うつくしい皿




※9章後


 冷蔵庫にあったふたりぶんのミルフィーユは昨日ふらりと立ち寄ったブルーの置き土産であり、それもその突発的なお茶会に臨んだ二人の胃袋にもう少々の余力があれば既に跡形もなかったはずのものであり、つまりイエローの家にお茶請けとして出せるような菓子が備えられていたのは偶然もいいところだったのである。

「……どうぞ。甘いものですが、嫌いでなければ」
「いただこう」

 何か刺々しい物言い。そして背中に流れた毛先さえ不機嫌そうに主張する、彼にとっては見慣れないはずの黄色いポニーテール。イエローの提示しているものの全てに対しまるで動じることのない、どころか何か嬉しそうでさえある男の態度がますますイエローを逆撫でする。

 ここに豊かに香り立つ紅茶をたっぷりと湛えた金縁のティーカップのひとつでも添えられてあれば、もう少しは格好がついたかもしれない。しかし、生憎と来客を想定しないイエローの家にはそんな洒落た嗜好品など置かれていた試しがなかった。そもそも昨日がそうだったのだから、今日になって突然変わっているというはずもなく。宝石のように飾り立てられた洋菓子の傍らに素朴な円筒状のガラスコップを並べざるを得ないのは仕様のないことだった。仕様のないことではあるが、なみなみと注がれた麦茶の表層で、製氷皿に生き写しの不格好な氷が寝返りを打つたび、その隙だらけの生活音がイエローの内心の静かな憤慨を煽るのだ。

 ──ああそうさ、普段からボクは、おやつの時間を誰かと過ごすための用意なんてしていないんだ。それをいきなり、なんの連絡もなしに現れるなんて!

 髪の毛だってうまくまとまっていない気がする。こんな日に、からからと平和な音を立てるグラスと、艶やかな苺で飾り立てた不釣り合いに上品なケーキを共に囲むのが、昨日と同じくあの優しくて少しいたずらなブルーであったなら。いいや、それどころか彼以外の他の誰であったとしても、イエローはこうも神経を逆立てはしないだろう。いつでも飾らず呑気な彼女が、その性格そのままの日常のほんの片鱗を晒すだけで、まるで急所を握られているような居心地の悪さを感じるのは、相手がこの男であるからだ。その理由はたぶん、かつて命を狙われたゆえの警戒ですらなく。目の前でおとなしく席についている彼があのワタルであるというその事実こそが、彼女にとって何より重要だった。

 なんといってもこのワタルという男は、平和主義者のイエローが許しがたいと思った、自らの手で打ち倒すことを誓った、そしてその想いを暴力としてぶつけ、見事挫いてみせたはじめての相手だった。

 そうは言っても、小ぶりな木製の椅子に窮屈そうに座らされている男は何も自ら押し掛けたわけではない。トキワの森をうろついていたところをイエローに発見され、寧ろ半ば無理矢理連れてこられた身である。

 だいたい、数年越しに再会したかつての敵を、どうして家にまで招き入れてしまったのか。少し頭が冷えてみれば、先ほど森でワタルに遭遇した時のイエローときたらまったく冷静とは言えなかった。
 だって、突然、珍しい葉擦れのざわめきを聞いたのだ。ドラゴンの羽搏き、不意の来訪といえど、記憶の底に強烈に刻み込まれたそれを聞き逃すはずもない。考えるよりはやく、早鐘にせかされるままイエローは駆け付けた。ポケモントレーナーでさえ滅多に立ち入らない森の深部は、森の中だけで世代を繋ぎ、密やかに生命の糸を紡いでいくポケモンたちの領域だった。そんな静かな安息の木立で、誰が見紛うだろうか。燃えるように逆立てた赤髪に、全身を夜に包み隠すような漆黒のマント。そこに佇む長身の男の、記憶そのままの身なりときたら。たまらず、イエローは茂みを掻き分け、男の前に飛び出した。男は突然のことに些か驚いたようではあったが、麦わら帽子の影に飾られたイエローの顔を見ると、安堵にも似た不思議な表情を浮かべた。まるでイエローに変わり映えのないこと、それだけを確かめたかのように。用は済んだとばかり、素早く翻されたマントの端を、咄嗟に掴んでしまった自分を苦々しく思う。そうだ、引き留めなければよかったのだ。彼の姿を目にした瞬間自分の内に沸き上がった何かに蓋をして、模様に惹かれて勢い留めた蝶を逃がすように、そっと指を開けばよかったのだ。

