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「#エロ」のBL小説を読む
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 鏡を見るのは今日だけでも何度目になるだろう。髪飾りをつけては直しを繰り返して、私は静かにその時を待つ。……はあ、ドキドキする。だって今日は、二週間ぶりにあの人が家にやってくる日なんですもの。

「こんにちはー!」

 き、来た……!よく知る声が響いて、心臓が煩いくらいバクバクと音を立てる。落ち着くのよ名前、こういう時こそ平静を装わなければ……!気持ちを落ち着かせるため、私はふうと息を吐き出してから声のする方へと向かった。

「遅いじゃないのよ炭治郎、今何時だと思ってるの」

 ああ馬鹿馬鹿、こんな事言うはずじゃないでしょうが!

「ごめんなさい名前さん。途中で産気づいた女性を見かけて産婆の所へ送り届けていたら、すっかりこんな時間になってしまって…」

 どれだけ良い人なのよもう!私は心の中で手拭いを噛み締めては何度も地団駄を踏んでいた。

「言い訳はもういいわ。それより早く裏口まで炭を運んでくれない?」
「はい!あ、裏口の場所ならわかってるんで名前さんは家の中にいて下さい」
「え?」
「今日はなかなか冷え込んでるんで、名前さんが風邪でもひいてしまったら大変です」
「でも」
「じゃ、俺が外に出たらすぐに扉も閉めて下さいね!」
「ちょっ……炭治郎、」

 私が何か口にするよりも早く、炭治郎はさっさと裏口から外へと出て行ってしまった。風邪をひいたら大変って……それは貴方にだって言えることじゃない。自分も手伝おうと予め準備していた丹前や蓑は、役目を果たす前に早くも出番を終えてしまった。……ううん、うじうじ落ち込んでいる暇などないわ!数々の暴言と無礼な態度を少しでも挽回したいと思った私は、彼がいない隙を狙って熱い茶と自分のお小遣いを切り崩してまで買ったややお高めの和菓子をいそいそと準備するのだった。



「はあ、暖まるなぁ。名前さん、わざわざ用意してくれてありがとうございます」

手と鼻先を真っ赤にして戻って来た炭治郎が嬉しそうに茶を啜るのを見て、私はようやく胸を撫で下ろす。

「……別に。私も飲みたかっただけだから」
「そういや名前さん、前に話した弟の六太って覚えてます?あいつ、この前やっと俺のこと兄ちゃんって呼んでくれて!まだ他の言葉はそんなに話せないんですけど、兄ちゃんだけはちゃんと言えるようになったんです。へへ、俺も禰豆子もそれはもう大喜びで──」

 炭治郎は家に来ると決まって色んな話をしてくれる。話題の九割以上は彼の家族の話で、残りは天気だったり、最近巷で話題の甘味処の話だったり。他愛のない会話でも、相手が炭治郎となるとその意味合いは大きく変わってくるから不思議である。

「それで六太のやつ、この前庭で派手に転んじゃって……」

 饒舌な炭治郎をチラリと見ては、恥ずかしさのあまり即座に目を逸らす。それを何度か繰り返していると、ふと炭治郎の頬に炭の跡が付いている事に気付いた。

「炭治郎、ちょっと動かないでね」
「えっ?」
「……んー、しぶといわね」

 濡らした手拭いでその部分を重点的に擦ってみるが、なかなか綺麗に落ちない。更に身体を近付けると、その瞬間、炭治郎がひどく慌てた様子で後退りをしたので私はつい呆然としてしまう。

「名前さん!あの、もう大丈夫ですから!」
「え?でも」
「……あとは自分でやりますから!」

 そう言うと、炭治郎はガシガシと乱暴に顔中を拭いていく。まるで火を起こすかのような勢いだ。……変なの、急にどうしたというのだろう。流石にもう汚れは落ちたと思うけど、力一杯擦り過ぎたせいで顔全体は真っ赤に染まっていた。

「あら、炭治郎ちゃん来てたのね」

 そこへ、買い物に行っていた母さんが私たちの前にひょっこり姿を現した。呼び方からわかるように、母さんは私と同様に炭治郎のことをえらく気に入っている。

「あっご無沙汰しています、お母さん。今名前さんから美味しい茶と和菓子をご馳走になっていたところなんです」
「へえー普段来客があっても菓子どころか茶も淹れないあんたがねぇ…」
「そ、そんなのたまたまだってば!」

