朝の蜜、夜の塩(後)




 21時、エースの働く店の閉店時間だ。朝から急に冬の気温になったおかげで肌寒く、コート持ってくればよかったと後悔しながら画面を起動させてメールを開く。風邪を悪化させないように注意しろという内容のエースからのメールで、マルコはひとりでにやけてしまわないように表情筋をひきしめた。早めに薬を飲んだおかげで咳はもう治まっていたし、今からまだまだ忙しくなる。風邪を引いている場合ではないので今日はもう温かくして寝ようと決め、繁華街へ行くという部下たちを置いて来た。もっとも彼らも上司が居ない方がのびのびと飲めるだろう。
 返信の内容を考えていると、また画面に受信表示があらわれ、タッチする。
(…………)
 思わず、立ち止まった。添付された画像のタイトルは『イゾウさんの彼氏!!』だ。たしかに気にはなっていた。あのイゾウの彼氏だ。けれど、できれば知りたくなかったとマルコは頭を抱えたくなる気持ちを抑えて画面をスクロールさせる。
 エースの携帯で自分撮りされたらしい俯瞰からのそいつの顔は学生時代からあまり変わってない。どうせならエースの写真も送れよいと『二十年ぶりに飯でもどうだ』と言っているらしいサッチに悪態をつく。……そう、サッチだ。そんな名前だった。とにかくそいつが、マルコに会いたいと言っている。
 うつむいていたら鼻水が垂れてきて、慌てて啜って歩きだした。冷たく濡れた、ひどい臭いの床の感触が思い出されて、叫び出したくなる。若き日の過ちは、二十年経ったところでその恥ずかしさを消してくれはしないのだ。そのサッチがなんの因果でエースの雇い主に……。
「……にしても、あいつ、根っからのノンケだったろい……」
 二十年の月日は、ノンケをゲイに変えるのだろうか。紅のさされたイゾウの唇が、鬼のように開いてサッチを丸飲みする場面が目に浮かび、マルコは寒さに耐えるように両腕で己を抱きしめた。

     ◇

 出張を終えた足で待ち合わせ場所の駅に向かったマルコは、エースが居なければその場を見なかった事にして立ち去っていたに違いないと思う。
 行き先の有名ホテルのレストランは普段着で行けるような場所ではない。それにしても、正装と言うのはもっと一般的なものを指していてほしい。遠目から見てもわかるイゾウと、多分サッチの二人は異様に浮いていた。イゾウは羽織を着けていて、正装には間違いない。髪もいつもの日本髪を崩したものとは違い、後頭部の高い場所で一本に結われていた。けれども相変わらず紅はさされていて、ベースの顔がなまじ綺麗なものだがら異質さは一際目立つ。隣の男は尚更だ。イタリアものらしいシルバーのストライプのスーツはまだいい。ちょっと派手好きな男が好むブランドだ。だがその上にのっかっている頭には、還暦のロッカーのライブ会場でよく見るドカンとでっかいリーゼントが鎮座していたのだ。そのリーゼントが『久しぶりだなぁ!』とにこにこ手を振るものだから、マルコは可愛いエースの笑顔だけを目に入れるように心がけながら『久しぶりだよい』と返した。
 話は食いながらと云うサッチの後ろに続き「風邪酷くならなくてよかったです」と微笑んで荷物を持ってくれたエースに温かい気持ちになりながら目的地を目指す。イゾウとサッチは長年の夫婦のように自然と会話をしていて、ああほんとうにサッチはイゾウの恋人なのかと改めて思った。
「スーツ似合ってるよい、エース」
「本当ですか? よかった。本当はもっと気楽な店がよかったかなと後から思ったんですけど、でも一回食べて見たかったし、一人で来られる所じゃないから」
 あと、オーナーの奢りだし、とエースが気慣れないスーツの肩を竦めたものだから、マルコは愛しさでなりふり構わず抱きしめたくなって困った。祖父から貰ったという光沢のあるスーツも似合っているが、もう一着くらい仕立ててプレゼントしても罰は当たらないと思う。
「おいおい、ラブラブだな」
「当たり前です」
 振り返ったサッチにからかわれたエースが照れもせずに返し、マルコの頬の方が赤らみそうだった。サッチの「よかったなぁ、マルコ」という言葉の裏に含まれる数々の意味を、今晩は多分、もうやめてくれと音を上げるまで掘り返されるのだと思う。そうマルコは密かに腹を括った。