 その傷んだ布地の感触を思い返し、イエローは無意識に指先を擦り合わす。過去にミュウツーと共に対峙したときも、彼の羽織っていたマントは戦いのさなかに破れ、焼き切れ、ずたずたになっていた。一見して察した、きっと同じなのだ、あの頃と。何らかの目的のため、或いは何かに巻き込まれて、ワタルはまた戦いの中に身を置いている。そしてまた踵を返し、彼は光射す森を飛び去っていくのだ。全身を包む闇色のマントは見事に夜に溶け込むだろう。そして元通りだ。ただ元通りになるだけなのに。
 結局、指を離せなかった。
 では、ろくに口も開かぬ大男をそのまま家まで引きずってきたのは問い質すためだったろうか。目の届かぬところで彼が為そうとしたこと、スオウ島で彼を吹き飛ばしてからの、イエローの知らないワタルの日々。そこでは、数年前にイエローの手で打ち砕いたはずの、あの理想の残り火は燃やされていただろうか。師としてシルバーを鍛えたと小耳に挟んだ。彼の故郷探しにも手を貸したとも。人伝てに語られる、その善良にも聞こえる行いの裏で何を思い、ほかには何をして過ごしていたのだろう。イエローは口をつきそうになる様々な言葉から何かを選ぼうとして、選びかねた。四天王事件の後、自分が追おうともしなかった彼の道。今更その仔細を掘り返して、まさか善悪を断じ、場合によっては裁こうというのか、自分が?

 何もできやしない。イエローはたった今自分で用意したミルフィーユと麦茶の不似合いな取り合わせを改めて眺めてみる。きっと未だに頭のてっぺんから爪先まで強固な芯を通して立っているワタルに対して、自分の差し出せるものが、こんな油断と無力の象徴のようなありあわせのほかにないなんて。しかし、不格好だからといって、何も出さずにやり過ごすという選択はそれこそありえなかった。見透かされるわけにはいかない。ほかならぬイエローが、故郷を訪れたワタルに対し何も出せるものがないなどと。彼の理想を粉々に打ち砕き、全てを奪っておきながら。イエローはやはり無意識にテーブルの下で指を摩る。つくづくと、あのときマントを掴んでしまった自分も恨めしければ、振り払おうともせずのこのことついてきたこの男も度しがたい。まさか抵抗すらしないなんて。それなら本能がこの人を捕らえてしまう前に、反転して逃げ出すしかなかったのだ。そうすべきは確かにイエローの方だった。いざ向き合ったときに怯んだのは、明らかに彼女の方なのだから。そう、彼女はワタルの瞳に竦んでいた。ひだまりの世界に生きていること自体にはなんら恥ずべき謂れはないが、何の不安も緊張もなくのうのうと過ごしていることを、今尚何か遠くを見据えているような彼の、あの破れたマントや、その膚に薄白く発光する塞がりたての傷に責められている気がしたのだ。

 そういった焦燥や漠然とした自己嫌悪のようなものをとぼけた苛立ちにすり替えて、イエローは内心でワタルの来訪を責めつつ無言を貫くのだ。ワタルもまた、イエローの方に話す気がないならば、口を開く理由など切り分け始めたミルフィーユを迎え入れる以外にありはしないとばかりだった。
 だから幽かに響くのは、カトラリー同士が掠め合う音。(安っぽい皿に古臭いフォーク! そろそろお客さん用に買い足したっていい頃だったのに)それから、コップの中の溶けかけた氷が互いを突き放し合う、澄み切った崩壊の音。(ああ、もしも温かい紅茶を備えておけたなら、今この間抜けな状況がもう少し洗練された時間になっていたことは想像に難くない)沈黙する二人に代わってテーブルを支配するのは、無機的且つ断続的な、そういった息遣いだけである。過去と現在、二人の間に降り積もるものたちから目を逸らすように、イエローもまたカトラリーを手に取った。