 母さんったら……万一この気持ちがバレてしまったらどう責任を取るつもり?!相変わらず悪い笑みを浮かべる母さんと言い合いを続けていると、炭治郎の鼻がピクリと動いた。

「……名前さん、お母さん、俺そろそろお暇しますね。御馳走様でした」
「やだわ、もう帰っちゃうの?折角だから夕食も食べて行けばいいのに。ねえ、名前?」
「すみません、あまり遅くなると家族が心配するんで…。あっそうそう、もうすぐ雨が落ちてくるので洗濯物は早めに取り込んだ方がいいかもしれません」

 それでは失礼します、と再度お辞儀をしてから、炭治郎は私の家を後にした。つい数秒前まで顔を合わせていたのに既に寂しいと思ってしまうなんて……私もなかなかの重症である。
 窓に目をやると先程までは雲一つ無かった空にうっすら灰色の雲が広がっていき、それから間もなく雨がポツリポツリと落ちてきた。まるで私のようだわ、なんて思ってしまう程、私はいま恋に焦がれている。







「実は、しばらく街に下りて来るのが難しくなりそうなんです」

 十日後、せっかく炭治郎に再会できたと思った矢先、こんな言葉を投げかけられて手にしていた湯飲みを落としそうになる。

「えっ、な、なんで?」
「ここ数日、母の体調が思わしくなくて。医者は過労が原因だろうと言ってたんで、回復するまでは家で炭作りに専念しようと思ってるんです」

 そっか。とても残念だけどそんな事情があるなら仕方がない。

「お母様、早く良くなるといいわね」

 何気なく呟いた言葉に、炭治郎はこぼれ落ちそうなほど目を大きく開いた。

「優しいんですね、名前さんは」
「……は?優しい?私が?」
「はい。会ったこともない俺の母を気遣ってくれるなんて、優しい人にしかできないことじゃないですか。ありがとう、名前さん」

 ううん、違うの炭治郎。勿論貴方のお母様の事は心配よ。心配だけれど、お母様が元気になったらまた貴方が山から下りて再び私の元へ顔を出しに来てくれる。そんな下心ありきの薄っぺらい発言をしてしまったことが恥ずかしくて、情けなくて。私は只々下を向いて拳をぎゅっと握りしめることしかできなかった。

 言葉通り、それから長いこと炭治郎に会えない日が続いた。暦を見てみれば今日でもう丸三週間だ。こんなに姿を見られなかったのは初めての出来事で、それだけでも私にとっては身が削られるような思いだったのに、更に追い討ちをかけたのが、

「おっ、お見合い…?!」
「ああ。名前も良い年頃なんだし、そろそろ身を固めるのも悪くないだろう」

 まるで暖かくなってきたんだし外で花見をするのも悪くないだろう、と言わんばかりの軽い言葉だ。父さんは杯を片手に淡々と話を続ける。

「父さんの知り合いに森田さんという人がいてな、ご子息の大和さんが今年十八になったそうなんだ。……聞いた所なかなかの色男らしいぞ」

 へえ、そうですか。色男だろうと何だろうと関係ない。そこいらの男が束になったって結局は炭治郎に敵いっこないのだ。

「なんだ、もっと喜ぶかと思ったのに。もしかしてお前、誰か良い人でもいるのか?」
「え?……いるわけないでしょ。そんな人」
「だったら話は早いな!早速明日森田さんと話をしてみよう」

 いやー良かった良かった、と上機嫌で酒を煽る父さんの横を尻目に、私は静かに人生の終わりを感じていた。私だってもう十六だ、いずれ自分の身にもこういった話が舞い込んできたっておかしくない。そんなこと自分でもよく分かっていた。……それなのに。
 視界から色という概念が消え去って全てが白黒に見えるのは一体どうしてなんだろう。

 翌日、鏡を見ると笑ってしまうほど醜い顔がそこにはあった。妖怪宛らの顔を見れば大和さんとやらも一目散に逃げ出すことだろう。結局あれから一睡も出来なかった私は特に何かする訳でもなく、ぼうっと天井を見上げてだらだら過ごしていた。時々、炭治郎の事も考えながら。
 人生に於いて一番後悔しているのはいつだって素直になれない事だった。こんな性格だから親しい友達もできなかったし、そもそも誰かと知り合うのすら煩わしいとさえ感じていた。……そう、炭治郎に出会うまでは。


