日記未記入分!


あるんだ、鳥(ほしうみくん)が人(星海くん)になること。
漸く出血のおさまった鼻を摩りながら、改めてその姿を舐め回した。鳥だった頃のもちもちふわふわの面影はどこへやら。ソファに腰掛けた彼はしなやかな筋肉を鎧う腕を組み、小柄な体躯(禁句)に関白亭主さながらの貫禄。立ち上るスターのオーラを隠しもせず、本来愛らしいとも言えよう童顔(禁句)の顔立ちを、その鋭い眼光によって精悍な印象にさえ昇華させていた。元同級生且つ筋金入りのヲタクの目から見ても紛うことなき、正真正銘、シュヴァイデンアドラーズ16番の星海光来選手だ。なんなら彼がいま身につけているトップスはまさにそのアイデンティティを示すレプリカユニフォーム。私が自分で着る用の他にもう一枚買って飾ってた星海選手ジャストサイズの方だった。何故わざわざそんなん着せてんのかってそりゃ、鳥から人へと変じた彼に自前の衣服があるはずもなく……やべ、また鼻血が。
「……鼻血はもう大丈夫か?」
「ぁい」
また出そうなどと言えようはずもない。既に幾千回と噴き出たこの真っ赤な間欠泉のせいで、鳥化などという超常現象から帰還した神秘の男性の話の腰はバッキバキの複雑骨折となっていた。流石にこれ以上はまずい。血管の具合が芳しくない鼻での呼吸を諦め、喉奥から潰れた蛙の声を絞り出す私を、しかしなんと当然ながら彼は訝しげに見つめた。その少し眇めた目付きにめちゃくちゃ弱い女がいるとも知らず。あああどうしよ鼻血出そう嫌われたくないのに。この圧倒的に不利な膠着状態から抜け出すべく、なんか、なんか言わなくては。
「あ゛の……それで、じゃあ牛島選手なんかは、牛にな゛るってことですか?」
「……いや、あの人もなんか鳥だった気がする。鷲だか鷹だかで……日向翔陽はカラスだったな」
「アッ、なるほど鳥人間コンテスト的な……?(?)」
「…………前から思ってたけどお前って」
あ、すごい。バカを見る目をしている。散々中断させてしまった分、せめてこれ以上彼の手を煩わせないよう話を引き継いだつもりが逆効果だったようだ。
星海くんがツッコミに疲れた“無”の顔で口を閉ざしてしまったので、その隙に改めて先ほど聞いた件を整理してみる。まずもって一番のびっくりポイントは、この動物化という現象が実のところ星海くんの周りでは近頃頻発しており、然程珍しいもんでもないということだ。無論そんなことを公表すれば社会を混乱に陥れかねないというんで一般には認知されていないが。……そんな怪奇現象が日常になってるとかVリーグ界隈魔境すぎない?妖怪世代ってそういう?
聞けば星海くんのチームメイトである影山選手、他にも代表で一緒だった木兎選手とかも鳥化を経験しているそうで。なんか宮選手だけ狐だったらしいけど。異色の哺乳類。……そのうち白馬くんがなるとして、ワンチャン馬の可能性が?
「でももし白馬くんが鳥になったら見てみたいかも。ほしうみくん本当に可愛かったから」
「次は佐久早辺りじゃないかって予想が大半だったんだけどな。また福郎さんを儲けさせちまったぜ」
「あ、賭けとかやってるんだ」
「まあそんくらいよくあるってことだよ。俺だって暫くここに住んでたわけだけど、特に行方不明者扱いにはなってなかったろ」
確かに。私は星海くんに待ち合わせをすっぽかされた後、アドラーズ公式ページに齧り付いた日々を思い出してうんうんと頷く。いきなり連絡がとれなくなったので星海くんの身に何かあったのではと心配したのだが、安否に関わるようなことなど話題にも上らず、結局自分が嫌われるようなことをしてしまったのだと自己完結して塞ぎ込んでいたのだった。
「ん?でも、チームの方で事情が分かってるならそのまま保護してもらった方がよかったんじゃないの?鳥になったのって練習中だったんだよね?」
「いや、元に戻るためには一度離れた方がいいらしい。まだ仮説って段階だけど、大体のやつがそれで治ってる」
「怪奇現象なのにもはや治療方法まで確立してるんだね」
「おう。そもそもオーバーワークかなんかが原因で発症するっぽい。で、治すには頭ん中から一瞬でもバレーのことがなくなればいいって説が有力なんだよ」
「へえ。じゃあ、星海くんが戻っ、た…のは……」
「さっきのキスだな」
コントさながら、私はスツールから転げ落ちた。そのままフローリングを窪ませる勢いでヤムチャみてえにぶっ倒れる。賃貸につき原状回復費用が気になるところだ。が、もっと気になるのは星海くんの心情である。え、あんな事故のことキ……え、そもそも鳥だからノーカンだと思ってたのになんでそんな破廉恥な言い方!??
奇声を堪えている私を呆れた表情で見下ろす星海くんの、「動揺しすぎ」の言い方がたいそう良くて、私はますます身悶える。冷たイイ。頭上から溜め息が聞こえた。
