冷蔵庫型宝石箱/後




 インターフォンが鳴ると同時に心臓を直接指で押されたような衝撃を受けて、何一つ頭に入ってこない夕方のニュース番組を切り、躓きそうになりながら受話器をあげた。ディスプレイには大きな荷物を抱えたエースが「マルコさん、こんばんは」と笑っていて、殆ど脊髄反射でロックを解除した。ディスプレイが切れ、エースはエレベーターに向かっている。手伝いに行こうかと思ったが、力のあるエースには余計なお世話だろうし、それよりもドアをの鍵を開けてすぐに入れるようにする方が親切というものだ。
 冷静を装いつつもマルコは朝から大混乱している。今だってそんな事を考えているのに合い鍵を渡しておけばよかった等と思っている程度に。浮かれ過ぎている自分を抑制しようと先日「また今度」だと鍵屋の前を通り過ぎたばかりではないか。のめりこみすぎて流され、最後には上手い具合にいいくるめられて捨てられるのはダメージが大きすぎるから、慎重に、そう、慎重にしたいのだ。

「マルコさん!」

 鉄の扉を開けた向こうに、両手にビニール袋と、大きな登山リュックを背負ったエースが、僅かに汗ばんだ顔で立っていた。マルコの押し開けたスペースを体を横にして通り抜け、両手の袋を置いてマルコを振り返る。マルコの背中でオートロックがかちりと掛かった音がした。

「ちょっと遅くなっちゃった。待った?マルコさん」

 にこりと微笑まれ、そんなことはないと返そうとしたマルコの口からは最近特に言うことを聞かない本音がごろんと転がり落ちた。「待ってたよい」と。それはもう、おむすびをネズミの穴に落としたキコリのように勢いよく。エースは黒い目玉をぱちくりとさせて、それから困ったように首を竦めた。

「そういうこと、両手空いた瞬間に言ったら駄目だよ。ご飯作れなくなっちまう」

 瞬間的に熱を帯びたエースの黒瞳から目を離せないでいるマルコの目の前に、あっと言う間にエースのそばかすが出現した。ちゅう、と唇の横に吸いつかれ、マルコの足下でビニール袋がカサリと抗議の音をあげた。

「……マルコさん、お腹、空いてますか……?」

 耳の穴から流し込まれるようなエースの言葉に、マルコは反射的に「まだ、そんなに」と答えた。エースの表情はマルコとは正反対に切羽詰まっていて、エースは乱暴にビニール袋をもう一度抱えあげた。

「出来立てを食べて貰いたかったんですけど、今度店に来てくれたら作ってもらいますから。おれ、まだ見習いだから今日のは店長に作ってもらったんです。でも、後で温めても食べられますし、他のおかずも作ります。冷蔵庫お借りしていいですか」

 息つく暇もなく言い切ったエースはマルコが頷いた瞬間にキッチンに駆け込み、生ものと店長作らしいタッパーを次々と冷蔵庫に入れこんで、ばたんと扉を閉めた。磨かれた冷蔵庫の前にエースが立った瞬間に、冷蔵庫がきらりと輝いて喜んだ気がした。もちろん、マルコの目が見せる錯覚だ。エースが背負ったままの荷物に手をかけると、エースは慌ててそれを床に下ろした。ジッパーが閉まりきらずにゆきひらの柄が覗いていて、調理器具の殆ど無いマルコのキッチン事情を察して持ってきてくれたのだとわかる。そうだ、次の休みは鍋を買いに行こう。

「マルコさん」

 性急に抱きしめられ、余裕の見えないエースに唇を強く塞がれた。咥内をかき回す舌が空腹の獣のようで、かつて経験した事がないようなぞわぞわとした電流が頭の芯から体中に広がっていく。こういう時は、どう言えばいいんだ。ああ、そうだ、すっかりご無沙汰で忘れていた。

「……ベッドに」

 



 抱えられるように寝室に連れ込まれ、一番先に考えたのは「やっぱり洗っていてよかった」なのだから、どうにも度し難い。
 気だるい体を洗いたてのスウェットに包み、温められた白身魚のクリームソース掛けとバゲット(白身魚は出来立てだと皮がパリパリとしててもっと美味しいんですとエースは謝った)作るには時間が遅くなり過ぎたので、肉料理から急遽メニューを変更して作られたタマネギとウィンナーのコンソメスープ。沢山食べるエースには遠慮するなと肉を焼かせて、白米も炊いた。無国籍だが、この国でそれを問うのは暖簾に腕押しだ。マルコさんも少しだけ、うまいんですよこの子牛、と二切れだけ皿に箸で乗せられた。
 日付も変わるような時間に食べる飯は、エースが目の前にいることも加えて皆美味しかった。肉を頬張るエースは可愛くて、同じものを食べているという事は、血液に染み渡るように幸せだ。

「明日は出勤する前に味噌汁作って行きますね、大根の」
「大根の」
「うれしいですか?」
「嬉しいに決まってるよい」

 スープをこくりと飲み込んで、マルコは笑った。今度こそ、言葉と顔が連動している、自分でもわかる。ああ、いまもう一度キスしたい。そう考えたと同時にテーブルの角を挟んだエースの顔が近づいて、コンソメの味のする唇をはまれた。食べ終われば多分、マルコはデザートの扱いになるのは間違いないし、マルコもそれを望んだ。中年のおっさんを、デザートなどという可愛らしいものに例えていいのならば。
 流されているのでは決してない。のめりこんでいるのは、自分の方だ。
 後片付けもそこそこで、もう一度ベッドに潜り込んでスウェットを蹴飛ばすように落とした。開けっ放しの寝室のドアから、ぴかぴかの冷蔵庫が見える。エースが作ってくれたスープの残りや、明日の味噌汁に使う生わかめが詰まっている宝箱のような。
 そこから取り出されたジェルボトルも、今はエースの手の中できらきらと光りながらもう一度料理されるのを待っていた。





2011/10/10

次回エース編(多分)
 

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