REUNION 5




 マルコが目を覚ましたのは、まだランプが必要ない程度の夕闇が訪れ始めた時間だった。体にはいつのまにか上掛けがかけられていて、自分の体温で温まったベッドから後ろ向きで降りて靴を履いた。爪先に少しだけ違和感を感じたが、誰もいない部屋で不安に襲われたマルコは急いで大きな扉を開けた。
 甲板へ出ると、昼間のような大勢の男達がひしめきあう姿はなく、かわりにどこからでも分かる程存在のおおきな白ひげの姿が見えた。中央に誂えられた椅子に腰を下ろし、数人と何かを話している。夕日に照らされた長い髪が炎の色をしていて、マルコはしばしそれに見とれていた。ものの数秒だったろうその視線に、白ひげは顔を上げて首を巡らせてマルコを見た。真っ直ぐに見つめられたマルコは少しだけ体を硬くしたが、白ひげが笑って手招くのに従った。拾われた時も、名前をくれた時も白ひげに害を受けたことはなかったし、なによりこの大きな船の一番上の男に逆らう思考はマルコには無い。
 小走りで足元に寄ってきたマルコに向かって上体を屈めた白ひげが、マルコの頭のてっぺんから爪先までを見下ろした。

「大分顔色はいいな。ちゃんと食って寝たか」
「……いっぱい食べて、さっき、起きたよい。あの、クロコダイルが、寝てろって」

 頷こうとしてマルコは返答をしなければと思い直し、眠った事を咎められるかと理由を付け足した。だが白ひげはそんなことは全く気にしていない様子で奇妙な笑い方で空気を揺らした。

「そうかそうか、クロコダイルの奴め、生意気に文句垂れながらちゃんと面倒見てるようだな。大体はサッチから聞いてる。マルコ、おれにもちょっと不死鳥ってのを見せてくれ」

 マルコと呼ばれ、望まれて嬉しくなったマルコは体を変化させ、羽ばたいてみせた。炎の粉が散って、白ひげが綺麗だと褒めてくれて、マルコはなんだか今なら飛べるような気がした。

「飛ぶのは練習中だってな?滑空くれぇは出来るか?」

 知らない言葉にマルコが細い首を傾げると、白ひげは太い腕を広げて、そのまま翼を動かさずに飛ぶ真似をした。白ひげの子供のような仕草に周囲の男達が笑いがさざめき、マルコは一度も飛んでみたことがない事を話した。白ひげが手に乗れと言うので言われるままに乗ると、白ひげは手を水平にして高く掲げた。そこは海と空の境目が鮮明に見える高さだった。水平線という言葉を、マルコは知らない。ただ茜色の海が、とても綺麗だった。

「高ぇとこは怖くないか」
「怖くないよい」

 足で白ひげの指にとまり、マルコは翼を広げた。そうすることが、とても自然だった。眼下の男達が散開し、どこでもいいから飛んでみろと手を広げた。落ちそうになったら、受け止めてやると手を、広げた。
 マルコは温かな白ひげの指を、とん、と蹴った。広げた翼に、顔に、全身に風を感じた。風はなくとも、今は自分がそうだった。鳥とは、そういう生き物だということをマルコは直ぐに理解した。ぴんと翼を伸ばして、手を広げてくれている男達の頭上を通り過ぎる。大きな船の甲板の終わりがあっと言う間に見えて、マルコはこのまま飛んで行きたいと脳裏に思い描いた。それは、本能として備わる空への渇望。マルコが知らぬ衝動だった。止まらぬマルコを、男達が慌てて追いかける。夕闇の消えかけた海が迫っていた。
 ふわりと風が吹いた。逆光の中で、マルコの向かう船縁、何もなかった場所にあっと言う間に人の形が出来上がった。
 ――まだ、飛べない。
 雛の備える危険信号。その先は、親鳥の見守る領域ではない。
 マルコは水平に保っていた翼を傾け、前面からの空気の壁を受けた。加減を知らぬ雛鳥は急速に高度を失い、落下しそうになる体をどうにか羽ばたいて持ち上げようとした。マルコは海へ落ちてはいけないのだ。落ちれば死んでしまう。
 夕日の道が消えかけた海へマルコの軽い体が船縁を超えたと同時、視界が濁った砂色に変わった。マルコは咄嗟に身構えて目を閉じた。けれども体が落下する感覚はなく、恐る恐る目をあければ、砂色が晴れた先に沈む瞬間の太陽があった。足の裏には柔らかい毛皮がある。そして、嗅ぎ慣れてきた煙の香りが、潮風に紛れた。

「クロコダイル隊長!よかった、次からはもっと気をつけます」

 男達が、マルコを見上げて謝る。マルコの横には、葉巻を咥えたクロコダイルの顔が。マルコは、クロコダイルの肩にいつのまにか留まらされていた。

「すまんなマルコ、無理をさせた」

 遠くから白ひげのよく通る声がして、マルコはふるふると首を振った。クロコダイルはそのまま歩き出し、マルコはこのままここにいてもいいのだろうかと考えた。けれどクロコダイルは甲板を通り過ぎ、食堂や倉庫に続く廊下を大股で進み、マルコを下ろす素振りもない。炎を纏ったよくも悪くも目立つマルコを、すれ違う男や若い女たちが皆振り返った。

「マルコ」

 耳元で、聞き逃し様もないクロコダイルの声がマルコを呼んだ。咎める響きはなく、マルコは黄色い嘴を、そっと彼の耳元へ寄せた。

「飛ぶのは、日があるうちにしろ」
「……わかったよい」

 クロコダイルのがマルコを気にかけてくれていることを、マルコはこの時こそ確実に理解し、受け止めた。羽の付け根がなんだか酷くむずむずする感覚がして、目の前にあるクロコダイルの耳や頬に顔を擦りつけたくてたまらなくなり、マルコは酷く困惑した。
 少し位ならいいだろうか。マルコの行動は、クロコダイルの視界に確実に入っているし、駄目なら睨まれるだろう。クロコダイルは、殴らないとマルコに云った。
 マルコは、クロコダイルの耳に寄せていた嘴をそっと下げ、一瞬だけ柔らかな頬の羽毛をクロコダイルの頬に触れ合わせた。きゅっと首を竦めて肩の上に縮こまったマルコに、クロコダイルは一秒にも満たぬ時間、金色の瞳を向け、再び前に向き直った。
 食堂で待つサッチと、何度かクロコダイルと一緒に居るのを見かけた男の前に辿りつくまで、マルコは肩から降りろとは言われなかった。





2011/02/27

 

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