「マルコ隊長、もう大丈夫です。あとは命綱がありますんで」
「気ィつけろよい」

 まだ若い船大工がまかせて下さいと歯を見せて笑った。潮風に加え、火薬や他船の能力者によるありとあらゆる不思議な力で傷つけられた支柱は見た目よりも損傷が激しく、次の補給地点では大規模な修復が必要だろうと船大工頭は結論付けた。
 横に伸びるメインマストに比べれば細めの柱の応急処置をするのには危険が伴う。隊長にそんなことはさせられないと渋っていた大工頭も、若手の安全と引き換えにするような無謀は持ち合わせていない。よって白ひげ一番隊隊長殿は、今まで若手の命綱を握って外されたロープを受け取って担ぐという下っ端の仕事をしていたのだ。
 船大工が命綱を一番太い支柱に括りつけたのを確認し、マルコは軽く柱を蹴って人間が軽く肉塊になれるほどの高さから飛び降りた。

「マルコ―――!!!」
「―――馬鹿野郎っ!!!!」

 着地地点に走り込んできた人影に気がつき、マルコが翼を最大に広げるが間に合わない。サンダルの靴底が顔があった部分を蹴り砕き、担いだロープがジリと嫌な匂いを立てて焦げた。

「……っうは、びびった!!」
「吃驚したのはこっちだよい馬鹿エース!おれが飛んだのは見えてたろい!」

 マルコの足は炎化したエースの顔を通過して甲板に到着したが、担がれていたロープはエースの炎を浴びてしまった。慌ててマルコに続いて足で踏み消すも、焦げてしまったものはもう使い物にならない。

「……ごめん」
「次の島までの貴重なロープの予備がおじゃんになったよい」

 マルコの呆れを含んだため息。エースが肩を落として背を向けようとするのにマルコはその腕を掴んだ。

「おい、なんだってんだい。おれに何か用があって突っ込んできたんじゃねェのかよい」
「そうだったんだけど、やっぱりいいや。ごめんマルコ」

 力を抜いたマルコの手からエースの腕がするりと抜けて、しょぼくれた背中が船室の影に消えて行った。心配そうにエースを追いかける二番隊員の姿も見えて、何事かわからないマルコは焦げてしまったロープをもう一度担ぎ上げ、反対側の倉庫へと歩いていった。




「マルコ、エースがしょげてたぞ。何かあったのか?」
「知らねぇよい。大体なんで皆おれに聞くんだい」

 飯くらいゆっくり食わせろ、と眉間に皺を寄せたマルコが骨付き肉に齧り付き、豪快に頬張っては咀嚼して指に着いた肉汁を舐め取った。朝の業務が終わったこの時間は、エースほどあからさまにならないまでも空腹のマルコは機嫌が悪い。クルーの、特に二番隊からちらちらと視線を投げかけられ、更にサッチの笑いの貼り付いた顔を向けられたマルコの周囲は誰も寄り着かない程の不機嫌なオーラが醸し出されていた。

「朝、エースの事叱ってたって聞いたからよ」
「叱ったが、エースが全面的に悪かったからだい。おれが責められるいわれはねぇぞい」

 皿に残った肉汁まで硬いパンで拭い、綺麗に肌を見せる皿の上には今度は野菜が山盛り乗せられる。マルコは野菜にドレッシング等をかけることを好まず、たまに良質のオリーブオイルが手に入った時以外はそのまま食べてしまう。その前に肉に食らいつく様を見ていなければ、草食の動物のようだとサッチは出会った頃から思っていた。

「つい昨日まで甘やかされたのに今日いきなり冷たくされてショックだったんじゃねぇの?あいつ案外精神面弱いだろ」
「おれが全部面倒見てやらねぇと駄目なのかい?保護者になりたきゃてめぇがやれ、サッチ」

 取り付く島もないマルコが黙々と野菜を平らげて行く。これ以上つつくとキレるぞとその横顔にありありと浮かんでいて、サッチモ食べかけの自分の皿と格闘するのに専念した。



「隊長!体冷やしちゃ駄目ですよ!お願いですからシャツ着てください!」
「ええー?別に寒くないぞ」
「寒くなくても着てください!」

 黄昏時のモビーディックでは、二番隊長が隊員によってたかって叱られていた。
 今日は朝からなんだか叱られてばかりだ。隊員たちが自分を心配しているのはよくわかるので、エースは大人しく見張りの交代時間が迫る中、自分の部屋に向かった。
 船室のハッチを開けようと屈んだエースに、ふと長い影が被さった。

