花摘み人の食卓
1. Who killed chickens?




●Who killed chickens?


 誰ひとりとして、ボクをひとごろしと呼ぶひとはいない。

 考えつく限りにおいて、ボクは自分の手で主体的に命を奪ったことがなかった。花も摘まなければ、虫を潰したこともない。或いはそれもトキワの森の恩寵のひとつなのだろうか。ボクはそこに「いのち」という不可逆の神秘が宿っていることを、物心つく頃にはもう理解より先にただ知っていた。だから傷つけることを厭い、傷つくことを避け、自分はずっとそうして生きていくのだと無邪気に信じて疑わなかった。
 それでも、生を繋ぐための死は、いつもすぐそばに寄り添っていた。こういう言い回しだと余所事ぶって聞こえるかな。生々しい言い方をすれば、この世には生かされる命とそのために消費される命があるという、そんな不条理もまたボクの知るところなのだ。たとえば今日の晩、食卓でかぐわしい湯気をのぼらせる予定のチキン・ソテーは後者。それが元々はボクと同じ「いきもの」であったことを、前者たるボクははっきりと認識している。けれど、知っているからなんだというんだい。今更、そう、いのちは不可逆だ。お店でたまたま肉を見かけた、意識の完全に無防備なその瞬間でさえ、ボクはかつてその腿が温かな血を巡らせ、今は跡形もない爪が土を蹴るときのたすけをし、活発に歩き回るいきものを構成していたという情報をもっていた。その上で、その再び呼吸することのない脱け殻を、今日の晩チキン・ソテーにして食べようと決めたのだ。

 台所では氷水に浸されて解凍されたそれが、暗がりの中、静かに時を待っていた。ビニール袋を裂き、肉を取り出す。鋏を滑らせる軽い手応え、羊膜を破る心地はこのようだろうか。ばたばたと、溢れ落ちていく水滴がシンクで砕ける大袈裟な音がいやに耳につく。冷え始めた指を振りつつ、やや無造作にまな板に横たえた薄赤色のかたまりは無力な嬰児さながらに。握り込んだ包丁の向かう先に迷いはなかった。刃先を押し戻す弾力に、それ以上の力を加えて分け入り、断つ。その無機的なやりとりに特別な感慨など生まれるべくもない。淡々と調理を進めるだけ。けれど、近頃はこういうとき、指先がかすかな緊張に軋む。自分の目的を徹すために力を奮う感触に、ボクはいささか過敏になっているようだった。
 たとえばドドすけが、ラッちゃんが、誰かの利己的な欲求のために傷つけられたなら、それからどれだけ時を経ていようと、ボクは怒りに燃えるだろう。今更などと思うはずもなく。たとえその誰かの命を守るために必要なことだと説かれたとして、きっとボクは仲間の犠牲を認められない。ボクはいのちを想うことを知っている、そのように自負しながら、自分と他のいのちとの距離がひとつひとつ等しくないことにも、もう気がついている。それを空に散らばる星々に喩えさせるのは詩情か諦観か。たとえその大きさ、眩しさに違いがないのだとしても、この目が捉える明るさには差異があり、限界がある。したがって、熱したフライパンの上で踊るように香ばしく身を詰めていく七等星の肉を菜箸でつつく動作は無感動極まりない。自己嫌悪さえなく、日常の一部として、ただ唾液を嚥下するボクがいるのだ。
 いったいどこの誰ならば、店屋で買った血流ももたない肉が、かつて誰かに想われたいのちだったかなどと、食事のたびに夢想するだろうか。ときどき驚くほど突飛な発想をするレッドさんも、根はやさしいブルーさんも、意外とロマンチストなグリーンさんも、そしてひと以外の存在のために遍く人間を滅ぼそうと画策したあの彼でさえ、そんなことにいちいち構うまい。ここにさえ善悪の物差しが生じてしまうというのなら、神様は最初からボクたちを救済する気なんてないはずだ。仕方ない、とすら思わずに。ボクは今日も自分が生き永らえるため、簡易な儀式として手を合わせただけで行為を清算し、死体を口に運び、咀嚼する。ボクや、ボクの友達と同じ「いきもの」だったものを。これまで繰り返してきたままに、これからも繰り返していくように。
 こんな当たり前にある食卓の風景が何か大袈裟に俯瞰されてやまないのは、自分のてのひらばかり見つめてきたボクが、はじめて他人を睨みつけようとしたその視線を未だそこに留めているからに違いない。

