花摘み人の食卓
2. If I didn’t pick a peck of pickled peppers,




●If I didn’t pick a peck of pickled peppers,


 ボクがワタルを殺したことについて、正当化するためのそれらしい理由付けはいくらだってできるように思えた。
 たとえば自分の望まない変革を齎す存在を悪と呼ぶのなら、ワタルは多くの人々にとって真実、悪人だった。ボクが倒さなければ彼は森から授かった力をも奮い、彼にとっての理想郷を容易く実現してみせただろう。ポケモンが人間に傷付けられることのない世界、ワタルの唱える上でのそれは、人間をこの世からすっかり排除するということをも意味した。人間という巨大な括りの中には、もちろんボクも、ボクのおじさんも、レッドさんもブルーさんもグリーンさんも含まれる。ポケモンを愛しているか、ポケモンから愛されているか、それすらも問題ではない。人間は存在するだけで罪深いと、ワタルはそのように考えていた。
 殺されないために立ち向かった。この世界の現状を維持すべく、その破壊者を打ち破った。もっと単純に言えば、ワタルが「悪人」だから挫いた。そんな風に掻い摘んでしまえば、誰もがワタルの消滅を歓迎し、ボクの行いを称賛する。

 長らくのあいだ、のどかで緑豊かなこのトキワの町だけが世界の全てだったから、ボクは旅の途上でいくつもの未知を克服することとなる。麦わら帽子をもらう前は、望んで誰かとぶつかるどころか、決して受け入れられない思想と相対したことさえなかった。そんなボクがワタルのカイリューの痛いほどの想いを聞き届けた末、最後は信念を貫くことを自分自身で決意したなんて、今でも遠い物語のように聞こえる。ボクと真っ向からぶつかったワタルだって、ボクから言わせれば純粋な悪人などではまったくない。かたみにそうであろう、それは同じようにトキワの森の加護の下に生を受けた、謂わばあったかもしれない互いの姿だった。ボクたちはあたかも鏡を隔てた自身の陰と戦うごとく、言葉を超えた先で、極めて複雑に通じ合った。ワタルはボクにとって何等星でもない。ふと混じり合ってしまわないのが不思議なくらい近しい存在に思われた。けれど事が終わってみれば、ワタルとボクの関係性として残されていたのはたったふたつのレッテル。即ち、ワタルはひとごろしの罪人で、ボクはひとごろし殺しの英雄という、たったそれだけ。
 まだ幼く無知なボクのてのひらにもまた、ポケモンと心を通わすやさしさを秘めたあのワタルを駆り立てたのと全く変わらない力が宿っているということさえ、世間は既に覚えてはいるまい。

 殆ど分け隔てなく全ての他者に向き合うという点で、ワタルはまるで神様のようでもあった。超然とした視界には一等星も六等星もなく、その在り方は全てを焼き尽くす業火のように、或いは厳格なる浄化の洪水のように。彼は人というよりは天災に近い、ただ強大な力のかたまりにも見えた。今にして思えばボクが相対したのは、かつて愛情深いひとりの少年だった男をその境地まで辿り着かせた、それほどの怒りと、切実な願いだったのだ。全ての鍍金を剥ぎ取った先にいるワタルは、ただの人間、それも、別の人生を辿ったボクだ。相容れない野望を語っていたとはいえ、人間のワタルが、ボクの守ろうとしたものの外側にいたとは、ボクにはどうしても思えない。それでも、最後の最後で勝利を収めたとはいえ、ワタルと対峙しているそのとき、実際のところ、弱く、また、力の扱い方も知らないボクには彼をほんの少し慮るほどの余裕もなかった。「守りの戦い」とワタルは評したが、あんなもの、自分のもっているものをでたらめに繰り出していただけだ。
 ぼろぼろの身体を突き動かしていた奇跡に名前をつけるとすれば、それは使命感と呼ばれるべきか。或いはもっと純粋な、理性や制御の外側に粛々と根を張る本能。彼を止めなくてはならない、そしてそれはボクにしかできないと、人から言われた以上に自分で分かっていた。
 ピーすけの糸を伝って届いた後押しに縋るようにして、全ての力を振り絞った瞬間も、だから、加減なんてできようはずもなかった。それでもみんなを守るために必死だった、なんて、独り言ちた言葉の言い訳がましいこと。
 そもそも花の手折り方を知らない人間が、花を生かして摘める筈がないのだ。まして、咲く場所を誤った花をひそやかに植え替えてやりたいだなんて、どうして見栄を切れるだろう。

 日に日に眠りが浅くなる。毎夜、同じ夢をみるのだ。網膜に残された光景が瞼の裏に照射されて、ボクは繰り返される一幕を瞬きすら許されぬまま見続ける。そして、夢の終わりには、決まって自分の声を聞いた。

 ──それでもやっぱり、ボクがワタルをころしてしまったことに変わりはないんです。



(花摘み人の食卓3/6)


 top 




×
「#学園」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -