健康状態の確認


漸く予約日が訪れたので、湯田中へと車を走らせた。動物病院ならば近所にもあるが、無許可の野生動物をおいそれと持ち込むわけにもいくまい。多少の労を取ってでも故郷の旧知に診てもらうのが安心だ。
まあ、多少と言いつつも、日程調整の時点で結構骨が折れたのだが。なにしろ私が休みをとれて、且つ若手獣医の昼神くんが上手いこと他のスタッフの目を掻い潜れそうな日時を狙わねばならなかった。昼神くんにも手間かけさせたので、チクチク言葉は勿論フルコース。「うち闇医者じゃないからね」は百回聞いた。
ほしうみくんの方もそんな苦労を察してか、「昼神くんのところに行くよ」と声をかければあっさりとついてきてくれた。騙し討ちでも絶対に室外に出てくれなかった頃と比べれば大きな進歩。ほしうみくんは賢いので、昼神くんとの通話の際いつも同席させていたのが功を奏したのかもしれない。それに名前が決まって以来、何か距離が縮まった気もする。おかげさまで毎日かわいい。車に乗せても終始リラックスした様子で、助手席の窓から外を眺めてみたり、退屈なのか丸くなってすぴすぴ寝息を立てていたりするのが心底眼福で、長距離運転もなんのそのだ。
そんなこんなで、私は昼神くんの勤めるゆだなか動物病院へと足を踏み入れた。

「へえ、この子が“ほしうみくん”か。名付けるだけあるねー」
「言っとくけど私がそうしたかったわけじゃないから」
「意思表示するんだっけ?それも含めて診させてもらうけど、程度によっては飼い主さんの方が病院通いになるかも」
「私の脳は正常ですが」
遠路はるばるやってきたというのに、開口一番この応酬である。カモフラージュ用の小型犬用キャリーから出てきたほしうみくんも呆れたような半目をしていて、高校時代に戻ったような懐かしさを覚えた。緩くからかってくる昼神くんに私が突っかかるのがお決まりで、居合わせる星海くんは大体、喧しい子供を見守るお母さんみたいな表情をしていたものだ。からかいの矛先が自分に向くと私以上にキャンキャン吠えるくせに。
昼神くんも同じことを思ったらしい。「本当に光来くんみたいな顔してる」と相好を崩しつつ、ほしうみくんを自分の手の上へと導いた。意外なことに、ほしうみくんも素直に従う。バレーボール大で結構なもちぽよ体型だが、昼神くんとっては片手乗りサイズらしい。大男である彼を普段私としか接していないほしうみくんが怖がらないかと密かに心配していたが、杞憂だったようだ。触診や聴診器も大人しく受け入れている。獣医師・昼神幸郎を信頼している様子で、まさしくされるがまま。されるがまま、くるくる回転させられたり。羽を広げて見られたり。冠羽をつんつんされたり。両翼を左右からもちもちされたり。
「……ねえ、その作業要る?」
「いや、別に?」
「!」
飄々と答えてのける昼神くんを、キュ!と鋭いブチギレボイスが咎める。ひっくり返されておなかの見えた状態で、動かせるだけの部分を必死にばたつかせるほしうみくんを、昼神くんは尚も片手で器用にあしらっていた。なんなら空いている右手でカルテを書き込むほどの余裕。良好、とペンが走った。何が?からかったときの反応?
「カモメを診るのははじめてだけど、ぱっと見元気そうかな。変なもの食べさせるのはもうやめた?」
「……食べたがるものをあげてます」
「飼い主は要観察、と」
独り言ちながら本当に書いた。彼の手元の紙はカルテではなく落書き帳の可能性がある。ほしうみくんを解放した上でなにやら真剣に読み返しているが、果たしてそんな考え込むほどの内容は書いてあるのだろうか?ふむ、と顎を撫でる仕草はなかなか様になっているが……。訝る私たちを他所に、考えが纏まったらしい昼神くんはいやに明るい声で切り出す。相変わらずの読めない笑顔だ。
「さて、折角設備もあることだし、この後もう少し詳細に検査していくけど……その前に一個確認」
宣言するや否や、読めない笑顔のまま、昼神くんの顔が近付いてくる。すごく近付いてくる。かつてないほどに。え?あれ、私の後ろ、棚とかなんかあったっけ?この丸椅子の後ろ、ドアしかない気が……え?咄嗟に身を引こうとするも、ガッと後頭部を鷲掴まれて固定される。手がでけえ。やっぱバスケットボール片手で掴めるやつは違うわ。つーか、前髪柔らかそう。眉毛の形きれい。睫毛長い。鼻たっか、槍ヶ岳じゃん。つか、え、なにこの状況。Kissの距離感じゃね?いや、吸血?殺される?え?
「なっ……うお゛ぉ゛……!?」
まだ死ぬわけには……!断末魔じみた唸り声を上げ、腹の底から気を振り絞る。あらんかぎりの力で上体を捻り、目を瞑って全力で顔を背けた私の頬に、“死”の概念からはかけ離れた柔らかい何かが触れた。なんだろう、なんか温かくてふかふかして……擽ったいような……覚えのある感触……。
「…………」
いつの間にか肩の上にほしうみくんが乗っていた。頭部の位置関係を太陽系内惑星に喩えると、太陽が昼神くん、金星が私、間に挟まる水星がほしうみくんといったところか。さっきまで診察台の上にいたと思ったが、そういえばほしうみくんは見た目に反してかなり素早いのだった。けれど不測の事態にはやや弱いらしく、ふかっ……と包み込んでくれる感触の気持ちよさに思わず頬をすり寄せると、ビクッと身体を跳ね上げた。和む。全てを忘れるほどに。
「ん?そういえば昼神くん、確認って……?」
「うん。今ので分かっちゃった」
いや、何が!?と聞き返す暇も与えず、何故かめちゃくちゃいい笑顔の昼神くんはほしうみくんの首根っこをひっ捕まえた。なんか急に扱いが雑になったような……。人間よりも動物を丁重に扱うことで有名(私調べ)な昼神くんらしからぬ、まるで高校時代隙あらば星海くんを吊るしていた頃のような手つきだ。
「じゃ、“光来くん”は一旦お預かりしますので、飼い主さんは待合室で絵本でも読んでてくださいねー」
しかも、気が抜けたのかいきなり患畜の名前間違えよるし。私のこともキッズ扱いしとるし。イケメンエリートの化けの皮が剥がれたな、この顔だけ優男の性悪が!と内心悪態を吐きつつ、私は大人しく診察室を出て、児童向け本棚で目についた『かえるの王様』を手に取るのだった。



ホシウミカモメ観察日記




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