「こんにちはー!炭はいりませんか?」
「……誰?あなた」
「あっすいません。俺、竈門炭治郎といいます。炭売りをしていて、たまにこの辺りを回って歩いてるんです」
「そう」
「……」
「…… 」
「……天井、」
「え?」
「天井、雨漏りしてるんですね」
「?ええ、そうだけど……」
「ちょっと見せてもらってもいいですか。俺、こういうの直すの得意なんで」
「は?ちょ、ちょっと…!」
「大丈夫、すぐに終わりますから!」

 得意と豪語するだけあって、屋根の修繕はほんの十分足らずで終わってしまった。す、すごいわ。この子より背が高い父さんでも今まで上手に直せないでいたというのに。御礼に炭をいくつか買った方がいいのかしら……あっでも母さんに聞いてみないとお金の場所もわからないし。そんなことを考えていると、炭治郎は身支度をして今にも帰ってしまいそうな様子だったので私は急いで彼の前で通せんぼをした。

「ちょっと!あなた炭売りなんでしょ?屋根だけ直して帰るなんて、そんな馬鹿な話……」
「え、でも裏口の扉の前に炭がまだたくさんあるのが見えたんで」
「いや、でも」
「だから炭はまた今度売りに来ますね!それじゃ、失礼します」

 そして、本当にそのまま帰ってしまったのだ。ちょっと強引だけど明るくて、誠実で、底抜けに優しくて。自分と対極の炭治郎に恋心を抱くまでそんなに時間はかからなかった。
 もしも、もしもの話だけど、私が早い段階で炭治郎にこの想いを伝えていたら今頃人生はどう変わっていたのだろう。父さんが余計な気を利かせてお見合い話を持ってくることなんてまずなかったし、もしかしたら炭治郎だって、その、私のことを……。頭の中を巡るのはそんな絵空事ばかりだった。

「ごめんくださーい」

そうそう、この声。透き通っていて大好きだったなぁ……って、え?

「あのー竈門ですけど……どなたかいらっしゃいませんか?」
「!!」

 幻聴では無かった。ま、まずいわ。会いたい気持ちは山々だけど、こんな姿は絶対見られたくないし、見せたくもない。
 一人で慌てふためいていると、運悪く敷きっぱなしだった布団に足を引っ掛け、そのまま派手に転んでしまう。当然、その音は炭治郎の耳にも届いていた。

「名前さん!?大丈夫ですか!?」
「……ええ、ただ躓いちゃっただけだから」
「そう、ですか」
「……」
「……」

 薄い扉を隔てて言葉を交わす私たちに、長い沈黙が流れた。ねえ炭治郎、私……私ね、

「……名前さん、今度お見合いするんですね」

 沈黙を破ったのは炭治郎だった。どうして知ってるのか尋ねると、ここに来る途中名前さんのお父さんに会って、それで……と歯切れの悪い答えが返ってきて私はまた押し黙ってしまう。
 人の良い炭治郎の事だ、次に出てくる言葉はおめでとうございますか良かったですねの二択に決まっている。……私にとってはおめでたくも何ともない事なのに。

「名前さん」
「……なに」
「……嫌なんですか、お見合い」

 予想外の言葉にハッと声が漏れた。そうよ、嫌よ、私にはもう心に決めた人がいるんだもの。

「……仕方が無いでしょ、親同士が決めたことなんだから」
「……それはそうですけど、でも」
「もういいんだってば!……お願いだから、私のことなんてもう放っておいてちょうだい!」

 荒々しく投げつけた言葉に、炭治郎は「……わかりました」とだけ呟いて家を出て行ってしまった。終わった、本当にこれで終わってしまったんだ。天から与えられた最後にして最高の機会を無駄にしてしまい、幸せになる術を全て失った私はようやくここで涙を流すのだった。
さようなら。そして、ありがとう。炭治郎。





 それからお見合い当日まで自分がどのように過ごしてきたのか正直よく覚えていなかった。ご飯も美味しくなければ、初雪だって美しいと思えない。まだ十代だというのに、なんてつまらない人生なんだろう。普段は箪笥の奥に大事にしまってある他所行き用の着物を身に纏い、鏡を見ながら紅を引いていると、浮かない顔をした母さんと目が合った。

「……ねえ、本当にいいの?名前」
「なにが」
「お見合いの事よ。貴女、炭治郎ちゃんのことがずっと気になってたんでしょう」
「……」
「ほら、父さんってそういうの疎いじゃない?もし嫌なら今からでも──」
「……ありがと母さん。でももう、大丈夫だから」