 そんな時間が暫く続いた。気持ちばかりが重苦しいが、実際は体感よりもずっと短い風凪だろう。

 ワタルの皿の上が、まるでミルフィーユを食べる時の手本にしろとばかりにまったく整然としていることにイエローが気付いたのは、すっかり崩壊した自分の分のミルフィーユを、少しばかり惨めな気持ちでつつき始めた頃だった。

 というのも、ワタルの手つきは小器用で繊細で、その上まったく目を引かないのだ。二人の皿の様子は、既に元々同じような物体が乗っていたとは思えない有様だが、彼のナイフの扱い自体はイエローの仕方と大きくは違わない。気取らない、日常的に反復してきた所作のようであった。しかし、ひとたび注目してしまえば、それはひたすらに丁寧なのである。かつて砕かれた理想のかけらを、まさかケーキの中に探しているわけでもあるまいに。
 イエローは意外に思うあまり、つい毒気を抜かれた。

「あなたは……ずいぶん上手にケーキを切るんだね」

 思わず零したその声音は、張り詰めた水面に罅入れるひと雫のように。いま彼女の胸を打った新鮮な驚きを、如何にも滲ませてしまっただろうか。顔を上げたワタルが暫しイエローを見つめたのち、不意に息を洩らすように幽かに微笑ったので、イエローは何か気恥ずかしく目を逸らした。

「おまえの方はあまり得意でないようだな」
「……そんなことはどうだっていいじゃないか」

 しかし、あやすように微笑みかけられた程度で動じること自体、ワタルに対して何かしら子供じみた意地を張っているように捉えられかねないなどと思い至り、それこそイエローは頬を熱くした。イエローにとってワタルはそういう、他人行儀な感情を抱く対象ではないはずだった。――そうだよ、ボクとワタルはそんな間柄じゃない! そんな風に誰にともなく気兼ねして、目尻にきりりと力を込めてワタルを見つめ返す頃には、水面の揺らぎは引いており。彼は再びケーキを切ることに没入しており、そこにイエローの居場所はなかったのだった。彼女は内心肩を落としつつ、所在ない視線をワタルの手元に固定した。

 彼のナイフはざくざくとしたパイ生地にまっすぐに吸い込まれ、次いでクリームの層へと沈み、何事もなかったかのように再び現われ出、静かに静かに、それだけを繰り返している。ともすれば刃先を滑らせてしまう、層ごとの感触の違いなどものともしない。真上から真下へと。その法則だけに従い、一筋の落雷の如く、淡々と区別なく、断ち切っていく。

 ミルフィーユを切るのには、力がいるのだ。流れるようなワタルの手つきをぼんやりと見つめるうち、不意にそんな気づきが胃の腑の底にすとんと落ちた。

 幾重にも重なり合う柔らかなカスタード・クリームと、点々と潜む苺のスライス、そして甘やかに空気を含んだ滑りやすいフィユタージュをひとまとめにあやすコツを、ワタルは知っているらしい。なにも、ケーキを美しく食べることにこなれているというわけではあるまい。
 たとえば昨日、ブルーがガトーショコラよりもこのミルフィーユを優先していたならば、彼女はこの食べづらい洋菓子を綺麗に切り分けるコツをイエローに教えてくれたに違いない。そのとき、賢い彼女はパイ生地とクリームの層を真っ向から圧し切ろうとはしないだろう。ミルフィーユは横に寝かせて切り分けるべし。他の生物と比べ体力に恵まれない人間たちの、古来よりの伝統に倣い、知恵と工夫による光明を示してみせたはずだ。ケーキを切るのに長けるというのは、そういった知識や閃きをもつということと殆ど同義だ。
一方、ワタルのやり方は遥かに単純だ。しかし、簡単でありながら、多くの人にとって選びようのない道だった。何をするにしても、たとえ、ケーキを切ってみせるだけでも。たまたま、彼は力をもっていて、その奮い方も心得ているだけなのだ、神様のように。

