犬の居る生活



*このお話は、商業小説「ペットラバーズ」シリーズの設定をお借りしたパロディです。





 古めかしい電話のベルが、旧家の玄関ホールに鳴り響く。携帯電話が嫌いで、仕事で持つ以外は鞄の中で電源を切っているイゾウへの、唯一の連絡手段。そいつが腹立たしいほどにいつまでも、いつまでも騒音を立てる。ダイヤル式の電話に留守電機能なんて無い。用がある人間はイゾウが出るまでかけ続けなければいけないし、そもそもイゾウには電話に出る気が無かった。
 ――いや、出る気力が無かった。
 永遠と思われたベルがようやく切れ、今度こそ電話線を抜いてやろうと、なけなしの気力で立ち上がる。ろくに食べていない体が、抜けぬアルコールのせいだけではなくふらついた。
 アンティークの電話機は着脱式のコードではなく、埃を被った電話線を手繰って抜こうとしたが、その線の先は馬鹿馬鹿しいほど厳重に壁の金属板へ埋め込まれていた。素手で引きちぎれるほどのワイルドさは生憎今は品切れだ。鋏、何か刃物、工具、なんでもいい。そうして探しまわるうちに、大量の封書が古い造りの扉の下から捩じ込まれているのに気がついた。郵便物すら見ないイゾウのために、誰かしら訪ねてきたのだろうが、全く記憶に無いほどに毎日酔っていた。
 剥き出しのメモ用紙に、見覚えのある字が並ぶ。それら全てに、イゾウを心配する事柄が書かれているだろう事は容易に識れて、それ以上読むこと無くまとめて引っ掴み、苛立ちのままホールにばらまいた。なんだってこう何もかも思い通りにならないのだ!
 束ねていただけの髪をぐしゃぐしゃに掻き毟ると、指先に皮脂が纏わりつく。風呂に入っていないのだ、あたりまえだ。おかしな臭いがするのも唇が荒れて痛いのも全部己のせいだ。
 苛立ちのあまりか足元が揺れ始め、本格的に自分はもう危ないらしいとわかるが、今何より必要なのは電話という己と世界を繋ぐものを断ち切る作業だ。正常な判断がどんなものか、もうイゾウにはわからなかった。納屋、そうだ以前オヤジが趣味で使っていた園芸の道具があったはずだ。そこにならばペンチなり電話を叩き壊す金槌なりとあるだろう。
 メモ用紙と封書のゴミの山を踏みしだき、天岩戸の鍵を開く。必要なのは女神の裸踊りではなく、工具だ!
 ガチン、と重い錠が外れ、開いた扉の隙間から一体何日ぶりに拝んだのかという朝日が目に差し込んだ。いや、既に昼なのかもしれない、なんだっていい。
「痛ってえ!」
 取っ手を握る手に衝撃を感じ、即座に扉が悲鳴をあげた。イゾウが閉じ篭っている間に、世界でそんな変化が起きていても仕方がない。そんな馬鹿な事を本気で考えた。
「……もうちょっと静かに開けてくれよ。思い切りデコ打ったじゃねぇか」
 両手を下ろし、呆然と立ちすくむイゾウの前に扉の神……いや、おそろしいほど神話の時代のヘアスタイルをした男が額を抑えて立っていた。一緒に打ち付けたらしい鶏冠のような髪型は乱れ、その下には痛みで涙の浮かんだ茶色の目。
「帰れ」
「は? あっ! ちょい待って、タンマタンマ!」
 それが人間だと認識した途端に扉を閉めようとしたイゾウを、ドアノブを必死に抑えて男が叫ぶ。
「あんたイゾウさんだろ!? 待ってって! 話と違うって言いたいのはわかる、わかるけど待って!」
「何の話だ! 離せ、警察呼ぶぞ!」
「警察は困る! でもおれも仕事だし! お願いだから話を聞いてくれ!」
 閉めようとどれほど引いても扉はびくともせず、隙間から覗く男の体格はイゾウの有に二倍はありそうだった。こんな鬱陶しい男の知り合いなど居るはずがないし、誰の差金であろうとも他人と口を聞きたくなかった。
「離さねぇこかこのっ……」
 叫ぼうとしたイゾウの喉がひゅ、っとおかしな音を立てて息を吸い込んで止まる。叫んで、男を追い出さなければ。早く。
「落ち着いてくれよ頼む……っ、おい、どうした!?」
 手足が痺れ、視界が眩む。カンカン照りの日差しのはずが、急に真っ暗になる。苦しい、息ができない、だれか……

