Family
いつでも騒々しいモビーディックの大食堂は、その日は少々様子が違っていた。騒がしいのには変わりない。ただ、末席に座った新入りを誰もが見て、構って、そして歓迎の意味を込めて肩を叩いてはまた食べてと全く持って落ち着かない。
日が昇って直ぐに船中に伝わったニュース。
スペード海賊団の船長「火拳のエース」がこの日、モビーディック船長である白ひげの部屋に「歩いて」行き、「ノック」してから船長室に入った姿を目撃されたのだ。
"新しい家族が増えた!!!"
その話題は白ひげの起す津波よりも超スピードで乗組員たちを宴の準備にかきたてた。
元スペード海賊団のクルーたちが既に全て移動させていた荷物を受け取って、エースは約十日ぶりに身奇麗な格好になって席に付いていた。
「こりゃぁ、しっかり食い扶持は稼いでもらわねぇといかんな」
「同感だよい」
隊長席…というものは定まってはいないが、なんとなく定位置になっている奥の席に座った一番隊隊長と四番隊隊長がその話題の主の目の前に積まれている食事量を眺めながら、自分達もいつもよりも豪華な分厚いサンドイッチに齧り付いた。
どうやら今までエースが食べていた量というのは、本当に遠慮と引け目の代物だったらしい。テーブルの向こうが見えないほどの食べ物があっという間に消え去り、差し出されるものは次々になんでも受け取っては口にしている。時折皿に顔を突っ伏してはエースと揃いのテンガロンハットを被った人間に髪を引っ掴んで起されていた。元船長にする行為か、と一瞬思ったがどうやらそれは一瞬で眠ってしまうエースを窒息させない配慮らしいと気が付いた時には思わず周囲から笑いが零れた。
午後からは本格的に酒を振舞っての歓迎会だが、あの調子では一日中食い続けていても平気だろう。
「お。目が合った」
巨大なリーゼントをピコリと揺らしてサッチが片頬で笑うと、目の下の傷も愉快気に歪む。飯粒だらけの顔の弟がまっすぐ二人の元へ歩み寄った時にはもうすっかり険の取れた少年の顔をしていた。
「ひでぇ顔だない、エース」
「あ、うぐ……ありがとう」
笑ったのはマルコ、その顔を拭ってやったのはサッチだ。礼儀正しくお礼を言われると調子が狂うが、これが本来のエースらしい。
「なんだ、おれらに用か?」
真っ直ぐマルコを見たエースに、サッチはおどけた様子で両手を広げて見物を決め込んだ。エースを一番に手なずけたのは、白ひげを別とすればまずマルコであると皆が知っている。
「白ひげが」
「オヤジだ」
「し、……オヤジ、が」
エースの言葉を遮ったマルコの指摘に、ぱっと目元を伏せながらエースが口ごもりつつも発したその「オヤジ」には、聞き耳を立てていた皆の口元を緩ませた。
「オヤジが、慣れるまで一番隊に居ろって」
「あぁ、聞いたな」
「だから…これから、お世話になります。隊長」
きっちりと下げられた頭が座っているマルコの顔前に旋毛を晒した。昨晩まで汚れきっていた癖のある黒髪からは、ふわりと石鹸の香りが漂って来る。
唇の端を上げたマルコはそこにどうしても手を突っ込んでかき混ぜたくなったので、実際にそうした。この男にはどうもそういうことをしたくなってしまう成分が含まれているらしく、サッチが上から伸ばした手をマルコは反対側の手でパシリと叩き落した。
「おまっ、痛ぇぞマルコ!!」
「お前ならそつなく何でもできるだろうよい、心配はしてねぇ」
サッチの抗議を軽く無視して笑うマルコに、エースが手を置かれたままの頭をゆっくりと上げた。まだ何か言いたい事があるのかと首を傾げたマルコに、それは降りかかる。
「……やっぱアンタ、いい匂いするなぁ。なんだろ……」
ぐー。
硬直したのはマルコだけではない。
マルコの、天下の一番隊隊長の首筋に鼻を突っ込んだまま唐突に寝息を立て始めたエースに静まり返った食堂中から視線が集まる。
こっち見んじゃねぇ!とマルコに恫喝されれば皆従わないわけにはいかなかった。
例え、その隊長殿の顔が真っ赤になっていたとしても。
「マルコ、まさかてめぇ…」
「それ以上言うと焼き殺すよい」
鬱陶しいほどに洞察力の優れているサッチに本気の睨みを利かせたマルコが、抱きつくようにもたれ掛かっていたエースの体を離して机に突っ伏すようにさせて置きなおした。
「どこ行くんだマルっうあっ熱ぃぃぃぃ!!」
リーゼントの前で弾けた青い炎にサッチが悶絶している隙間にスタスタとマルコが食堂を去り、止まっていた時間がぎこちなく動き出した。
「あんにゃろ、本気で焦げたらどうするつもりだよ」
マルコと入れ替わった隣の席の幸せそうな寝顔の弟の髪に今度こそ遠慮なく手を突っ込みながら、サッチはこれから始まる新しい家族との楽しい生活に、口元を緩めずにはいられなかった。
2010/04/06
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