月を抱く






 昼夜を問わない襲撃音が止んでもう三日。
 白ひげ海賊団一番隊隊長が悠然と歩くモビーディックの甲板の上は、銃から零れた空薬莢と煤にまみれていた。それは"火拳"である彼のせいではなく、今日の敵襲の名残だ。
 一番隊の戦闘員の背後から襲いかかった敵を仕留めたのは、遥か後方にいたエースだった。指先を炎に変えて寸分の狂い無く敵を貫いた彼は、仲間たちの目線のなかであからさまに「しまった」という顔になった。隊員への襲撃に気がついていたマルコが攻撃態勢に入っていたのに磨かれた動体視力で気がついていたせいもある。更には一番隊たちのニヤニヤした顔が酷く気に入らなかったのかもしれない。
「ありがとうエース!!助かった!!」
「ありがとよー!」
 口々に礼を述べる戦闘員たちのおかげで敵に存在を気がつかれ、あっと言う間に襲撃対象に含まれた彼は不本意だという顔を崩しはしなかったが、それでも向ってくる敵を圧倒的な強さで甲板へ、海へと薙ぎ倒して行った。
 いつものように惨敗した襲撃者は散り、逃げ場のない船の上で一番隊に囲まれたエースはもみくちゃにされていたが、マルコはそれを止めはしなかった。


恒例の宴も深夜になれば床に沈没するものが出始めて段々と静まって行く。「ただ飯喰らい」を頑なに拒否していたエースも、今日ばかりは目の前に崩れんばかりに積み上げられたご馳走の山にぎこちなく手をつけていてマルコを安心させた。もっともそれっぽっちの食料ではエースの腹は全く満たされないのを知ったのはもう少し後だ。
 ぐるりと静まり返った船首を巡ったマルコは、緊急消火用の海水が満たされた樽の隙間から不自然な色が覗いているのに気がついた。常人ならば数人がかりで樽を抱えて移動させなければ入れないその隙間に、見事に人が一人嵌まり込んで眠りこけている。
 なにもそんなところで寝なくても、と薄く笑いつつマルコは完全に足音を消した。未だ環境に馴染む事に抵抗しているつもりなのか、それとも久々に胃にまともに食べ物を入れたせいか昼間の戦闘の疲労のせいか。そしてそのどれもだろうエースはピクリともしない。
 マルコはふわりと音も無く樽の上に舞い降り、かくれんぼ中の少年の真上に腰掛けた。
 白ひげが船に乗せると言ったからには、エースは既に家族だ。少なくともマルコとこの船の乗組員は皆そう思っている。残るはこの強情で頑固な弟の首を縦に振らせるその作業だけだ。

 光に気がついた見張り役がメインマストの上部から後甲板に見えたマルコに灯滅の合図を送ってきたのに手のひらだけに青い炎を乗せて"なんでもない"と信号を返す。瞼に光を感じたのか、樽の群れに埋もれたエースの足が僅かに動いたのを横目で見つつ、マルコは懐から煙草を取り出した。

「おい、起きたんならちィと火をくれねェかい」

 マッチを忘れたわけではない。普段からそれを持ち歩く習慣はマルコには無く、単に話しかけてエースをそこから引っ張り出す理由にしたかっただけだ。
 しばしの沈黙の後、篝火の灯りが届かない暗く影射した樽山の陰が赤々と燃え上がった。見張りが慌てて身を乗り出した気配がし、今度は明るすぎる視界の中でマルコは同じ手信号を送り、隙間から一気に吐き出された炎に向って苦笑して見せた。

「もう少し大人し目に燃えろよい。見張りの心臓が止まっちまう」

 もっともそんな事で止まるような心臓を持ち合わせているクルーなどいるはずもない。エースも嫌というほど理解している筈で、悪びれる様子も無く一瞬で人型に戻った炎はマルコから樽一つ分開けて腰掛けた姿勢で肉を持った。
 煙草を咥えたままのマルコをようやく険の取れてきた表情でチラリと見たエースが指先に小さな炎を乗せて差し出す。大した進歩だと思いつつ、マルコは紙巻の先端をそれに翳して息を吸い込んだ。
 炎に照らされたエースの顔色は昨日よりも大分マシになっている。ろくに食べも眠りもせずに白ひげに挑み続け、その前にはジンベエとの五日間に渡る死闘をしているのだからその体力と気力には恐れ入る。だがそんな無茶を終わらせたいというのがマルコの、そして白ひげの家族達の願いだ。

「…さっき光ってたの、あんた?」
「マルコだ」
「………」

 名を呼べば距離が縮まってしまうとでも思っているのだろうか。エースから話しかけられたのは何日振りかとマルコは思い返す。再び唇を不愉快気に引き結んだエースにマルコはまた小さく笑った。その光に気がついても跳ね起きなかったエースが嬉しかったのだが、ひねくれた少年は素直には受け取らなかったらしい。ようやく緊張の解け始めていたエースの皮膚の表面に火の粉が散り始め、刺すように強く睨まれた。

「そうギスギスすんない。若いねェ」

 マルコがその部分に目を落としたのでようやく気がついたエースが慌てて立て膝でそれを隠した。火の粉は一気に冷えて消え、代わりに狼狽した幼さを残す少年の表情が浮き彫りになる。咄嗟に隠されたそこは、エースのハーフパンツの前たてを押し上げて若さを主張していたのだった。寝起きのせいと、途切れない緊張感の合間の気の緩みだろう。若い時分の下半身の制御の出来なさっぷりと来たらほとんどの男は経験があるものだ。

「おれの部屋、貸してやるよい」

 数秒数える時間を硬直していたエースが、ようやく何を言われたのか理解したように「いい」と眉を寄せて首を振った。

「遠慮するな」
「してねぇ。ほっとけばおさまる」
「そこの隙間に挟まってかい」

 下半身を硬くしたまま樽の隙間に戻るエースを想像して、マルコは今度こそ声を出して笑った。

「気にするな、覗きやしないよい。それにそろそろお前もベッドが恋しくないのかい?大部屋にも行ってないそうじゃねぇか」

 返答は「必要ない」か「うるさい」か。そう考えたマルコにもたらされたのは予想外な事だった。膝をかかえて逡巡していた様子のエースが、不貞腐れたようにボソリと呟く。

「………さっきの光、見せてくれるなら行く」

 その声には純粋な好奇心と、これから選ばなければいけない道行きの不安が斑に詰め込まれていた。決断したい。けれども素直になれない。近寄りたい。飲まれたくない。

 笑いの尾を引いたままのマルコがひらりと積み上げた樽の山から飛び降りた。おいで、と手を差し出すマルコの目の前に数瞬遅れてエースが続く。流石に手をとるとは思えなかったので、手招くように動かしただけですぐにマルコは背を向けて歩き出した。
 背後に目があればエースの表情が伺えるのに、と少しばかり残念に思えた。

 

2010/03/24


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