「大丈夫だ、目ェ閉じて、ゆっくり息しろ。ゆっくり……そうだ」

 背中を支えられ、なにか柔らかいものに顔を覆われている。痺れた唇が、ゆっくりと溶け出す。
「死にやしねぇ、大丈夫さ。何の心配もねぇ」

 ――泣くなボウズ、何の心配もねぇよ

 失ったと思っていたぬくもりが、大きな手がゆっくりと背中を擦る。
 そうか、何の心配もないんだ。
 あの時のイゾウは、本当に何の心配もないんだと確信出来た。大好きだったあの手。大好きだった声。

「いい子だイゾウ、ねんねしな」

**

「目ぇさめた? 飯食えそうならすぐ食えるように雑炊の準備したから。あっ、着物の畳み方がわかんねぇから吊るしておいたけどよかった?」
 イゾウが目覚めたのは自分の部屋のベッドの上で、窓の外はすっかり日も落ちていた。スタンドライトの中に浮かび上がっていたのは、やはり頭に鶏冠をくっつけた横にも縦にもでかい男で、イゾウは眉間にシワを寄せて「帰れ」と掠れ声で呟いた。
「まぁその前に。これ、勝手に拾ったけど、踏みつけられてたくらいだからゴミだろ?」
 ガサガサと目の前に広げられたのは、イゾウが玄関ホールにぶちまけたメモだった。癖のある文字は、署名を見ずともだれのものかわかる。
「……犬、だって?」

 ――お前に犬を預ける。ちょっとでかく成長し過ぎているが、可愛いコーギーだ。一ヶ月間世話をしてくれ。ペットを捨てるってのは、人として最低の行為だ。おれを失望させてくれるな――

「そう。ああ、言いたいことはよぉくわかる、毎回同じ事言われるからな。説明、していいか?」
 寝起きの頭はろくな仕事をしてくれない。この男が泥棒や悪人の類だったら……不思議と、そんな事は考えつかなかった。

 ――ペットラバーズ。
 それは「ペット」を派遣するサービス。。
 人間を「ペット」としてカテゴリーに区分し、望まれる動物を派遣する。話し相手や遊び相手が欲しいなら猫、美しく観賞に耐える容姿を望むならば熱帯魚。変わり種は爬虫類、幻の鳥だっている。
 そして最もポピュラーなのが、犬だ。
 デリヘルじゃないけれど、とサッチは断ったが、望まれて、ペットが同意すればセックスも出来る。最初からそういった目的であれば、慣れたペットが派遣される。勿論『犬プレイ』もそこに含まれる。セックスを望まなくとも、犬にカテゴライズされた者は、何より主人の命令を重視する。その店からサッチは、イゾウの友人――ジョズの依頼で派遣されて来た。
「おれは犬だから、主人の命令には従う。駄目犬だと思ったら躾けてくれてかまわない……って言い方も偉そうだけどな。でも帰れってのはナシだ、もう金も貰ってるし、何よりおれはあんたが気に入ったし、心配だ。知ってるか? 犬ってのは一度自分の主人だと認めたら、どれだけ優しくしてくれる人がいても駄目なんだ。蹴飛ばされても虐げられても、主人の事が絶対だ。だから、あんたはおれを好きにしてくれ。邪魔だってんなら目につかないところで寝るよ、声も出さない。だけど、これだけは悲しいからやめてくれ。――おれを、嫌わないでくれ」
 今にも捨てられそうな犬のように、眉と目尻を情けなく下げて、サッチはイゾウの横たわるベッドの横に膝をつき、端に手をかけた。主人のベッドに足……手をかけるのは、駄犬だ。なるほど、犬なのか。コーギーと名乗るには、無理があるけれども。
 虚ろな視界の中で、鶏冠を生やしたコーギーが主人の返事を待っていた。イゾウはゲイで、ジョズもそれをわかった上でこんなお節介を仕向けたのだろう。ジョズは厳つい容貌だが心根の優しい……と見せかけて、あの男は心底食えないのだ。だが何でもしていいというのなら、この荒みきった家を掃除させるという使い方も悪くない。生憎セックスをするには、サッチは全くイゾウの好みではなかった。
「……腹減った」
 イゾウのそんな一言に、サッチは見えない尻尾をぶんぶんと振り回す勢いで嬉しげに笑い「雑炊にはたまご入れるか?」と尋ねるので「半熟で、かきたま」と答えると、脱兎……犬の勢いで台所へ走っていった。思えばそれが、約一ヶ月ぶりのマトモな会話だった。あれを人だとするならば。
 サッチが両手で抱えて持ってきた土鍋の中には、失った食欲をよみがえらせるほど美しい黄色の卵がふるえていて、小鉢に移された白米には出汁が染み込み、一口食べると唾液が溢れ出すほどに美味かった。
「美味い? おれgood boy?」
「黙れ」
 黙々と雑炊を食べ続けるイゾウに、サッチは命令通り黙り、そのかわりニコニコ笑いながら主人の食べる姿を見ていた。犬に笑うなと命令する主人など聞いたことがない。イゾウは土鍋の底が見えるまで、雑炊を荒れた胃の中にかっ込んだ。
 その日から、イゾウとコーギー犬の、奇妙な生活がスタートした。

