だいこん れんこん へいほうこん 3




 客がなければ早くに閉めるが、19時から深夜二時まで。それを聞いたときのマルコの幸福感を一体誰が表現出来るだろうか。
 いざよいの休日は祝日と日曜、盆と正月。ただし仕出しをする場合もあるので不定期に平日に休みを入れる場合もある。ということは、休日出勤を除けば会社帰りにあの店で夕食をとることが出来るのだ。味気ない昼食を無理矢理口に押し込みながらも、マルコはいざよいのおかげで段々と日常に生気を取り戻していった。
 あれから数度通って、あの強烈な見た目の店主の名前はイゾウ、そばかすの青年はエースという名前だと言うことを知った。エースは二十歳で、イゾウは年齢不詳(尋ねると殺されるような気がしたのでマルコは未だそれを話題に出したことはない)。エースは自分の店を持ちたいらしく、昼間は別のフレンチの店で修行しているらしい。着物姿のエースを見慣れていたが、あの白いシャツに黒くて巻いているエプロン(ギャルソンエプロンだとエースに笑われた)も、背の高い彼には似合うだろうと思われた。形式ばったものじゃなくて、気軽に入れて、美味しく食べて貰える店にしたいんだと若者は語り、マルコはその夢を語るエースの笑顔が眩しくて、急に老け込んだ気持ちになってしまった。
「店が出来たら、食いに行きてぇよい」
「ありがとうございます……嬉しいです」
 はにかむエースに見とれそうになっていた所にイゾウがばしんと手拭いの頭をひっぱたき、「鍋!」と火にかけたままの肉じゃが(になりかけのもの)に見習いを引き戻した。いざよいは純和食というよりは、家庭で作る日本の料理というメニューが多い。味噌汁に薩摩芋が入っていたり、南瓜の煮付けに鳥そぼろがかかっていたり、母親が作るような適当なアレンジもたまに取り入れられている。だがそれのどれも、美味しかった。

「ぬる燗つけるかい」
「頼むよい」

 イゾウが一合徳利を鍋に入れ、沢庵を刻み始めた。客はマルコの他に男が3人で、座敷では既に一人が潰れて眠ってしまっている。狭い店内では彼らの小声も筒抜けで、マルコはホッケを解しながらエースの後ろ姿を追った。
 初回から当たりはついてはいたが、ここはやはり少々特殊な店だったようだ。特殊といっても通っているマルコもその一員である。
 つまり、ゲイだ。店主であるイゾウもそうだろうし、エースも多分。座敷の男たちは恋愛相談をしていて、少々重くて現実的な悩みの端々も聞こえている。カウンター越しに置かれた徳利を手酌で傾けながら、これを飲んだら帰ろうと思った。肉じゃがの甘い香りの横で大鍋を洗っているエースの背中をちらと見て、マルコは席を立つ。イゾウに差し出された白い伝票に数枚の札を渡し、ガラスの引き戸を開けた。店内の暖かさとようやく秋らしくなってきた気温の差に、ひとつ身震いして駅に向かおうとした背中に、下駄の鳴る音と「待って」とエースの声がかけられた。

「マルコさん、あの、よかったらアドレス、教えて貰えませんか」

 店明かりに照らされた赤い顔で差し出された型の古い携帯に、なんとなく予想をつけていたマルコは驚くことも無く足を止め、エースと向かい合った。

「……教えるのは構わねぇが、その前に、おれの苦手なものも先に聞いておいてくれるかい?」

 いざよいではエースもイゾウも、マルコに何かを出す前には必ず尋ねてくれた。水菜は好き、春菊は少し苦手だけれども食べられる。どうしても無理なのは茗荷で、一番好きなのは大根。
 おれはエースよりも倍生きてて、それだけ嫌なことも辛いこともたくさんあった。正直に言えば、今はそういった事に対する意欲が少なくて、とても疲れていた。
 エースは真剣に、マルコから目を逸らさずに聞いて、頷いてくれた。アドレス交換はスマートフォンと携帯電話の赤外線の位置がわからずに、結局走り帰ったエースが手書きのメモで渡してくれて、マルコは帰りの電車の中でそれを登録した。さっきも慌てず手打ちで登録すればよかったんじゃないかと思いあたったのは、ホームに電車が滑りこんできた時だ。メモ用紙はエースが焦って破いたせいか端がギザギザしていて、マルコは何故か泣きそうな気持ちになって戸惑う。
 電車の窓には、来月で四十になる中年の、疲れた顔が浮かんでいた。
 







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