 神様のように。

 イエローは今一度、引きちぎられてぼろぼろになった自分のミルフィーユと、直立を保ったまま一口分ずつ切り離されていくワタルのそれを見比べた。ケーキを上手に切ることも、世界を滅ぼしてしまうことも、イエローには望むべくもなく、ワタルにとっては実に容易い。そんな事実を喉元にひやりと突き付けられた感触。

 かつて滅ぼそうとした文明の片隅で、自らが殺し損ねた少女と共に、人類を脅かした強大な力の片鱗を一切れのケーキのために消費するとは、一体どういった心境だろうか。
 少なくともイエローの目には、この男の大きな両てのひらが華奢な銀食器などに塞がれている様は、ひどく可笑しな光景として映る。あまりに可笑しすぎるので、それは、いっそ寂しいことのようにさえ思われた。

 つまりはこうして、人のように睫毛を伏せて、ケーキを切ったりするのが不自然だから。不自由だから。だから、この人は、あれから二度と自分の前に姿を現さずにいたのではないかと、イエローの脳裏に、瞬間的にそんな発想が閃いた。根拠のない憶測で、これは恐らく当たってはいないだろうと、これまた即座に否定した。
 ナイフの背に添えられているワタルの指には真新しい傷跡がある。理由も、その頻度も知り得ないが、ワタルはどこかイエローの知らないところで、未だ戦うことがある。トキワの力も惜しみなく奮っているのだろう。シルバーやブルーを通してワタルの話を聞いたときは、何故だかそこに思い至らなかった。戦うというのは、意思あることの証だった。ワタルからすべてを奪ってしまった気でいたが、それもなかなか傲慢な思い違いだったのかもしれないと、こうして顔を突き合わせて、はじめてイエローは思い至った。

 ふと、イエローのフォークが、ミルフィーユの瓦礫にうずもれていたまるごとの苺を暴き出した。纏いつくクリームの合間から覗く、ひときわ鮮やかな、目のさめるような赤色。ナイフを入れる前、その苺が直方体のミルフィーユの一番上に鎮座していたころの姿は、記憶のごく浅瀬から簡単に拾い上げることができる。ミルフィーユを構成するものの中でただひとつの、苺らしい苺だった。イエローは、ミルフィーユの内部に幾つも埋め込まれているスライスの苺を口に運ぶことを躊躇わない。しかし、ケーキの頂点に乗せられているまるまるとした大粒の苺を、彼女はそういえば、いつも最後までとっておくのだった。何か特別に思われて。

 神様のようだ、という気付きは、そうして補強されていく。
 神様だったのだ。
 このひだまりの小さな家で目を伏せ、静かにミルフィーユを切り分けている彼が、ではない。確かに不自然ではあるが、彼はもう神ではない。てっぺんの苺だったのは、むかし読み取ったカイリューの記憶の中、死にかけたミニリュウを抱きかかえ、懸命に癒そうとする少年。或いはイエローを「人間」と呼び、鋭く睨め付けた孤独な青年。ポケモンの心を読み取り、その手で癒す特別な力を、たった一人で背負っていた。それはいきものを神たらしめるに充分だとイエローは考えていた。

 イエローは、ポケモンでありながら「神」と呼ばれる、ホウオウやルギアのことを思った。どうしてピカチュウは神になり得ず、彼らだけが区別されるのか。以前ちょっとした雑談のつもりで、師であるグリーンに尋ねてみたことがある。
「珍しいからだろう」
 トキワのジムリーダーとして執務に追われるグリーンは、イエローに視線すら遣らず、ぶっきらぼうに答えた。
「ピカチュウはトキワの森にいくらでもいるが、伝説と呼ばれるポケモンはそうはいかない。多くは同種別個体の発見例もなく、そもそも……」
 興味がないようなふりをして、この師はなかなかに教えたがりだった。なにかスイッチの入ったグリーンの話はだいたい難解で、長い。グリーンの吐き出す情報の波に揉まれながら、急激に襲ってくる眠気と戦いながら、イエローにもひとつ分かったことがあった。