「……マルコ」
「そろそろ交代の時間だろい」
「あ、うん。……シャツ着ろって怒られたから」

 進路を邪魔していることに気がつき、慌てて梯子を降りるエースに続いてマルコが部屋に戻って行った。一番奥の部屋の扉が閉まるのを見届けて、エースはほとんど何もない自分の部屋へ入った。
 物が少ない木箱からシャツを引っ張り出して着る。やはり少し冷えていたらしい肌が温もり、言う事聞いてよかったかなとぼそりと独りごちた。

「エース」
「っ……何」

 開けっ放しだった扉の向こうにマルコが立っていた。咄嗟に投げられた物を受け取ったエースを見て、マルコがダルそうに欠伸を一つ披露した。

「それも着てろい。おれァ仮眠するから、もし起きなかったら22時に起しに来てくれって12番隊に伝えてくれ」

 そう言ってマルコはさっさと自分の部屋に戻って行ってしまった。エースが手にした物を広げるとそれは薄手のポンチョで、この季節に暑すぎず、十分に風除けになる。
 頭から被ったそれは少しの煙草の香りと、マルコの匂いがした。




「お前ら喧嘩したんじゃなかったのか?」
「してねぇよ。何勝手に妄想してんだよムッツリサッチ」
「お前ら人の耳元でうるせぇよ…………ぃ」

 大口を開けて欠伸をしたマルコが目をこすりながらバリバリ音を立ててサラダを頬張っている。
 夜番のエースと日勤のサッチ、それに夜中に仕事をしていたらしいマルコの朝食の時間が被ると言う珍しいタイミングで、あまり揃うことの無い食堂に喧しい三人……主に二人がマルコを挟んで朝食をかっ込んでいた。

「マルコ、あんまり目ぇ擦るともげるぞ」
「そうかい。心配してくれて何だが、さっきお前の耳から脳みそが転がり落ちたのを見たが平気かい」
「え、マルコサッチに脳みそがあるの認めてたんだ?」
「ってことは今おれの頭には耳から落ちるほどのサイズの脳みそは入ってないってことだな。よし表出ろエース」
「え、今おれだけが悪い様な発言されたけどマルコは?」
「マルコの飯を邪魔すると怖いからスルーした」
「そろそろ蹴り飛ばすぞいお前ら」
「ゴメンナサイ」

 同時に頭を下げたエースとサッチがテーブルに向き直り、食べ始めた二秒後に寝たエースの後頭部がマルコに覇気入りで張られた。
 
「人の服着たまま飯に突っ込んでくれるなよい」
「……は、ごめん。これありがとうマルコ」
「後でいい。邪魔だい」
 
 見覚えのあるポンチョはマルコの物だとサッチも知っている。脱ごうとしたエースを制止し、マルコは更に野菜を追加した。

「マルコって、草食動物みたいな食べ方するよな」

 てめぇおれが口に出かかってもいつも我慢してた事を!とサッチが身構えながら見たマルコの横顔は、予想外に何の変化も無かった。

「草食なぁ」
「そうそう。象みたいだ!」
「象!?」

 ウサギや愛らしいふわふわの生き物ではなく、よりによって地上最大の草食動物に例えられるとは思わなかったサッチと当人のマルコが眠さに細められていた目を見開いた。

「だって象って草食だけど、でっかいし強いんだぜ?牙もあるし。でも動物の中で一番優しいんだって、弟の持ってた図鑑に載ってた。まだ本物の象って見たことないけど、すっげぇ優しい目ぇしてたんだ」

 動きを止めていたマルコの口が、時間がようやく流れ出したかのように咀嚼を再開した。擦っていた目元がまだ赤い。

「ほうほう。優しいねぇ。そんなお優しい飛べる象さんに叱られたから昨日は落ち込んでたわけかい――ウギャァァァッ!!」

 脛に直角に蹴りを入れられたサッチが椅子から転がり落ちて悲鳴を上げるも、日常の光景に誰も見向きもしない。
 マルコの瞳に浮かんだ疑問の色に、エースが僅かに肩を揺らした。

