白ひげ荘201号室 2
夕方になるにつれて雨足は強まり、エースとマルコが風呂場から出たときには風は幾分弱まったものの、傘を差しても一分と経たずに濡れてしまうだろう程の、警報に違わない大雨だった。
こんな日に出かけて食事だなんて、ルフィとの約束じゃなければ絶対に断っていたとぼやきながらお互いに衣服を整え、迎えを寄越すと言っていたアパートの前の通りを窓から恨めしげに睨んでいた午後七時。
視覚で捉えるのもやっとの真っ黒な高級車がぴたりと止まり、そこから如何にもカタギでなさそうな坊主の男が運転席から降りてきたのに、二人は窓越しに顔を見合わせた。
――迎えって、あれ?
「ポートガス・D・エース様とマルコ様ですか」
「……はい、エースはおれです」
何かの間違いじゃなかろうかと訝りつつ、部屋に鍵をかけて土砂降りの外へ出れば、黒い傘をさしかけてきた坊主の大男にフルネームを確認された。これで勘違いだというのは無いだろう。
尻の沈み込みそうな後部座席に居心地悪く収まったマルコが「おい、こんな格好でよかったのかよい」と小声で確認したのは自分たちのジーンズにショートブーツ、スニーカーにカーゴパンツ、焼き肉の臭いがついてもまったく構わないという基準で選んだパーカーとポロシャツというラフすぎるスタイルの事だ。「知らねぇよ! 焼き肉としか聞いてねぇもん」と反論するエースに、坊主の男が「問題ありません」と一言だけ発して黙った。
沈黙のまま車は30分程走り、迎えに来た時と同じように静かに停車した。
「……料亭……?」
「焼き肉屋です」
車を出て呆然となったエースに再び傘を差し向けながら、坊主男は高級料亭だと言われても100%信じる門構えの店へ二人を押し込むように案内した。マルコは車の中で何かを諦めたのか、さすがに場慣れした様子でのれんをくぐり、着物姿の女性店員の笑顔に気後れしているエースを引っ張って女性の後に続く坊主男の後ろを歩いた。
「あー! やっと来た! 腹減ったぞエース!!」
個室の障子を開けると、ようやく元気すぎる弟の顔が見えて、エースはあからさまに肩の力を抜いた。
「時間ぴったりだったぞ。てかなんだよここ、焼き肉って言うから駅前とかいつもの所だと思ってたぞおれ」
「ここの肉うまいんだ、鰐がいつも連れて来てくれるんだ」
ちょっとした宴会も出来そうなほど広いテーブルには炭焼きの金網が張られ、下は掘りごたつだ。こんな所で出てくる肉が筋張った安い肉のはずはない。
腰を下ろしたエースとマルコと向かい合い、ルフィは「エース来たから肉!! もう食おう!!」と坊主男に向かって言い立て、彼は店員にもう始める旨を告げていた。
「ルフィ、その鰐さんってのはどこだよい。挨拶もせずに始めちまうのは」
「そうそう、失礼だ」
うっかり肉の誘惑に負けかけていたエースも賛同すると、坊主男が「社長は少し遅れて来られますので、どうぞ先に召し上がり下さい」と一礼し、障子を閉めて立ち去ってしまった。
二人の間の沈黙は、ルフィのおかげで一秒も続かない。
次々に運び込まれる高級肉は、ルフィという人間が一体どれほど無限の胃袋を持っているのか、知り尽くしているような真っ赤なうず高い山だった。
「おいおい、一頭分かよい、こりゃ」
呆れるマルコの前で、肉の誘惑に負けた兄弟が金網に一気に赤い身をぶちまけ、ミディアムになるのを待たずに次々と口にいれるものだから、マルコはもう止める気も起きない。エースに至っては「こんな肉食わせてくれるとか、その鰐ってひとすげぇいいひとだな」と食べ物をくれるひと=いいひとの方式を発動させ「やっぱうめぇ! 鰐の食わせてくれる肉うめぇ!」と喋ってる間も食べている弟と頷きあっている。これでその鰐さんが来て、例え悪人だったとしても、エースは鰐さんをいいひとだと云うだろう。
(社長ねぇ)
今更エースの弟の交流関係に驚きはしないが、一体この天然人たらしの少年はどこでそんな人物と知り合うのだろう。焼き網の隅で兄弟の箸を蝿のように追い払いながら、マルコはミノとハツをじっくりと焼く。マルコの好物は内臓系なので、兄弟が満腹になった頃合いでゆっくり焼くのがいつものスタイルだ。こいつらと来たら、ホルモンですら生で食いかねない。
手酌でビールを注ぎながら兄弟の肉食獣同士の争いを30分ばかり眺めた頃(この時に話しかけると100%顔に肉をかけられるのは経験で知っている。よってマルコはエースと一つ座布団を離している)障子の外で黒い影がゆらりとうごめいた。音もなく開いたそこには先ほどの坊主男。そして彼が一歩下がり、黒い塊のようだった影がゆっくりと現れた。
「あー! 鰐、やっと来た! 早く早く、肉食えよ!」
スーツの上着を預けるのもそこそこに、ルフィが立ち上がって「鰐」の腕を引いた。
でかい。マルコもエースも180を超える身長を持った決して小さくない男だ。だがそれより横幅も縦もでかい坊主男よりも更にでかい。
そしてなにより……
「……クロコダイル、社長……?」
からん、と金網の上に箸が転がり、慌てて拾って居住まいを正すマルコに、エースが暢気に「あれ? マルコ知ってる人?」などと問いかける。
サー・クロコダイル。
見間違うはずがない。オールバックにした黒髪、誰もが一度は目を伏せる顔を横断する傷、金色のは虫類のような鋭い目。
マルコは背筋に冷や汗をかきながら、せり上がってきたビール風味のげっぷを飲み込んだ。
2012/02/21