 ――お前は犬なのか、家政婦なのか。
 惰眠を貪り、ようやく起きだして来たイゾウに、白いエプロン姿のサッチが「おはよう、昼ごはんもう出来るぜ」と急須からお茶を淹れてくれた。
 戸惑ったのは初日だけ。そこからあっと言う間にサッチはこの空間に馴染んでしまった。さすがプロというべきか、図々しいと受け取るべきか。けれどもサッチの入れるお茶はやたらに美味く、料理の腕も申し分ない上に、荒れ果てていたこの広い屋敷は居住空間は初日に、窓から覗く雑草の伸びた庭園は昨日までに、ほぼ手が入れられた状態になっている。庭園の手入れは流石に出来ないので業者を呼んでいいかと尋ねられたが、まだこの家に知らない人間がうろつくのに耐えられそうになかったので首を振れば、サッチは理由を問うことも無く「じゃ、おれが草だけ毟っとくな」と倉庫から勝手に取り出した麦わら帽子を被って黙々と雑草を毟っていた。電話線も引きちぎられる事無く、サッチの手によって外され、納屋に仕舞われた。どうやらどこまでも器用な男らしい。
 あの馬鹿馬鹿しいほど立派なリーゼントはなりを潜め、今は長い前髪を後頭部で結んでいる。着替えなどは最初から持ち込んでいたらしく、ラフなチノパンとシャツは毎日取り替えられている。貸せと言われてもサッチの着られるようなサイズはイゾウが持っているはずもなく、この屋敷の主だった白ひげのクローゼットを開けたくはなかった。サッチだって死者の服を着せられるのは嫌だろうと思う。……なんでおれは、サッチの服の心配を今更しているのだろう。彼は金を受け取って派遣されているプロで、服なんて気を使う理由はどこにもないのに。
「イゾウ、この後なにか用は?」
「無い」
「そっか、用が出来たら言ってくれ。買い物に行くから」
 肉じゃがとほうれん草のおひたしをテーブルに並べたサッチは食器を洗い出す。サッチはイゾウの前で一度も食事をしたことが無い。犬は主人より先に食べてはならないし、同じテーブルで食事をするなどとんでもない――のかもしれない。
 イゾウの食事が終わるとまたお茶を入れ、食器を洗い、酒を出せといえば何も言わずに出す。イゾウに早く寝ろとも起きろとも、外に出ろとも言わず、まして酒をやめろとも言わない。イゾウさん、とこのでかい男に呼ばれるのは酷く尻の坐りが悪く、仕方なく呼び捨てにさせているが、正しくイゾウはサッチの「主人」だった。
 自室に向かうイゾウの背中に、サッチの目線が突き刺さる。一度目を合わせたら、サッチは慌てて目を逸らしたが、あれはわかる。「主人が構ってくれない犬」の期待する目だ。徹底したサービスもあるもんだと、イゾウは手入れを怠っていたアンティークの煙管を引っ張り出し、これを使っている姿が好きだと言ってくれた白ひげを思い出した。丁寧に柄の埃を落とし、管の中の煤をブラシで押し出した。
 葉を詰めて、小さな種火を移すと、薄い煙が部屋の中に漂う。白い煙がゆらゆらと揺れて、まるでこんな馬鹿な生活をしている自分の事を、白ひげに笑われた気がした。
