だいこん れんこん へいほうこん 2





 破損した台車の足は結局すぐには直せず(車輪のビスがどこかへ飛んでしまっていた)、青年は段ボールを二つの山に分けてビニール紐でしっかりと括り、軽くとはいかないまでも、危なげなく両肩に担ぎ上げた。マルコも手伝うと言う提言は固辞されたが、どうにも不安定だったビニール袋だけは途中で落ちそうになったので段ボールの一番上から下ろして手に提げた。マルコの手の下で揺れる里芋に青年がまた笑いを抑えたのがわかったが、小馬鹿にされたような不快さは無く、むしろこの青年が働く店と食事がどんなものかが気になった。

「ちょっと待ってて下さい、裏から開けますんで」

 小さな雑貨屋や昔ながらの定食屋、最早滅びたと思っていた猫を抱えた老婆がちょこなんと座る煙草屋のある細い通りを抜けたそこに、店はあった。
 彼が鍵を開けておろした暖簾には「いざよい」と染め抜かれていて、他に看板はない。マルコの手にした里芋を受け取った青年が、どうぞ、と中へ招いてくれた。
 引き戸を開ける前から漂っていた出汁と醤油の匂いがいっそう強くなり、もうすぐ炊けると言っていた白米のあげる蒸気で目眩がしそうだった。それほど自分が空腹だと言う事に気がつきもしなかったなんて。
 掃除の行き届いた店内はカウンターがL字に6席、奥に一段上げた座敷テーブルが4席ばかりのこぢんまりとしたものだった。店内を首を巡らせるでもなく眺めて里芋の泥の付いた指をおしぼりで拭っていると「いらっしゃい」と青年のものでない声がかけられ、マルコはうっかり声の主を真正面から見つめてしまった。
「秋刀魚、嫌いじゃないかい」
 はい、と頷いたマルコの前に茶が置いた彼…は、あいよ、と勝手に一人で返事をして食器棚から椀や皿を出し始めた。カウンターからは小さな厨房は全て見えて、いつの間にかそこに入っていたそばかすの青年が秋刀魚をグリルに入れている。マルコの目の前にいる店主らしき彼、は小料理屋の女将と言うには風貌が個性的過ぎる人間だった。長い黒髪を日本髪風に結い上げ、顔には白粉、唇には紅。けれども着物は男物で、それをたすき掛けにして腰には白いエプロンをしている。むしろここまで着たら割烹着でも違和感はないだろうと思う。女装愛好者でもドラァグクイーンでも、おねえ言葉を使うでもない。なんというか、強烈な印象を残す男だ。
 見つめるのも失礼な気がして(既に随分と見てしまっていたが)出された茶を啜る。茶の善し悪し等飲めればいいと思っているマルコでも、その香りと味がスーパーで売っているようなパック詰めのものでは無いことくらいわかった。茶葉から手抜きしない店が不味いわけがない。だんだんと胸の内が浮き足立って来たマルコの前に、店主は小鉢を並べてくれた。ナントカ焼きの美しい小鉢にはやはり、里芋の煮っころがし。漆で艶光する椀に注がれた味噌汁と、蕪の浅漬けの小皿。大ぶりな茶碗には、先ほどまで蒸気を上げていた白米がよそわれて、もわもわと白い湯気を立てていた。
「いただきます」
「召し上がれ」
 味噌汁の椀を抱え上げ、顆粒出汁であるはずがない汁を啜った。いただきますなんて言ったのも子供の時以来じゃないか?けれど言わずにはおれない力がこの飯にはあって、無言の圧力が店主からかけられたのを本能が感じていた。ごくりと喉が鳴って、胃の中へと味噌汁が落ちてゆく。何の出汁だろう。昆布じゃない。鰹のようだけど違う。わからないけど、旨い。
 くはっ、とついた満足の吐息に、店主が今度こそ微笑んだのが見えた。具は大根と豆腐とわかめに分葱を散らしたもので、取り澄ました具なしや一品だけのものでなく、ごちゃごちゃした見た目に好感を持てたし、なにより今まで忘れていたけれども大根はマルコの好物だった。箸で口の中に具をかき入れてから茶碗を持ち、蕪をかじる。淡い塩加減と蕪のコリコリした食感は腹に燃料が注がれた気がしたし、実際食べているのにマルコの空腹感はこの時加速したように思う。里芋はねっとりと甘く、何個でも食べられそうな気がした。秋刀魚の焼ける匂いにこれまでずっと干からびていた唾液がどんどん溢れ出し、「蓮根のきんぴらは?」「いんげんは好きか」と店主が勧めるままに平らげて、秋刀魚が焼けたと同時に白米をおかわりした。学生の頃はどんぶり飯3杯は余裕でいけたが、大人になって、特に勤めだしてからはどんどんと食べる量も減り、四十にリーチのかかった今はもう脂ものも苦手になって来た。その腹のどこにこの食べ物が入っていくのか、マルコは自分でも不思議だった。

「だいこんおろしはかける派?」

 秋刀魚を置いてくれたのは、そばかすの青年の方だった。美しく焼き色のついた秋刀魚はまるまると太って艶々と光りながら脂を弾けさせていて、マルコは頷いたあと、はっと気がついた風に「たっぷり」と付け足した。青年は何故だか嬉しそうに「はい」と微笑んで、その場で摺った大根をたっぷりとかけてくれた。
 これも自家製なのだろうすだちの香りがするポン酢を回し掛けて身をほぐし、口に入れた大根はマルコの好みを知っているかのような辛口だった。食べ尽くすのが惜しい程に旨いけれど、おかわりの白米もあっと言う間になくなってしまって、流石に腹が満ちてきた。今から客が入るのだろう店に、いつまでも居座るわけにはいかない。
 店主がお茶を出してくれた所に、マルコは「この店は、何時まで開いていますか」と尋ねた。



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