 人間の身体というのは面白いもので、あれだけ脳内と心を支配していた炭治郎の存在は日に日に薄くなっていた。というより、これ以上どうにもならないという諦めの気持ちが自然と記憶に蓋をしてくれていたのかもしれない。大事なものを失った私に、こわいものなど何もなかった。

「おおっ名前もこうして見るとなかなかじゃないか。さあ、森田さん達が待っていることだし早く出発しよう!」

 意気揚々と先頭を歩く父さんと、暗い顔の母さん、そして心が空っぽの私。待ち合わせ場所の料亭に着くまではずっと父さん一人が口を動かしていたが、到着するとその口数は自然と減っていった。なんで父さんがガチガチになってるのよ、もう。

「あの、森田さんと待ち合わせをしている苗字と申します」
「苗字様ですね、お待ちしておりました。ただ今ご案内させていただきますね」

 女将さんに案内され、用意されていた一室へと足を運ぶ。梅の間とかかれたその部屋には既に森田さん一同が待機していおり、私たち家族も向かい合わせで座わる形となった。

「貴女が名前さんですか。初めまして、森田大和と申します」

 大和さんと目が合った。くっきりした目鼻立ちに加え、柔らかそうな笑み。第一印象は特別悪いものではなかった。
 さて本日はお日柄も良く──とお決まりの台詞から始まり、食事も一通り済んだところで、後は若いお二人で──とこれまた常套句を最後に両家総勢のお見合いは無事に幕を閉じた。

「さ、名前さん。行きましょう。僕ちょっと良い場所を知っているんです」

 大和さんに続き、うっすら雪が積もった道を二人で歩いて行く。……寒い、退屈だわ、早く帰りたい。特に会話という会話もせずに歩いていたので、私は頭の中でその三拍子をひたすら唱え続けることにした。しかし、かなりの数を数えたにもかかわらず大和さんは一向に止まる気配を見せない。……これってただの散歩じゃないの?人通りも少なくなってきたところで、私はやっと大和さんに言葉をぶつけてみた。

「大和さん……あの」
「何だい?」
「どこに向かっているのか知りませんけど、そろそろ戻りませんか?なんだか身体も冷えてきてしまいましたし……」
「──そうか。なら話は早い」
「えっ?」

 さっきまでの柔かな笑みは、どこに消えてしまったんだろう。右側の口角だけつり上げた大和さんは今にも崩れそうな小屋に私を連れ込み、そして、抵抗する間もないほど速く畳の上に身体を投げつけられた。

「な、何するのよ!やだっ離して!!」
「おいおい、こんな場所までのこのこ付いてきてそれは無いんじゃないのか?」
「な……それはあんたが勝手に連れて来ただけでしょ!?」
「ふん、父上から聞いたぞ。お前こういった経験はまだ無いんだってな?安心しろよ、俺が一から手解きしてやるからーー」
「はあ!?ふざけんじゃないわよこの色魔が!!」

 咄嗟に振り上げた掌が大和さんの頬を直撃し、大和さんはその箇所をそっと撫であげる。しまった、と思った時にはもう手遅れだった。

「……ってえな、何すんだよ!」

 そして、大きな握り拳が私の顔を目掛けて勢いよく振り落とされる。「……っ」ギュッと目を瞑り、歯を食いしばると鈍い衝撃音だけが私の耳を掠めた。……あれ?今殴られたはずじゃ……。いつまで経ってもやって来ない痛みに疑問を覚えた私は、そっと瞼を開いてみる。すると、そこにはありえない光景が広がっていて私は完全に言葉を失ってしまった。

 ……いる、炭治郎がいるのだ、私の目の前に、あの炭治郎が。

「炭治郎……?」

 絞り出すように名前を呼ぶと、炭治郎はゆっくりこちらに顔を向ける。

「大丈夫ですか、名前さん」

 なに言ってるのよ、頬に殴られた痕をつけてるくせに……。本物の炭治郎を前にして、今まで抑えてきた感情が止め処なく全身を駆け回って鼻の奥がツンと痛くなる。

「だ、誰だお前…!?」

 やだ、もう一人居たのをすっかり忘れていたわ。突然登場しては怯むことなく距離を詰めていく炭治郎に、大和さんは少なからず困惑しているようだった。

「俺ですか?竈門炭治郎といいます。誰だか存じ上げませんが名前さんのことを傷つけようとするなんて許せない……絶対に、許せない!」
「はあ?餓鬼が偉そうに何言ってんだか!……まあいいさ、続きはまた今度だ。ほら、行くぞ名前」
「!名前さんのこと、気安く名前で呼ぶなーっ!!!」

