初めての。




 悠然と泳ぐ白鯨のメインマストに取り付けられた見張り台から「帰ってきたぞ」とどこかのんびりとした声が降ってきた。穏やかな航海は刺激が少なく、特段珍しい事ではないその帰還者の船を、甲板にいたクルーたちは示し合わせたわけでもなく全員で迎える形となった。中央に悠然と座る白ひげも、帰ってきた息子を視界に捉えて機嫌の良い様子で大杯に口を付けた。
 特殊な構造で設計されたその一人乗りの小舟は、小振りながらもかなりのスピードが出る。豆粒程の大きさだったそれはあっという間に迎え来るモビー・ディックを追い越し、Uターンで巨大な船の脇腹に並んで速度を合わせた。

「何かあったのかー!?皆雁首揃えて!!」
「おめーの出迎えだよ!暇すぎて皆死にそうなんだとよー!!」

 甲板上からいくつもの視線に晒されて驚いたエースがモビー・ディックの起こす大波を器用に避けながら、なんだよびっくりさせんなよと笑って手を振り返した。
 エースなんて見ても珍しかねぇと動かなかったマルコは、その肩を大柄なサッチにガッチリとホールドされて船縁に引きずり出された。本気を出せば体格などものともせずにその手を振りほどける筈のマルコはそれすらも面倒だったらしく、大人しく促されるままに波飛沫をあげる見慣れたエースとストライカー号を見物するために船縁に肘をついた。
 それに気がついたエースが満面の笑みでもう一度手を振ってきて、マルコの手首を掴んだサッチが一緒に振り返した。エースにしては珍しくジャケットを着込んだ姿だったが、今回の任務を思えばその違和感は拭われた。

 氷の魔女への通信が届かない。
 それが今回エースが単独、ストライカーでモビー・ディックを離れた理由だった。
冬島付近を根城にしている氷の魔女の定期連絡が乱れるのは決して珍しい話ではなく、今度もまた凶悪な勢いのブリザードで伝電虫たちの電波が届かないのだろうと思われていた。だがそれが三日目、一週間目ともなるとトラブルの可能性が非常に高く、そしてそれを放置するという遭難した子供を見捨てるような所業は白ひげは決してしない。
 近辺に白ひげの息のかかった船は無く、カームベルトでもない海流に乗っている最中の珍しい凪に捕まっているモビー・ディックでは、もし何かトラブルが起きているならば何かあってからでは足が遅すぎるかもしれない。
 最初に名乗りを上げたのは唯一翼を持つマルコだったが、現場の状況もわからず、羽を休める陸地も船も無い遠出は能力者にはリスクが高すぎた。もし何処からか攻撃を受けて海に落ちでもしたら。マルコの能力については誰も危惧などしていないが、それだけはどうしようもない。
 そしてエースに白羽の矢が立てられた。
 エースが白ひげの名を背負ってはじめてモビー・ディックを離れるという任務に、サッチなどは「初めてのお使い頑張れよ!」などと無責任に背中を叩いてエースを嫌がらせていた。だがその発言はエースの判断力と戦闘力、グランドラインを単独で渡れる程の航海術を持って居ることを知った上での励ましであることは彼を知る者ならば分かっている。
 知っていてもエースが不愉快気にしていたのはサッチの普段の行いのせいであることも。

 そしてエースの任務は滞りなく終わった。
 島の領域に入る境界線で伝電虫は電波を受信し、氷の魔女の無事を伝えてきた。
 砕氷船ですら身動きがとれないほどのブリザードに捕まっていたが、約三週間ぶりに雲が晴れて移動中であり、乗船者は衰弱しているが全員無事だと。
 晴れ渡った空の下、砕氷船上に氷の魔女ことホワイティ・ベイの姿を確認し、初対面の挨拶を済ませたエースはそのまま帰路に着く、と持っていた伝電虫でモビー・ディックに伝えてきた。