 白ひげは、イゾウの全てだった。痩せっぽちで目ばかりが大きな、爪の汚れた子供を彼は拾い、他の子供たちと愛情を偏らせる事もなく、平等に愛して育ててくれた。鮮やかな着物に目を輝かせる変わった男の子に、呉服屋や染物職人の仕事場を見せて、イゾウの道を定めてくれたのも彼だった。溜め込んでいるデザイン画も、白紙のままの仕事も、白ひげが生きていたらどれほど不義理を嘆くだろうか。この家にはたくさんの子供が暮らしていた。子供はいつしか大人になり、家を出て、一番幼かったイゾウと白ひげだけが残された。けれども今は、イゾウただ一人。
「……オヤジ」
 懐かしい呼び名。懐かしい、と思えた。白ひげは死んだ。あの百までどころかあと百年は生きそうだった男は死んだのだ。白ひげのように大きく、白ひげの通り名の象徴と瓜二つのひげを持っていた大きな白い雑種犬も、後を追うように老いて死んだ。
「オヤジ……ぃ」
 ずず、と洟をすすると、目の奥が痛いほどに熱くなった。葬式ですら泣けず、出棺の時にも、遺体にすがる彼の大勢の子供達が流す涙で川が出来そうだった時にも泣けなかった。認めたくなかった。信じたくなかった。細い体をからかわれ、教科書を隠された時も、いじめっ子に仕返しをしようとして返り討ちにあった時も、意地を張っていたイゾウを、白ひげは優しく抱きしめてくれた。そこでなら泣いてもよかったのに、もう白ひげは居ない。汚れた顔を舐めてくれた白い犬も居ない。イゾウは一人で泣く術を知らなかった。
 嗚咽は呼吸を阻害し、喉も鼻も痛い。もう泣くのを止めたいのに、止め方も知らない。白ひげの手が、やさしく背中を撫でて「好きなだけ泣け」と言ってくれたら。
 痙攣の止まらないイゾウの腹の上に、太く逞しい腕がぬっと伸び、背中に温かいものがピタリとくっついた。いつの間に入ってきたのだろう。呼びもしないのに主人の部屋に勝手に入るなんて。
 けれどもイゾウは、ようやく認めることが出来た。ガキのような我儘だった。おれはただ……寂しくてたまらなかったのだ
 イゾウのうなじに、サッチは慰めるように鼻を寄せて来た。そのまま動かず、何も言わない。まるで、犬のように。
「……そうじゃねぇ」
 しゃっくりを飲み込んで、おかしな声になった。身じろぐイゾウにサッチの腕が僅かに緩んだが、抜け出せぬように胸を押し付ける力強さは変わらない。犬に言うことをきかせるには、どうすればいい?
 腕の中で、イゾウはぐるりと体を捻った。そうじゃない、おれが泣いている時はこうするのだ。手本をよく見ろ。
 火種の消えてしまった煙管が床に転がる。胸にしがみついたイゾウの背中を、サッチは優しく撫で摩った。サッチのシャツは土いじりをしていたせいで草のにおいがする。僅かな汗と体臭が、白ひげとは違うのだとイゾウに告げていた。
「――サッチ」
「……なに」
 イゾウからサッチに呼びかけたのは初めてだった。サッチは命令を待つように、イゾウを強く抱き寄せる。吐息には強い期待が混じっていた。犬はただ、主人の愛情が与えられるのを、ひたすらに待っている。泣き言も云わず、見返りも求めず。
「セックスしてぇ。ぐちゃぐちゃなやつ、足腰立たなくなるくらい必死に腰振りてぇ」
「……うん、しよう。ぐちゃぐちゃにしてくれ。イゾウに、そうされたい」
 サッチのシャツで洟を拭いて顔を上げれば、目尻も眉も垂れ下がった、馬鹿犬のような表情でサッチが笑っていた。その顔を見て、ようやく認める。馬鹿犬として有名なコーギーに、サッチはとても似ていた。馬鹿なのに、愛しい。愛玩されるために存在する、忠犬を。