 大和さんが振り返るのと、炭治郎が勢いよく額を叩き付けたのはほぼ同時だった。ゴツッという音と一緒に、大和さんは白目を向いてゆっくり後ろに倒れていく。

「行こう名前さん!」
「……うんっ」

 差し出された右手に自分の手を重ね、私たちはそのまま小屋を飛び出した。──これは、夢?ねえ、夢じゃないのよね?涙で視界が歪み、うまく前が見えない。私、知らなかった。泣きながら走るのが、こんなにも苦しいなんて。

「名前さん、もう少しです!頑張って!」

そして、好きな人と繋ぐ手は、こんなにも温かいなんて。






「ごめん、炭治郎……私もう、走れない」

 大きな池の畔まで来たところで、ようやく炭治郎と私は走るのをやめた。「名前さん、こっち」と、炭治郎が偶然見つけた長椅子に二人並んで腰掛ける。疲れているのは私だけかと思いきや、炭治郎も密かに肩を上下させて息を整えていた。

「ねえ、炭治郎」
「……はい」
「……手」
「手?……わわわわすいません!俺としたことがついうっかり!!」
「ち、違うの!離してほしいとかそういう意味じゃなくって、」

 私ったら何を言ってるのかしら。恥ずかしさでその後の言葉を噤んでいると、炭治郎の手が再び私の手をそっと包み込んだ。

「……名前さん、お願いですからもうお見合いなんてしないでください」
「……そりゃ私だって本当はしたくなかったわよ。でも」
「俺じゃだめですか」
「……え」
「……俺なんかじゃ、名前さんの相手になりませんか」

 驚きのあまり口をぱくぱくさせる私に、炭治郎は容赦なく次なる爆弾を投下してくる。

「俺、ずっと名前さんのことが好きだったんです。お見合いするって聞いたときは落ち込むに落ち込みましたけど、何だか名前さんも乗り気じゃなさそうな匂いがしたので──」
「待って、乗り気じゃなさそうな匂いってなに」
「ああ、俺鼻が利くんです。だから名前さんがいつも怒ったような口調で話してても本当は全然怒ってないこととかむしろ申し訳なさそうにしているのとか、全部わかってました」

 なんということだ。今までひた隠しにしてきた気持ちは最初から全部御見通しだっただなんて……。

「で、今日山から下りてみたら街で偶然着飾った姿の名前さんを見つけたんです。そしたら居ても立ってもいられなくなって、つい」
「後をつけてたってこと?」
「……行き過ぎた真似をしてすいませんでした」
「……いや、それは別にいいんだけど」
「でも、あんな奴駄目です。絶対に駄目です。ちょっとハンサムだからって名前さんに乱暴な真似をして、挙句の果てに……暴力まで……!」
「ちょっ、落ち着いて炭治郎!私も炭治郎のことずっと好きだったんだし、お見合いの話はあとで父さんに全部話して無かったことにしてもらうから──」
「……名前さん、それ本当ですか」
「?当たり前でしょ、あんな裏表のある男こっちからお断り……」
「そうじゃなくって!……今、俺のことがずっと好きだった、って」
「……あ」
「……それって本当なんですか」

 勢い余って飛び出した言葉に、今度は炭治郎の方が信じられないといった顔をしている。悪いけど私だって信じられないのだ。長い間胸の中で育ててきた想いが、まさかこんな形で当人に伝わってしまうだなんて。

「……好きじゃなかったらこんな風に手を繋いだりしないわよ」

 可愛げがないことくらい重々承知だった。仕方ないじゃない、これが限界なんだから。

「……あと、ありがとね。さっきは助けてくれて」
「!名前さん……」
「……何ニヤニヤ笑ってるのよ」
「へへへ、だって俺、今すごく幸せですから」

 季節が移り変わっていくように、空っぽで冷え切っていた私の心にもようやく春が訪れた。

「……甘いわね炭治郎、私はすごくすごーく幸せよ」
「あはは、じゃあ俺はすごくすごくものすごーく幸せです!」


春が来るのはあなたのせいです

(2020/04/30)