「ベイとよろしくやってきても良かったのによ。真っ直ぐ帰って来るとはこりゃ、やられてるなぁ」
「やられてるのはお前の頭ん中だよい」

 サッチに掴まれたままだった手首を振り払い、マルコは白鯨の脇腹の格納庫がせり出していくのを見下ろした。そこは普段は海上での補給に使われる場所だが、エースのストライカーを設計した船大工がその機動性という利点を失わせないために特殊な格納システムを作ってるのだ。
 
「格納準備ヨーシ!」
「エース!跳んでいいぞー!」
「おう!」

 炎と化したエースの足元から爆発音が鳴り響き、加速したストライカーが海上からまさに舞い上がった。
 船の腹から跳ね橋のように飛び出した骨組みには頑丈な網が張られ、それは十分な弾力と強度を持って砲弾のように跳んできたストライカー号を受け止るのだ。
 巨大帆船であるが故に、モビー・ディックをストライカーの格納のためだけに停止させるのには多大な労力が必要となる。それを解消させるためのこのシステムは、エースも「カッコいい!」といたくお気に入りなのをマルコも以前散々目の前で見物させられている。

「保定ヨシ!エースお疲れ……――――」

 ストライカーを受け止めた船員が、同時に降り立ったエースの背を叩こうとしたその手が空を切った。着地を果たし、「今日は何点?」等と無邪気に笑って居るはずの、その場所に。
 船員が手を伸ばした先に見えたのは、青い水平線。
 その青の中にのオレンジ色のテンガロンハットが舞い上がり、走り続ける白鯨の上で叫び声が上がった。


「エース――――――!!!!!!」


 真っ逆さまに落ちて行く体に、届く筈の無い手が無数に伸ばされた。
 海をかき分けて進む白鯨が上げる真っ白な波しぶきの中に、小さな息子の体が飲み込まれてしまう――









「――心臓に悪過ぎるよい、エース」
「全くだ……あー、びびったぁ……」

 脱力した体で船縁にしがみついて上げられたサッチの安堵の吐息が、連鎖したように広がった。
 青い翼を片方残したままのマルコがぐったりと横たわるエースの異様な色と化している額に触れ、駆け寄ってきた白衣のナース集団がそれを取り囲んだ。

「マルコ……ごめん、おれ、なんかおかしくて」
「ああおかしいよい。可笑しい程熱がある。エース、何で体調が悪いって先に伝電虫で伝えなかったんだい」
「船なんていくらでも止めてやったのに、馬鹿野郎」

 エースの異常に気がついた者たちが詰めかけ、サッチがその輪を怒鳴って散らしている。ナースたちにエースを引渡したマルコの眉間の皺に、エースは困惑した表情を浮かべた。

「熱って……おれ、熱があるの?」
「……42℃。マルコ隊長、すぐに医務室へ移動した方がよさそうです。先生は途中で拾いましょう」

 最早ため息も出ないといった様子のマルコがエースを肩に担ぎ上げようとして、ようやくその手が未だ青く燃えているのに気がついたのかそれは一瞬で人の手になった。
 起き上がろうとするエースを抱え上げ、モーゼのように人の裂け目をマルコが早足で歩き出す。後ろからもう一つ足音がついてきたが、今はそれを遮る時間も惜しかった。

「だって、さっきまで平気、だったんだよ。モビーが見えてさ……みんなが迎えてくれて、嬉しくて、そしたら……」
「もう黙れ。エース、おれァ怒ってるんじゃねぇよい」
「――……」

 その言葉がきっかけだったのか、エースの体から一気に力が抜けた。エースが参るほどの熱だ。もしかすると冬島で何か病原体を貰った可能性も捨てきれない。マルコはエースを揺らさぬように、ほとんど駆け出さんばかりの勢いで歩を進めた。
 
 マルコの後方を歩くリーゼントの男が、目の前の仕舞い忘れた輝く青い尾羽に笑うべきかエースを心配すべきか、人生で最大の苦悩をしていたのに二人は気がつかない。




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