 ボクは花を摘んだことがない。虫を払いのけて潰したことがない。まして自分が食べるための肉や野菜を、この手で屠ったり、土から離したことなんて。台所の隅、棺のように鎮座する冷蔵庫には、既に誰かにころされていた亡き骸ばかりが詰まっている。数枚の硬貨と引き換えに、それを迎え入れたのは他ならぬボクだ。かつては、いのちの脱け殻を袋いっぱいに押し込めて帰宅した日さえ、食卓は常に清潔な光に照らされていると疑わなかった。自分の生に関わる犠牲など世界にひとつも存在せず、誰も傷付けることなく生きていけるなんて本気で信じていた。
 ボクは生かされていただけだ。傷つけないよう傷つかないよう、森からもらった特別なてのひらを、汚さず自力で守ってきたわけじゃない。だれかがいつも、代わりにころしてくれていたことに、代わりにしんでくれていたことに、単純に目を向けてこなかったのだ。そして、冒険の旅の果て、死闘の末に思い知り、実感としておぼえて尚、今も、ただ生かされている。

 ボクと同じてのひらをもっていた彼は、あの傷だらけの大きな手で、きっと誰かのために花を手折ることをも知っていた。

 無言の食卓に、ボクが不器用に扱う食器の音だけが響く。ナイフで切り分けた断面に滲む、柔らかな筋繊維から染み出した肉汁は、たいそう味わい深く唾液と絡み合う。今日の晩御飯を決めた時に頭で思い描いた通り、チキン・ソテーは素晴らしい出来栄えだ。たとえボクを殺して血を抜いて焼いたってこんなに人を幸福にすることはないだろう。まるでボクに食べられるために生まれてきたかのよう、いや、まさしくその通り。殺され、お店に並べられたその時点では意味をもたなかったその死が、たった今ボクのためのものとなった。ボクを生かす養分となることが、そのいのちの末路を意味付けしたのだ。ボクは生かされる。その死によって生を繋ぐ。ボクの生きる意志、空腹、利己的な欲求、思想、そういったものは、いつのまにか鋭く研ぎ澄まされた牙となって、いつだって目の前のものを食い破れる威力を秘めてここに息衝いている。そんなことにさえ無自覚なまま、ボクは生かされてきた。そして、今でも夜がくるたびに反芻するあの瞬間を迎えたのだ。

 傍で一緒にごはんを食べているみんなが、ボクの皿にだけあるそれに時折視線を飛ばしてはボクの顔を窺う。香りが気になるのか、それとも、ボクがずっと浮かない顔をしていることを、気遣っているのかい。
 ──今日は、おいしくつくれなかったの?
 不意にドドすけが長い首を傾げて額を擦り寄せた。やわらかな羽毛が肩をくすぐる。ボクがあまり料理上手じゃないことを、みんなはよく知っている。
 美味しいよ、とボクが口角を上げてみせると、テーブルに飛び乗ったラッちゃんが、円らな瞳を嬉しげに潤ませた。
 ボクは微笑むことができるらしい、ひとを殺したその後でも。
「ご馳走さまでした。さあ、食器を片付けるよ。オムすけ、ピーすけ、手伝ってくれるかい」
 食卓を俯瞰している。あの日からずっととらわれている。目を閉じて、死の冷たさを知る両手を合わせるときも。軽く丸まった背中の角度は、憂鬱を背負うのに相応しい。



(花摘み人の食卓2/6)


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