「あれは………ちょっと我儘かと思って。もういいんだ」

 我儘というエースの言葉に、マルコの眠そうな瞼がぴくりと動いた。

「隠されりゃぁ気になるよい、エース」
「だって約束が違うし」
「約束?」

 俯き加減のエースが、ポンチョの下で膝を抱え込んだ。かたくなに口を閉ざすエースに、マルコは通りがかった二番隊員を震え上がらせるような笑顔で呼び寄せた。





「ちゃんと半身は火にしてあまり動くなよい。咄嗟の事ならどうにかするが、普段はバランスが取れなくて面倒なんだよい」 
「わかった!」

 メインマストの天辺で、満面の笑顔のエースが炎を纏った腕でマルコの胸にしがみついた。


 ――だって、甘えるのは病気がよくなるまでってマルコが言ったから。


 二番隊員を捕まえて吐かせた内容はこうだった。
 朦朧として海へ落ちかけたエースを背に乗せて助けたのがマルコなのは覚えている。けれど、熱のせいもあり、一瞬のその記憶がさっぱり思い出せない。
 普段は急に無謀なことを言い出したり、自分の脈略のない行動を反省すらすないエースが、不死鳥の背中に乗りたいというお願いを言い出せなかった。それだけのことだった。

「エースよ」
「なに?」
「無理な願いだったら断るし、内容によっちゃぁ怒らないよい。だから次からは隠さずに言え」
「内容にって」
「てめぇはいっつも無理ばかり言いやがるだろい」
「そんな事ねぇよ、マルコが怒りっぽいから…」
「止めるかい」
「ごめんなさいマルコ――――!!!」

 一瞬の浮遊感にエースが息を飲む。
 そして、風の層が見えるほどの急速でその体は落下した。

「ぎゃああああああああああ!!!」
「耳元で叫ぶない!!」

 メインマストから急降下したマルコが、甲板に激突寸前で巨大な翼を広げ、その体は空気を弾いて一気に舞い上がった。 

「すげぇ!!すげぇすげぇすげぇ!」
「だからうるせェと……」

 マルコのぼやきをかき消すほどの声音で叫んで居たエースがピタリと静かになった。
 耳を切る風の音と、どこまでも続く青い空と海の真ん中。頭のすぐ上にある雲は、触れないと知っているのに手を伸ばしたくなる。けれど、人である手はマルコから離れれば真っ逆さまに海へ沈んでしまう。

「…………マルコ、おれ、ちょっと怖い」
「人の来られない世界だからな。おれも最初はそう思った」

 風の音が耳に痛い。キーンと高く硬質な音が頭の中に鳴り響き、エースはマルコの柔らかい胸に回した手にぎゅうっと力を込めた。

「おいエース、羽根が抜ける」
「幻なのに?」
「幻でもいい気はしねぇよい。怖ェなら、もっと頭下げてしがみつけ」

 言われたとおりに頭を低くしたエースの上半身が、マルコの背中にぴたりとくっついた。お互い密接する部分は炎になっているはずなのに、エースがそうするとそこに体温を感じる気がした。

(幻か――……)

 メインマストから見下ろす人間のように、モビーディックが小さく見える。幻の鳥には、現実に帰る巣がそこにある。

「マルコは、いつもこんな世界を見てたんだな」

 ひとりで。
 エースが静かにマルコの細い首へ顔を押し付けた。翼の角度を変え、マルコはモビーディックに向かって進路を戻した。

「……でも初めてこの角度から見たけど、マルコの後ろ頭、変な形だよな」






 遠く日光に掻き消されていた青い光がモビーの甲板からもようやく視認出来た。

「おー、猛禽類が戻ってきた」
「猛禽?」
「ありゃー象さんじゃねぇよ絶対。草食は仮の姿だぜ。人食いに騙されるなよ少年」
「なんの話っすかサッチ隊長……?」
「だから、象さんの話し」


 首を傾げるクルーを置いて、サッチが空の旅から戻った「我儘な」弟を出迎え準備をせねばと腰を上げた。たむろしていた連中に中央を空けろと指示を出した直後、轟音を上げて見事に空いた甲板に突き刺さったエースに船中が笑いで揺れた。
 エースを落下させた幻の猛禽類は、青空と同じ色の翼をはためかせて、空と海の間に溶けて消えた。







2010/05/20



ちょっと追加……と思ったらこの量。
我儘言えよ馬鹿エースの巻。
でも殴られないかどうかはマルコ次第なのです。



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