「あのなあ、お前がそんなだから俺が鳥になってるって安易に教えてやれなかったんだぞ」
「えっ」
「普通なら選手が事前に申告してる預かり先候補にはチームから連絡いくようになってんだよ。俺もバレーのこと忘れるならお前のとこが早そうだと思って指定してたけど、鳥化の件は通達せずに家の前に置くだけでいいって伝えてあった。なんでだか分かるか?」
「な、なん……意地悪?」
「ばか」
いきなり衝撃的な事実を明かした星海くんは、更なる衝撃で私の精神を吹き飛ばした。「ばか」。端的な暴言にも聞こえるたった二音、その中に含まれるとんでもねえ情報量。言葉通りに呆れているような、怒ったような、ちょっと拗ねたような、それでいて慈しむように優しげな……味覚で言えば基本味五味全てをひと匙で網羅するかの如き。今日びシチュエーションCDでもここまでの完璧ボイスはあるまい。その声をコンマ数秒の間に数千回とばかりの勢いで脳内に反芻するうちにふと思い至る。こんな情の籠められた声、これじゃあまるで……まるで……。
私は全力で自分の顔面をぶん殴った。
「痛ぁッッッ!!!」
「あ、おい何してんだよ!」
「惑わされない!私は!惑わされない!」
慌ててソファから立ち上がった星海くんが延ばす制止の腕を掻い潜り、私は転がりながら逃亡を試みた。が、所詮は寝転びローリング一般女性と五体自由なスポーツマンだ。はなから勝負になるはずもなく、あっさりと取り押さえられる。その体勢がまたよろしくない。これ以上暴れられないようにと両手首を拘束され、逞しい脚を檻代わりとばかりに、腿の辺りに軽く跨られている状況は。
「は、漸く大人しくなったな」
「うぅ」
「ったく、そういうとこだ。鳥が俺だって分かったら、お前ぜったい変なことになるもんな」
「へ、変なことって……」
「昔っからそうだ。他のやつの前では俺のこと好きだとか恥ずかしげもなく触れ回るくせに、ちょっとこっちから迫るだけで泡吹いて気絶したり露骨に距離とったりしやがって」
「あわわわわわ」
言いながら、星海くんは尚も眼球を地球儀感覚でギュン回している私に苛立ったように顔を寄せてくる。まっすぐな視線とかち合って、息が詰まった。まずい。先程ちらついた、許されざる妄想に再度色がつきそうになる。
「お前の準備ができるまで待つつもりだったし、実際待った。でも、もういいんだよな?」
「い、いいとは……?」
「俺に告るつもりだった、つったろ。泣いてた日」
「いやいやいやあの時はどうかしてて……確かにほしうみくんには言っちゃったかもだけど……ぬ、盗み聞き……!」
「盗み聞きじゃねえよ。あれも俺だ。……ずっと見てた」
星海くんの手のひらが私の手首を解放し、先ほどのセルフ顔面パンチで無様に腫れているであろう頬をなめらかに撫でる。……もし心臓壊れたら昼神くんって人間は診てくれるんだろうか。ときめきの過剰摂取の果てに思考が暴走を始める。ほら、人間だっていちおう動物だし。私だって女だし。この程度の距離感、星海くんがほしうみくんだった時に何度も、なんなら私からやってたし、って、ああああ。大混乱思い出し羞恥ブラザーズ。
「ほ、星海くん?あのぉ」
「なんだよ」
「ちょ、ほんと、ね?は、はな、鼻血出ちゃうから」
「そうだな。他に言い残すことは?」
いやそれ遺言じゃん。ずいずいと遠慮なく距離を詰め、もはや一切の手心なく仕留めにくる彼に私もとうとう白旗をあげる。思えば鳥の姿をしていたときも、彼は決して要求を譲歩しなかった。体格の不利をも武器に変えてバレーボールの神様を振り向かせる人に私が敵うはずもない。今解き放つか、積年の……積年すぎていざとなるとなんも言葉出てこないな。言葉選んでるうちに先にkissされちゃうんじゃないの、これ。私はきつく目を瞑る。やばい。間に合え。
「……えっとその、だいすき、です」
「知ってる」
ふ、と息を吹くように笑う気配。鳥だった頃にうんざりするほど聞かされたはずの安っぽい愛の言葉を、彼はどんな表情で受け取ったのだろう。こんなのでも一応、本人に言うのは初めてだから。想像しようとして、そうしたらあの小さく感情豊かな鳥の姿が浮かび思わず笑ってしまう。やさしげな顔はたとえば網戸のそばで寝息を立てていたとき。そよ風に吹かれながらまどろむ昼のあの穏やかな面差しだろうか。きっとそうだ。彼との生活を満たしていたやわらかな光が、閉じた瞼の向こうに今も揺れている。直視できないほど眩かった人は、今や私の身近な幸福になっていたのだ。気付けばガチガチの緊張は解け、鼻血の懸念も乗り越えていた。引き寄せられていく流れにしぜんと身を委ねている。笑みに弛んだ唇に、嘴ではないやわらかさがそっと触れた。

めでたし。



ホシウミカモメ観察日記




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