夜の虹 9


 いつもならば、コーヒーカップの並ぶキッチンテーブルには、寒々しい木目があるばかり。
 腕を組んで真っ直ぐ前を向くサッチの視線から少しでも逃れたいとでもいうように、マルコとエースは俯いたままだ。

「何か隠してるとは思ってたさ。それもおれの関わる事だ。違うなら今すぐ否定しろ」

 無言が、質問を肯定する。
 エースが「ごめんなさい……」と子供のように声を震わせた。

「何の謝罪だ? 隠していた事に対してか、隠している内容か」

 目の前にいるのはサッチなのに、淡々とした口調での詰問は異端審問の裁判官よりも容赦無く、エースは余計に固く、膝の上の拳を握りしめた。

「内容によっちゃ、許さねぇぞ」
「サッチ、そこまで言わなくても……」
「ならお前が話せ」

 今にも泣き出しそうなエースを庇うマルコにも容赦等ない。
 腹を括っての帰国だった。いつかこうなる事くらい、わかっていたはずだ。ゆっくりと息を吸い込み、マルコはエースの拳の上に右手を重ねた。二人の約束、ふたりの線引きだった合図を。
 共犯は、ここで終了だ。

「……おれは、サッチが好きだったよい」

 顔をあげてマルコを見たエースの目から、ぼろりと最初の涙の粒が落ちる。

「サッチが好きだった。キスしてぇとか、そういう意味で。でもお前は普通にヘテロだし、これまでの人生で何十年も世話になって、この上更に迷惑かけると思って、黙ってたんだよい」
「……ヘテロって、お前だって……ベイは?」
「女はベイとしかした事ねぇよい」

 サッチの据わっていた目が、困惑に見開かれる。必死で頭の中を整理しようとしているのが見て取れて、エースはようやく震えを収めた。
 帰国前にくれた、一本の電話。嘘だと思った。絶対に。けれどマルコの言葉は、全て過去形だった。マルコは今、サッチへの想いの形を変えようとしている。
 包まれた拳を裏返し、エースはマルコの手のひらを下から握りしめた。

「おれもっ! サッチが好きでっ……でも、もしサッチが気持ち悪いって思ったら、おれ、この家から出ていきたく無いし、……どうしたら、いいか」

 ぼたぼたと涙をこぼし始めたエースに、サッチはホールドアップして、大きく深呼吸した。

「わかった。……いや、わからんけど、とりあえず茶をいれよう」

 換気扇が回り、年代もののケトルが張り切る。
 キッチンには、ようやくいつものサッチが戻って来ていた。





 マルコは相変わらず、サッチに買わされた携帯電話を持って旅をしている。来年は、国内で仕事をするのだとエースにだけこっそりと教えてくれた。
 トリートメントが洗い流された髪の中を、するりとサッチの指が這う。ああ、ダメだ。もう耳だってなんだって、丸見えだ。何もかも赤過ぎる。
 
「キスしてみるぞ、エース」
「キスっ……!?」

 唐突な宣言に、誇張でなく椅子の上から飛び上がった。髪が濡れていなければ、転げ落ちていただろう勢いで。

「目ぇ開けろ」
「開けるのっ!?」
「閉じてしたい派か?」
「いや、そんな問題じゃないし!」
「じゃぁ開けろ」
「…………」
「開けねぇと」
「……と?」
「やっぱキスする」

 視界いっぱいにサッチの顔が迫り、煙草と、匂い消しのガムの味がする唇が、遠慮なくエースの唇を塞いだ。心構えも無いまま、舌までも吸われるような大人の、サッチからのキス。
 不慣れなエースの舌の動きを補うように、口の中全部舐められたんじゃないかと云うくらいに這いまわったサッチが出て行った時には、エースはもう虫の息だった。死ぬ、死んでしまう。

「……やばい」

 サッチに耳元で呟かれたエースが、酸欠に顔を赤らめたまま身を竦めた。やっぱり嫌だったのだろうか。試してみて、駄目だったらそう言うと、サッチは二人に約束している。
 エースの様子に気がついたサッチが、慌てて「違う、悪い意味じゃねぇ」とタオルを引っ張り出し、濡れた髪を拭いてくれた。きっちりとタオルに包まれた少しばかり間抜けな姿で椅子を起こされ、エースはカット台に向かうサッチを目で追った。

