だいこん れんこん へいほうこん 4





『おはようございます。よく眠れましたか?朝ご飯はヨーグルトだけでも食べて下さいね』

 おはよう。飲むヨーグルトを買ったよ。

『メールだとよいがつかないんだ!(絵文字)お仕事頑張ってください』

 違和感あるならつけるよい。頑張る。

『違和感解消しました(笑顔のアイコン) でも無理しないでくださいね。』


 ロックをかけて、スーツのポケットにスマホを落としてディスプレイを見る自分の口元が緩んでいるのが分かって、何をいい年をしてと慌てていつもの仕事用の顔に戻る。
 エースとのぎこちないメールの交換はなんだか新鮮で、マルコも楽しんでいると認めざるを得なかった。会社というものに勤めたことがないエースは「机に向かってする仕事」を想像出来ないらしく、「数学とか要るの?おれ、あれが出てきてからさっぱりだったんですよ」と指先で目の前にぐにゃりとした記号を書いた。「平方根?」とマルコが言うと「そうそうそれです!なんか大根とか蓮根とか、根菜っぽいなーってのだけ覚えてた!」とルート記号らしかったそれをもう一度書き、すっきりしたと笑って筑前煮を差し出した。おれは得意だったよいと言うと、エースは「やっぱり!マルコさんなんでも出来そうだもん」と自分が出来るみたいに自慢げに言うので、思わず蓮根の大きな塊を口に入れたまま笑いそうになって困った。「おれは根菜が料理出来る方が凄いと思うよい」と何気なく返したら、さっきまで自信満々の笑顔だったエースの顔が赤く染まっていて、なんとなく直視できずに俯くと同時に聞き慣れたばしん、と手拭いの頭をひっぱたく音にうっかり飲み込んだ咀嚼の足りなかった蓮根が喉に引っかかって往生した。イゾウはマルコが客でさえなければ、絶対にマルコの頭もひっぱたいているに違いない。
 グラスになみなみと水を注いでくれたイゾウは「店内恋愛禁止だ」と二人とも初耳の規則を作った。ようするに、店の外だといいらしい。

 恋愛を、している。
 それに思い当たって、一番衝撃を受けたのは若いエースではなく、マルコの方だ。
 アドレスを交換したあの日、マルコはエースに条件を告げた。流石に20も年下とつき合ったことはなかったが、ゲイの好みなど千差万別で、エースは年上が好きなのだとマルコはそう思った。だから押される前に牽制したかったのだ。昔から押しに弱く、それでずるずると泥沼にはまってしまうループから逃れたかったせいもあるが、何よりマルコはいざよいとエース自身を気に入っていて、それを失いたくなかった。
 一ヶ月は、会ってもキスもセックスもしない。体だけでいいと割り切った考えの人間もいるが、マルコはそういった交流が好きではなかった。「おれは考えが古いから」と前置きして、きちんと交際してからにしたい。もちろん浮気など論外で、急に連絡を絶たれるのも嫌だ。もしお互いが気に入ってつき合うとして、マルコからにしろエースからにしろ、別れる時は「別れる」と言って欲しい。振り回されるのはもうごめんだった。
 エースは真剣に聞いて、同意してくれた。自分もセックスだけという繋がりが苦手で、マルコさんが好きになったからきちんと付き合いたい、と言ってくれた。
 好きだ、と面と向かって言われたのは一体何年ぶりだろう。その時の、そばかすの上に朱をはいたエースの顔を思い出すだけで心臓が握りしめられたように苦しくなった。
 恋。39のおっさんが、恋をしている。字面を思い浮かべると線路に飛び出したくなるほどのインパクトだ。電車の窓に映る隈のとれない目元の、そろそろ髪の腰もなくなりはじめたおれが。

 十月一日。エースと会って一ヶ月、アドレスを交換して約二週間。初めて店の外でエースと会った。
 いつも着物姿しか見ていなかったので、ジーパンにシャツとジャケット、スニーカーといういかにも若者らしいエースの横に並ぶのはひどく気詰まりな気がしたが、「スーツじゃないマルコさんだ!」と細身のパンツに胸元の開いたシャツ、真剣に悩んで決めた濃いめなグレイのジャケット姿に喜んでくれたエースの前にその気持ちは霧散した。そういえばエースの手拭いに隠されていない髪型も初めて見た気がする。少し癖のある長めの前髪がエースが歩いてこちらを見る度に揺れて、愛嬌のある顔を飾っている。
 映画でも見ようかとお決まりな事を考えていたら、エースは「それより一緒に店ぶらついて、お茶飲んで、マルコさんと色々話したい」と提案してきた。流されずにしっかりと意見を言うタイプだと言うことは、店で会話している時にも思っていたが、エースは実にはっきりとした性格をしていた。嫌なこと、やりたいこと、好きなこと、どうしても駄目なことは妥協点を探すこと。マルコのコーヒーに入れる砂糖の量でさえ、希望すればグラム単位で計ってくれそうだった(マルコは外で飲むコーヒーには砂糖を入れる。会社で飲むブラックは、殆ど眠気覚ましだ)。
 マルコは買い物はデパートではなく、エースが好きな店がいいと希望した。「マルコさんは絶対面白くないよ?」と遠慮しながら向かった下町で、銅鍋職人が作る鍋を子供のようにきらきらして眺め(今はまだだめ!と自分に言い聞かせて鍋を棚に戻していた)昭和の卓袱台に乗っていそうな紺地に白い水玉の急須を持ったまま三分以上は固まっていたので店員を呼んで包んでもらおうとしたら、エースは顔を真っ赤にして「えっ、え、いいですよ、自分で買います」とそれでも急須を離さずに首を振るものだから、マルコはついからかいたくなって、エースの耳元で小さく「これはデートなんだろい?買わせてくれよい」と囁くと、エースはぎこちなく体を回転させて店員に急須を差し出した。
「あの……ありがとう、マルコさん」
「どういたしまして」
 エースに喜ばれたのが嬉しくて、エースの下げた紙袋の中で新聞紙にくるまった急須を思い浮かべて胸が高鳴った。人に何かをして、喜んで貰える感覚。幸せで浮き足立って、それでいて目の奥が重く疼くような。

もしこれが全て夢だったら、もう自分は二度と立ち上がれない。



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