  **

 サッチの尻は厚みがあり、恐ろしいほど引き締まっているくせに、その中はすぐに柔らかくうねって男を求めるいやらしい動きに変化した。男をよく知っている、イゾウの細い指ですら、食いちぎってしまいそうな、そこに性器を入れた時の悦を容易に想像させてくれる器官だった。
「……すぐ突っ込んでいいって、大丈夫だから」
「おれはこういうのが好きなんだ。黙って咥えてな」
 イゾウを跨いだサッチの顔の前で、イゾウのペニスが再び首をもたげた。一月触ってもいなかったそこはサッチの咥内であっというまに粘つく精液を噴き上げ、苦しげに飲み込むサッチの表情に、全く好みでないと思っていたこのむさ苦しい男が可愛く見えて来たのは、不細工な犬を飼う飼い主の気持ちの様なものだろうか。
 イゾウの眼前に尻を突き出させた姿勢で、ゴムをつけた指をひくひくと蠢くアナルに深く埋めると、サッチの呻きが深く咥えさせたペニスに響いて持って行かれそうにイい。内腿に手を這わせると、いっそう高く声があがった。
(――――?)
 指先に違和感を感じ、辿った皮膚をもう一度確かめた。皮膚の薄い場所に、時折指がひっかかりを覚える。丸く窪んだ肉を、手触りの違う白く薄い皮膚が覆っているそれは、イゾウには何の痕かわかった。いくつも、いくつも散らばる古い火傷の痕。こんな形の火傷をした兄弟を、幾人か見たことがある。
「……そこ、あんま綺麗じゃねぇから、見ねぇでくれよ」
 イゾウが火傷痕に気がついたのを察したサッチが、ペニスに頬ずるように哀願した。イゾウも話したがらぬ昔話を無理矢理聞く趣味はない。尻たぶを軽く叩き「這え」と命令すると、サッチは待ちわびたように四つに這った。
「犬っぽいな」
「この体勢、嫌か?」
「いいや。ガンガンいけるのが好きだな」
 イゾウは普段、セックス中にあまり喋らない。面倒だし、無駄に体力を使いたくないからだ。本来性欲が強いタイプであり、こちらがヤリ足りぬのに文句を言われるのはたまらないからでもある。わがままだと己でも自覚している。
 ――結論から云えば、サッチは今まで抱いた男の中でも……いや、比べものにならぬほど相性がよかった。体力があり、二度果てさせた後もイゾウの上で腰を振れる余力があった。イゾウはこのひと月、不摂生の限りを尽くした己を心底恨んだ。
「……くそ、おれがもたねぇ。そのまま動くなよ」
「ん……っ」
 最初はイゾウの快楽を優先させようとしたサッチだったが、相手を攻めるのを好むイゾウの呼吸を読んで、途中からは為されるがままに声を上げ、イゾウのやりやすいように協力を惜しまなかった。尻の下にクッションを二つ入れ込み、己の両膝を抱えて広げた姿勢をとらせると、晒された内腿の白い傷痕が、痛々しくも淫靡に浮かび上がる。犯され続けて真っ赤に染まったアナルは爛れても切れてもおらず、肉厚のひだは、貪欲に快楽を求めてひくひくといやらしく口を開いていた。
 吸いつくような、柔らかく濡れたアナルに、イゾウは熱のおさまらぬペニスをゆっくりと埋めた。じりじりと、一秒に五ミリも進まぬ鈍さで。
「……イゾウ、入れてっ、頼む」
「だめ」
 じれて声をあげたサッチの前立腺のしこりの上で腰を止めたイゾウに、何をされるか察したらしいサッチが薄く涙の張った瞳でのしかかるイゾウを見上げた。サッチはここで得る快楽を存分に知っている。だとすれば、イゾウの目論見は果たせるはずだ。
 相手を、もうやめて欲しいと泣くまで犯す――それが、イゾウの一番好むやり方だ。そのためならば、こちらの苦痛があろうとも構わない。ぐちゃどろのセックスは、この先にある。
 命令通りに足を抱えたままのサッチの腹筋が、ひく、ひくと震え始める。強い刺激であえぐのは当たり前だ。イゾウはペニスを埋め込んだまま、腹の力だけでサッチの尻の中を刺激し始める。
「なっ、これ……ダメなんだ、やばいからっ……」
「動くな。命令だ」
 腰を振ろうとしたサッチが、歯を食いしばって体を硬直させた。来る、来始めてる。動いてもいないのに酸欠で赤らみ、だらだらと汗を流すサッチの顔に、イゾウは腰を振りまくって犯したい気持ちを無理矢理抑えた。
「……ぅ、ぁっ、……はっ」
 喉を見せてサッチがのけぞる。体はつま先までもが針金を仕込んだかのようにピンと張り、ゆるく勃起したペニスの先端からとめどもない量のカウパーが溢れていた。
 イゾウがごく僅かに腰を引いた瞬間、サッチはとうとう食いしばっていた歯の隙間から、堰が決壊したような、屋敷中に響くような叫び声を上げた。
「――――ああああっ! ……いや、たすけっ……! イゾ、おねがい」
 体中を痙攣させるサッチの中で、前立腺を圧迫したままのイゾウが腰を抱えて刺激し続ける。涙が滂沱と溢れだし、涎は飲み込むのも忘れられ、喉から鎖骨の窪みまでを濡らしていた。
「イくっ、も、やだぁ……! たすけて、いぞう、助けて」
 イゾウの命令通り、死に絶えそうな矯声をあげながらもサッチは忠実に膝を抱えたまま。暴君の攻めに耐える忠犬の姿は酷く哀れで、それがイゾウのペニスをいっそう硬くする。絶頂し続けるサッチの、生き物の動きとは思えぬほどに痙攣する内臓をイゾウは容赦なく犯した。
 もう少しで意識が飛ぶ――その一歩手前で、ようやく長いストロークに変えたイゾウの動きに、鼻水まで垂らしたサッチが「死んじまう……」と嗚咽混じりに可愛い文句を言ってきて、イゾウはその期待通り。あえて触れてやらなかった最奥に、限界まで足を折り曲げて精液をぶちまけてやった。