     ◇

「今更だよい!!」
「ほんとだぜ!! 今更だ! ふざけんな!」

 2軒目の居酒屋で、おれたちは号泣していた。迷惑だ。そんなことはわかっている。追い出すならば追い出せ。

「何がおれより優しいからだ! おれみてぇないい男捨てるとかねぇし! ずっと悩んでたって後から愚痴られるくらいならおれに云えってんだ!」
「そうだよい! もっと早く云ってくれればよかったよい! 何がやっぱり無理だ、だよい! 初っ端からおれに胸がねぇことくらい見てわかれよい!」
「そうだ! 胸なんてあったほうがいいけど無くてもいいんだ! お前は悪くねぇよ、そいつに見る目がねぇんだ!」
「そうだろい!? しかも逆ギレして手ぇあげるとか最低だよい!」
「なにっ! そいつが殴ったのか!? 最低だな!」
「そんな最低男は熨斗着けておっぱいのでかい女にくれてやるよい! せいぜい一人でちんこ丸だしで反省してりゃいいよい!」
「仕返しか? やるなお前! もう一杯飲め!」
「飲まずにいられねぇよい、やってられっか!」

 店員の苦笑いに追い出され、おれたちは多分、肩を組んで夜の街へと放流された。そう、あのゲロまみれの朝に続く川へ。

     ◇

 ホテルでのディナーは、滞り無く済んだ。上品な店で、サッチは大学を辞めて海外をうろうろと旅し、今の店を作ったこと、マルコは今の会社に入る前は一時期定職にもつかずに各地を旅していたことを話した。全く正反対のようで、マルコとサッチにはかなりの共通点がある。初対面で、しかもゲイだと云っても一歩も下がらずに共に泣いてくれた男だ。会わなかった二十年はあっと云う間に縮まった。
 それが、いけなかった。

「その後、マルコさんがした仕返しって?」
「それが大爆笑だぜエース!!」
「やめてくれよい!」
「ぎゃはははあきらめろマルコ!!」

 二次会という公開処刑は、臨時休業並びに貸し切りの『いざよい』で行われた。熱燗がまわり、サッチにすがりつこうとするマルコをイゾウの腕が完全ホールドする。エースの顔も真っ赤で、お前等明日の仕事は! と我に帰そうと悪あがきするマルコの台詞はサッチの「おれが責任とる!」の一言で大却下された。

「マルコ、テコンドー歴十年だったんだぜ? その暴力男が勝てるわけねぇ。殴り返されて落とされて、下半身丸だしで椅子に縛って電話だけ出来るように片手は残してやったんだと! 縄は絶対解けないように手足一本につき5重くらいに縛って、油性マジックでチンコ真っ黒に塗りつぶしたあげくに腹に矢印付きで『粗チン・産廃』とか、陰湿すぎて腹痛ぇ!!」

 エースが縋るような目でマルコを見つめてきて、マルコは「エースは粗チンじゃねぇよい! 絶対そんなことしねぇよい!」と十分酔っぱらった返答を返したことに気がつかない。

「お前だって女にふられてびーびー泣いてたくせに、なんでいつのまにイゾウに食われてんだよい!」
「うっせーな! なんでおれが食われること前提なんだよ!」
「イゾウにはバリタチの匂いがするんだよい!」
「流石マルコ、ご明察。サッチの初めては美味しかったぜ?」
「ばっばばっばか!! 何云ってんの!」
「マルコだけ暴露されるのは平等じゃねぇよな」
「マルコさん、強いの? ……かっこいい……」
「いちゃつくなそこ! 昔の男に嫉妬して無茶されろ馬鹿!」
「昔の女に嫉妬して酷い事していいって意味だなサッチ?」
「違ぇし! どうにかしろよその思考!」
「エース、そろそろ帰りてぇよい」
「おれも。マルコさんいなくて、寂しかったよ」
「おれもだよい。一週間もエースの味噌汁飲み損ねちまった」
「へへ、嬉しいなぁ……明日はシジミにする?」

 ハートを飛ばすイメージ映像を背負って、マルコとエースがいざよいの引き戸からいなくなり、店内は一気に静けさを取り戻した。サッチはイゾウの腕に凭れたまま、いざよい唯一の座敷にごろりと寝そべる。

「あーもう……」
「親交深まったな」
「深まり過ぎだ。また仕切直す」
「マルコなら平日はうちで飯食ってるから、気になるなら来な」
「変な意味はねぇよ?」
「あったら殺す」

 おお怖い。と揶揄したサッチの酒臭い唇に、薄く紅が付着した。年月というものは、おそろしく人を変えてしまう。そしてイゾウという生き物は、サッチの全てを変えてしまった。……スタイルとセンスを除いて。
 明日の朝、男に捨てられてぎゃんぎゃん泣いていたマルコは恋人の甘い味噌汁を飲むのだろう。なんて、羨ましい。
「……なんか、ちんこ硬くなりそう」
「おれの店をザーメン臭くしたいって?」
「おれが建てた店だろうが。だからいいんだ」
 紅の色が消えるほどに深く唇をあわせ、舌を味わう。イゾウの舌はほろ苦くてしょっぱい、ニガリのように後引く、一癖も二癖もある恋の味がした。




2011/12/15

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