 神さまとは、世界のどこにも同じ種を持たない、かけがえのない、たったひとりの孤独な存在を指すということ。

 イエローにはずっとワタルがいた。レッドの扶けではじめての友達を得て、能力に目覚めてから、同じ力をもつワタルと出会うまでの年月はほんの僅かなものだった。それも、そのほとんどを平和な故郷で過ごしたのだ。てのひらが覚えたのは精々、水の飲み易い浅い泉や、美味しいきのみのなる木くらいのものだった。しかし、ワタルはそうはいかない。ワタルにイエローはいなかった。ずっと、ワタルだけだった。ワタルのてのひらは、無数の嘆きと怨嗟を聞いた。そして誰とも分かち合えない、ポケモンとも人間ともつかぬ心を抱え。やがて彼は、たった一人でポケモンの代弁者になろうとした。人間を滅ぼそうとした。それは神の視点だった。誰とも違うという在り方は、イエローと同じように生まれついたはずの少年を、それほどまでに追い詰めたのだ。

 今は違う。

 イエローはひとつ瞬きをして、眼裏に棲む少年を追いやった。代わりに目の前の青年を注視する。大きなミルフィーユを端から切り崩してきた彼のナイフは、そろそろ例の、特別な苺に到達しようとしている。真白な粉糖を薄く積もらせたままの果実は、角度までパティシエの決めたままだろう。睫毛を伏せて、彼の視界は手元にある、美しく完全な苺だけを捉えているだろうか。イエローはもう一度瞬きをし、その彼をも意識から締め出そうとする。たとえば、と、今度は未来を夢想するのだ。

(たとえばボクが死んだとして、残されたワタルは再び神さまになるだろうか。ワタルを喪えば、ボクもまた、そういう存在になっていくのか──……。)

 不意にワタルが視線を上げた。イエローを見たのだ。美しく完全な自分の皿から視線を移し、雑然とした皿をまさぐるイエローへと。イエローは思わず、ワタルと目を合わせた。彼のまなざしは穏やかだった。しかし、それは、意思をもったひとりの人間の瞳だった。そこに責めるような、軽んずるような意図は見とめられない。イエローは本当はとっくに気が付いていた。

 もうイエローには、自分がワタルを引き留めてしまった理由がわかっていた。ワタルがイエローの指を振り払わなかった理由も。理解が胸の底に落ち、身体の末端までじわりと染み渡っていく、その感触に覚えがある。かつてただの一度だけ、イエローが戦いを通じて他者の心に触れたとき。あのときの、全てがわかったような、全てをわかられたような、あの感触だ。あれからまた時間が積み重なって、イエローの知り得ない心を抱えたワタルもまた、ワタルなのだ。ワタルの知らない、ポニーテールを晒したイエローが、変わらずイエローであるように。イエローは反芻する。同じ故郷、同じ能力──鏡写しのようなその男と、そして己の全てのことを。別の人間である。しかし、互いにとって唯一、同じ存在でもある。それは、心に互いがいる限り続いていく。いつまでも。

 今、ワタルは戦う理由もその術も放棄することのないまま、こんな光溢れる、麦茶とミルフィーユの不恰好な午後に留まっている。イエローがいるからだ。世界を滅ぼす刃の代わりに小さなナイフを握りしめて、几帳面に畳んだ闇色のマントを、彼には窮屈な椅子の背に掛けて、どこにでもいるただの人のように、苺スライスのように、平然としている。恐らくはイエローの生きているこの世界の、イエローのいないところでも同じようにできる。イエローがそうしてきたように。

 端から整然と食べ進める彼の最後の一口は苺ではなかった。ミルフィーユを食べ終えたワタルの皿は、やはり正解のように美しく見える。そんな限りなく美しい皿を横目に、イエローは最後にとっておいた特別な苺を口に含んだ。甘酸っぱく爽やかな果汁とカスタードクリームの甘みが口内で混ざり、溶け合う至福。正解のように美しくはなくとも、この食べ方も見失うべきではないのだ。


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