「案外大丈夫で、お前が可愛いなぁって思っただけ」
「……だ、第一段階、突破で、いいでしゅか」

 舌が縺れたエースに、サッチは意地悪犬の笑い方で早く来いと手招いた。
 ブラインドの降りた店内は、夜の中でもぴかぴかと明るい。それは蛍光灯のせいではなく、この店の中にサッチが居るからだ。
 いつかマルコにそう言うと、マルコは「あの店は、夜に見た虹くらいの引力があるんだよい」と、いつか見た夜でも見える不思議な虹の話をしてくれた。
 いくつもの偶然と条件が重なって見える、夜の虹。暗闇の中でさえ、思わず虹の根本を探して旅に出ずにはいられない。
 エースにとっても、同じだ。泣きながら家出した時も、喧嘩した時も、学校が嫌で落ち込んでいた時も、いつだってこの店は光り輝いていた。

「マルコは今、すっげぇ眩しい太陽の下かなぁ」
「きっとバテてるよ」
「帰ってきたらこっちも真夏だな」

 ご愁傷さまだ、とサッチがシザーをくるりと回す。


 ふたりの告白を、サッチは理解してくれた。そして、否定しなかった。
 この結果を、マルコもエースも、心の片隅で予想していた。だから、沈み込むほどに苦しんだのだ。いつかサッチが好きな女性が現れたら、泣き叫ぶほど苦しいだろう。諦められるなんて、絶対に無理だ。
 けれど、マルコはその無理を実行してしまった。
 
 黙って話を聞いてくれたサッチは、やがてぽかりと口を開け、開いた口にとりあえず煙草を突っ込んだ。まる一本吸う時間の沈黙を経て、サッチは云った。

「好きと言ってくれるのは素直に嬉しい。おれも勿論、エースもマルコも好きだけどよ、お前らと同じ気持かどうかはよくわからん。けどな、勝手に諦められたり、勝手に結論出されたり、勝手に居なくなったり、おれの存在を無視しておれの事で悩むのは腹が立つ」

 煙草の先を潰した指が、マルコとエースの額をバチンと弾き、美容師の指力に悶絶したふたりの前で、サッチはようやく歯の隙間から抜ける様な、意地悪な笑い声を上げた。

「マルコはおれの大事な親友で、エースはおれの家の大事な子だった。いきなり好きだの恋だの言われても、ちっともピンとこねぇ」

 肩を落としそうになるエースに、サッチはニタリと笑いかけた。目尻の傷が、いつもよりも色濃くなっている。

「だから、変わるなら、ちょっとずつにしてくれ」

 心臓に悪い、と言いながら二本目の煙草に火を点けるサッチに、エースとマルコは顔を見合わせ、しっかりと頷いた。
 やはりサッチはとびきり優しくて、怖い男だった。そして、そんな男がエースは大好きだ。マルコもきっと、今だって。
 

 シャクシャクと合わさるシザーの音は、サッチの声のようだ。
 キスのおかげで切羽詰まっていたエースの一部は、ケイプの下でようやく平常心を取り戻している。
 ゆっくり、少しずつ。サッチとの距離が変化していた。
 毛先を少しだけ切っただけ、けれども印象が劇的に変わった、そんな感じの。
 鏡越しのサッチの真剣な目線と真正面から向かい合い、エースはこくりと喉を鳴らした。

「エース」
「……ん」
「おれの手が動かなくなるまで、お前の髪はおれが切ってやるよ」

 うん、と顎の先だけでエースは頷いた。泣きそうになって、やっぱり泣けてきて、結局サッチにワックスのついたタオルで顔を拭かれてしまった。泣きべその子供の時から、結局何も変わっていやしないのだ。
 

 真夏には、南国の匂いと共に、マルコが帰ってくる。ふらふらしながら、お腹を空かせて、やっぱり夜の虹の根本を求めて。
 サッチはずっとこの店で、大好きな人たちを待っている。




2012/03/09

 








完結までとてもとても時間がかかってしまいました。
生まれて初めて書いた現代パロディでした。
拙さ満載のお話ですが、とても満足しています。
現代パロの楽しさを教えてくださったGさんに、こっそり愛をこめて(*´∀`*)
お付き合い下さった皆様、ありがとうございました。






多分、エーサチなんだぜ(コッソリ)

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