 眠るサッチは、少しだけ幼い。
 あまりの消耗に、プロといえども付いていけなかったのか、単に疲れていたのか。主のベッドで眠る目元を赤くした駄犬に、思わずご褒美をやりたいくらいにいいセックスができた。
 乱れた茶色の髪を梳いてやると、眠っているのにも関わらず、イゾウの手に額を押しつけようとする。もしかすると、サッチが最初のあの髪型に戻さないのは、頭を撫でて貰えないからかもしれない。気に入らぬ主人だとあのままなのかと考えると、馬鹿馬鹿しくもあり、サッチなりのプライドなのかもしれないとも思う。
 ジョズの寄越した手紙からすれば、サッチがここにいるのはあと半月。サッチは仕事でここに来ているのだから、居なくなるのは当たり前だ。けれど、イゾウはそれに納得いかない自分に気が付く。セックスはもちろんよかった。寂し過ぎておかしくなっていた心を、なぐさめてくれた、最高の犬だ。
 けれども、サッチの内腿の火傷痕の理由を聞くには、自分はまだ、他人過ぎる。
(まだ、か……)
 どうやら自分は、この犬ともっと親しくなりたいらしい。瞼を閉じたままのサッチの頭を、イゾウはゆっくりと撫でる。大きな、肩幅の広い男だ。コーギーと名乗ったときのインパクトは、ペットラバーズの経営者も狙って決めたのかもしれない。
「馬鹿で困り顔なら、ラブラドールでもいいのにな」
 独り言に反応したのか、心地よさそうにイゾウの手に身を任せていたサッチが、薄く目を開いた。まだ少し、夢の中にいるようなうつろな目線が、ゆっくりとイゾウを見上げる。
「……ラブラドールは、きらいなんだ……」
 かすれた声で呟き、サッチはまたすぐに目を閉じた。
 イゾウはサッチの肩にブランケットを引き上げ、床に転がした煙管を手繰り寄せた。困ったことに、少し動揺していた。これは、見に覚えのある感情だ。
 この犬の事を、何もかも知りたい。生まれた場所、好きな食べ物、好きな体位、そして嫌いなもの。
「……参った」
 煙管に葉を詰め直し、衣服も纏わぬままぼやく。イゾウはセックスの時にキスはしない主義だ。だが今まさに、後悔している。
 どうやらおれは、誰でも金で買えるこの犬に、惚れてしまったらしい。
娼婦に惚れた哀れな男の末路を、イゾウはもう、笑えなくなってしまった。





2012/08/19

スパコミ発行ペーパーより再掲載

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